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も ど る
美しい人 「イケメン」という言葉があります。「イケてる面構え」と言う意味で、「美男子」を指すのだそうです。かっては、男性もおしゃれをしましたが、女性と同じように化粧をするまではいきませんでした。ところが、最近の日本では、男性もメイクアップに余念がないと聞きました。男性も、女性もみかけの美しさを競い、そのことだけで自分を評価し、人を見るようになってしまいました。少し体重が増えただけで、不健康なダイエットをし、心も体も病んでしまった若者があり、容姿の欠陥を苦にして自殺する青年もあるのは、なんとも痛ましく、悲しいことです。 ひとりびとりは個性をもっており、それぞれにその人にしかない魅力を持っています。これが美男子だ、これが美人だという基準などどこにもないのです。ひとりびとりが美しいのです。どの若者も、テレビに登場する歌手や俳優、女優とそっくり同じような風貌や身なりをしているのを見ると、「なぜ、この若者たちは、自分の美しさに気付かず、それを捨てているんだろう。」と思ってしまいます。それに、外見だけがすべてではないことを覚えていてほしいとも思います。 預言者サムエルがエッサイの息子たちの中から王を選ぶよう、神に命じられた時、彼は長男のエリアブを見て、その容貌が立派だったので、「この人こそ王になるべき人だ。」と心ひそかに思いました。しかし、神はすぐさまサムエルに語りかけました。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル第一16:7)と言われました。そして、神は、一番年若いダビデを王に選ばれたのです。価値あるもの、大切なものは、人の外見ではなく、その内面なのです。 私の知人に顔かたちが、まるで歌舞伎役者のようにきれいな人がいました。けれども、彼のそばに近づく女性はほとんどいませんでした。彼は、心にまだ整理されていないものを抱えていて、いつも暗い表情をしていました。ところが、いわゆる「美男子」ではない、もうひとりの人には、だれもが親しくしていました。いつも明るい表情で、笑顔の素敵な人でした。美男子でも醜い表情の人もあれば、そうではなくても、美しい表情の人もあるのです。人の美しさは、外見にはよりません。「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」(箴言31:30)とある通りです。心をきよめられることこそ、「美しい人」になる第一歩なのです。 (2004年5月)
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