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も ど る
果たせなかった奉仕 ピリピの教会は、使徒パウロがヨーロッパで最初に伝道した時に出来た教会で、パウロがピリピの町を去ってからも、彼を物心両面で支えてきました。パウロが信仰のゆえに投獄された時も、ピリピの教会は獄中のパウロの世話をするため、代表としてエパフロデトという人をパウロのもとに送りました。エパフロデトは、ピリピ教会から託されたパウロへの贈り物を持ってマケドニアからローマへと旅しました。長旅の疲れが出たのでしょうか、エパフロデトは、ローマで病気になってしまいました。パウロを世話するどころか、自分がパウロから世話されるようになってしまったのです。 エパフロデトは、ピリピ教会からの贈り物をパウロに届けるという仕事はできましたが、獄中のパウロの世話をするという仕事を果たすことは出来ませんでした。これを聞いたピリピ教会の人々は、エパフロデトについてどう思ったでしょうか。「彼は役立たずだった。」と考えたでしょうか。「もっとからだの丈夫な人を使者にすれば良かった。」と思ったでしょうか。いいえ、ピリピ教会の人々は、エパフロデトの病気のことを聞いて、本心から彼のことを心配しました。エパフロデトのために祈りました。それで、エパフロデトは死ぬほどのひどい病気にかかったにもかかわらず、一命をとりとめたばかりか、ローマからピリピに帰ることができるまでに快復したのです。 パウロはこのエパフロデトについて、「ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。」(ピリピ人への手紙2:29〜30)と言っています。人間的に見れば、エパフロデトは、自分に託された仕事を果たすことができなかった人です。スポーツの世界言えば、エパフロデトは、試合に出る前に病気になって欠場してしまった選手のようであり、ビジネスの世界で言えば、出張先で病気をして会社に迷惑をかけたような社員のようでした。失格者であり、失敗者でした。しかし、パウロはエパフロデトを最大限のことばをもって推奨し、エパフロデトは、ピリピの人々がパウロに仕えたいと思ったすべてのことを果たしてくれたと言っています。 「神への奉仕」は「この世の仕事」とは違います。それは信仰の目で評価されます。パウロはエパフロデトがピリピの教会が再び純粋な愛を沸き立たせせるという最高の奉仕をしたと見ています。エパフロデトの「果たせなかった奉仕」は他のどんなものも成し遂げることができなかった偉大な奉仕を成し遂げたのです。 (2005年9月)
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