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兄弟愛 「愛」と言っても、いろいろな愛があります。男女の愛や友情、親子の愛や兄弟愛があり、そして、それらすべての上に神の愛があります。「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ人への手紙12章9ー10節)とあるように、聖書は、神の愛のつぎに「兄弟愛」を重んじ、それを勧めています。 この兄弟愛を教えるものとして、古くからユダヤに伝わっているお話があります。「モリヤの山にとても仲の良い兄弟がいました。弟はすでに家庭を持ち、三人のこどもがいましたが、兄は独身でした。ふたりは、父親の『わしが死んでも、決して畑をふたつにわけてはならない。ふたりが力を合わせて働くように。』という遺言に従って、同じ畑でいっしょに働きました。 「やがて収獲の時がやってきて、兄弟は収獲の束をちょうどふたつに分けました。しかし、兄は寝床の中で、眠れないままこう考えたのです。『弟には家庭があり、こどももいる。それにひきかえ、わたしはひとり者だ。畑の収獲を弟と同じ分だけ取るわけにはいかない。』兄は、寝床から起き上がり、畑に積み上げられている収獲のある部分を弟の収獲の分に移しかえ、家に帰って眠りました。 「その夜、弟も寝つかれませんでした。『わたしには妻もこどもいる。今は苦しいが、やがてこどもたちも働いてくれるだろうし、年をとればわたしをやしなってくれる。しかし、兄さんはひとりぼっちだ。寂しい上に、年をとったらどうなるだろう。収獲を等分に分けたが、それは正しいことじゃない。』弟も、そっと畑に行き、自分の収獲からある部分を取り、兄の収獲の分に加えました。 「朝になりました。畑に行ってみると、お互いの収獲の分量がちっとも変わっていません。ふたりとも『おかしいな』と思いながらも、口には出さず、その夜、昨晩と同じことをしました。ところが、翌日も、ふたりの収獲は同じ分量になっているのです。そして、三日目の夜、束をかかえたふたりは途中でバッタリ出会い、お互いの暖かい思いやりのある心を知り、喜びあいました。」この兄弟が互いに兄弟愛を示しあったこの畑に、ソロモン王は神殿を建てたと伝えられています。 (2002年2月)
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