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Introverts in the Church アメリカ人は、あまり細かいことを気にせず、いやなことがあってもユーモアで乗り越えていく明るい気質を持っています。とても外向的で、活動的です。そして、「アメリカ人のイエス」もまた外向的で、活動的なお方と考えられています。教会でも、人間関係をうまくやっていけ、大勢の友だちを持ち、活動的な人々が好まれます。しかし、著者は、アメリカ人の半数は、内向的な人々であることを忘れてはいけないと言います。内向的な人々は、人々との表面的なつきあいよりも、神との深いまじわりを求めて教会にやってきます。教会がそうした人々の求めにこたえられず、内向的な人々を教会から去らせたり、無視したりしていないだろうかというのが、この本が問いかけていることです。 この本にはあまり知られておらず、注目されていない "Introverts"(内向的なひとびと)に関する資料もおりこまれていて、内向的なひとびとへの理解を深めることができます。 リーダーシップと内向性はかみ合わないように思われていますが、著者は決してそうではないと論じています。なるほど、外向的な人はリーダーシップがあるように見えますが、しばしば自己主張が強く、まわりの人に対して支配的であるだけで、真のリーダーシップを発揮していないかもしれません。外向的な人は、問題を一時的に解決する能力はあっても、自分の配下にある会社や団体の根本的な問題を掘り下げ、長期にわたる解決を与えることはできない場合があります。現代はとかくパフォーマンスができる人がリーダーと見なされる傾向がありますが、この時代には、ものごとを深く考えることができるリーダーが必要なのだと思います。 著者は、そのようなリーダーとして Eugine Peterson, Barbara Brown Tayler, Erwin McManas, Brian McLaren, Conald Miller らをあげています。Mother Teresa, Martin Luther King Jr., Jonathan Edwards も外向的なリーダーたちではなかったと論じています。 内向的な人には伝統的でリタージカルな礼拝が向いていますが、内向的な人がそこに逃げ込んでもよくないと、著者は言っています。逆に、外向的な人が自分がコンフォタブルでないからというので伝統的な礼拝を否定するのも間違っています。礼拝があまりにもコンフォタブルでないというのは問題ですが、公同の礼拝を自分の要求に合わせようとするのは間違ったことであり、すこしばかりコンフォタブルでない部分に学び取らなければならない真理が隠されていることを知るべきだと、著者は訴えています。 {著者|McHugh, Adam S. 書名|Introverts in the Church 出版社・出版年|InterVarsity Press, 2009 ISBN|978-0-8308-3702-1}
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