日曜日が来る

ローマ4:25

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 パームサンデーから始まる週は「聖週間」あるいは「受難週」と呼ばれます。その中でも、木曜日、金曜日、土曜日は特別な三日間です。このメッセージは、その三日間、とりわけ、金曜日のためのメッセージとして用意しました。

 一、主が死なれた理由

 イエスはなぜ、十字架で死なれたのでしょう。ある人は、ユダヤの指導者の妬みをかったからだと言い、別の人は、ローマ総督が、イエスに何の罪も見つけることができなかったのに、総督の立場を守るため、十字架に引き渡したからと言い、また別の人は、イエスが自分が自分の信念を曲げなかったからだと言います。イエスの十字架の死には、確かに宗教的、政治的、社会的背景があったでしょう。しかし、それだけではありません。それらの背後に、神の、私たちへの大きな愛と、哀れみとがあったのです。

 聖書は言います。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一4:10)

 私は、これを聴いてくださっている皆さんに、心からお勧めします。この神の愛を受け入れてください。「イエス・キリストは私の罪のために死に、私を救うために復活されたことを信じます」と言い表して、バプテスマを受け、神の愛する子どもとして、永遠の命によって生きる人生を始めてください。

 私は16歳のときにイエス・キリストを「私の救い主」と信じ、翌年のイースターにバプテスマを授けていただきました。それから半世紀以上も経ちましたが、それ以来、喜びと平安、感謝と希望は私の心から消えることはありません。私には、罪も、失敗もたくさんありましたし、今もありますが、神はひとときも私から離れず、私を愛し続けてくださっています。イエス・キリストを信じ、バプテスマを受けて後悔する人は誰もいません。信仰を持って失うものはなにひとつありません。

 すでにイエス・キリストを信じてバプテスマを受けた皆さんにもお勧めします。イエス・キリストをいつも覚えていましょう。聖書は、こう教えています。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(テモテ第二2:8)イエスは、十字架を前にして、弟子たちがいつもイエス・キリストを覚えていることができるために、パンとぶどう酒を共にいただく、「主の晩餐」を定めてくださいました。教会はそれを「聖餐」として守り行ってきました。この期間、教会に集まり、共に聖餐式を持ちたいと願っていましたが、今年は、それがかないませんでした。けれども、イエスが聖餐を通して私たちに求めておられること、つまり、「主を覚える」ということを、御言葉と、賛美と、祈りのうちに果たしたいと思います。

 二、聖なる三日間

 イエスは、十字架にかかられる前の木曜日、弟子たちの足を洗い、弟子たちとともに過越の食事を祝い、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と仰って、弟子たちに「新しい戒め」をお与えになりました。それでこの木曜日を「戒めの木曜日」と言います。木曜日は、主が私たちにくださった「愛」を覚えましょう。

 主の晩餐の後、イエスは弟子たちを伴って、「ゲッセマネの園」に行きました。イエスは夜を徹して、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください」と祈りましたが、最後には「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)と言って、父なる神のみこころに従われました。その時は、もう日付が変わって、金曜日となっていました。

 イエスはゲツセマネの園で捕まえられ、大祭司の審判を受け、続いてローマ総督の裁判によって十字架につけられることになり、鞭打たれた後、ゴルゴダ(されこうべ)と呼ばれた処刑場まで、十字架を背負って歩きました。イエスが十字架にかけられたのは午前9時のことでしたが、正午から午後3時まで、処刑場は超自然の暗闇に覆われました。

 午後3時にイエスは息を引き取られ、葬られ、こうして金曜日の夜がやってきました。この金曜日は英語で「グッド・フライデー」と言います。イエスが苦しめられ、死なれた日なのに、なぜ「グッド」なのでしょうか。それは、神の御子、すべての人の救い主を苦しめ、死においやった人間のあらゆる罪と悪を、神が「善」に変え、イエスの死によって、悔い改める者の罪を赦し、ご自分の子どもとして受け入れてくださったからです。私たちは、信仰によって、この恵みに与ります。金曜日は「信仰」を確かめる日です。

 今、コロナ・ウィルスが猛威を奮い、世界は恐れと不安の中にあります。私も、自分が生きている間にこんなことに巡り合わせるとは思いませんでした。第二次世界大戦後、最悪の出来事だと思います。しかし、聖書は言います。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)神は、最悪と思えることの中からも、最善を生み出してくださるお方です。コロナ・ウィルスのため、愛する者を亡くした方々が大勢いますが、神は、その悲しみを知っていてくださいます。神もまた、ご自分のひとり子、イエス・キリストを亡くされたからです。

 金曜日の日没から土曜日の日没までは、ユダヤの人々の安息日でした。イエスの遺体は、墓の中に納められ、墓の入り口は封印され、ローマの兵士が見張りをしました。人々は、いのちの主を殺しました。人が人を殺せば、一番厳しい刑をもって罰されます。人が「神」を殺した罪はどんなに大きなものでしょうか。イエスを墓に葬ったのは、みなイエスを慕っていた人々で、それは善意から出たものでしたが、イエスの墓を封印し、ローマ兵に守らせたのは、イエスに反対する人々で、彼らは、イエスを殺しただけであきたらず、イエスを墓の中に閉じ込めておこうとしたのです。

 生涯の間、昼も夜も働き続けたイエスのおからだは、土曜日、墓の中で安息を得ました。しかし、イエスは、そのまま死に繋がれているお方ではありません。安息日が開けるとき、墓の中で大きな出来事が起こります。墓を塞いでいた石は動き、封印が破られ、ローマ兵は驚き恐れて逃げ去ります。イエスはご自分の死によって死を打ち破り、復活するのです。墓から命が生み出されるのです。土曜日は、復活を待ち望む、「希望」の日です。

 今、私たちは、コロナ・ウィルスのため、まるで墓の中にいるような日々を過ごしています。これが終息するまで、今少しの忍耐が必要です。しかし、やがて、回復の時が来ます。私たちを閉じ込めている大きな石が動く時が来るのです。私たちを罪から、また、罪の支払う報酬である死から救い出してくださったお方が、この状況から救い出してくださらないはずがないのです。

 この三日の間、御言葉を読み、祈り、イエス・キリストが、私たちの救いのためにしてくださったことを深く思いみましょう。私たちに与えられている「愛」と「信仰」と「希望」を感謝しましょう。

 三、日曜日が来る

 最後に、"Sunday Is Coming" という詩を紹介します。どなたが作ったものか分かりませんが、Tony Campolo という人がしたスピーチからとられたものです。この詩を英語と日本語でお読みし、祈りに替えます。

It’s Friday. Jesus is praying. Peter is sleeping. Judas is betraying. But Sunday is coming!
それは金曜日。イエスは祈り、ペテロは眠り、ユダは裏切る。しかし、日曜日が来る。

It’s Friday. Pilate is struggling. The council is conspiring. The crowd is vilifying. They don’t even know that Sunday is coming.
それは金曜日。ピラトは苦悩し、議会は策謀をめぐらし、群集は中傷する。彼らは日曜日が来ることを知らないのだ。

It’s Friday. The disciples are running like sheep without a shepherd. Mary is crying. Peter is denying. But they don’t know that Sunday is coming!
それは金曜日。弟子たちは羊飼いのない羊のように散った。マリヤは嘆き、ペテロは否む。しかし、彼らは日曜日が来ることを知らない。

It’s Friday. The Romans beat my Jesus. They robe him in scarlet. They crown him with thorns. But they don’t know that Sunday is coming.
それは金曜日。ローマ兵はイエスを打ち、緋の衣を着せ、いばらの冠をかぶせる。しかし、彼らは日曜日が来ることを知らない。

It’s Friday. See Jesus walking to Calvary. His blood dripping. His body stumbling, and his spirit is burdening. But you see, it’s only Friday. Sunday is coming.
それは金曜日。イエスはカルバリに向かって歩む。血がしたたり落ち、イエスは倒れる。そのたましいはあえぐ。しかし、それはまだ金曜日。日曜日が来る。

It’s Friday. The world is winning. People are sinning. And Evil is grinning.
それは金曜日。世は勝利し、人々は罪を犯し、悪がほくそえむ。

It’s Friday. The soldiers nail my Savior’s hands to the cross. They nail my Savior’s feet to the cross. And then they raise him up next to criminals.
それは金曜日。兵士たちは、私の救い主の両手を十字架に釘付ける。その両足をも釘付ける。そして、彼を犯罪人たちの隣に立てる。

It’s Friday. But let me tell you something. Sunday is coming.
それは金曜日。しかし、私に言わせて欲しい、日曜日が来るのだと。

It’s Friday. The disciples are questioning. What has happened to their King? The Pharisees are celebrating that their scheming has been achieved. But, they don’t know it’s only Friday. Sunday is coming.
それは金曜日。弟子たちは当惑する。彼らの救い主に何が起こったのか。パリサイ人らは彼らのたくらみが成し遂げられたことを祝う。しかし、彼らは、それが金曜日にすぎないことを知らない。やがて日曜日が来るのだ。

It’s Friday. He’s hanging on the cross, feeling forsaken by his Father. Left alone and dying. Can nobody save him? Oh, it’s Friday. But, Sunday is coming.
それは金曜日。彼は十字架にかけられる。御父から捨てられ、ひとりで死んでいく。誰もかれを助けることができないのか。それは金曜日。しかし、日曜日が来る。

It’s Friday. The earth trembles. The sky grows dark. My King yields his spirit.
それは金曜日。地が震え、空は暗くなり、私の王はそのたましいをゆだねられた。

It’s Friday. Hope is lost. Death has won. Sin has conquered. And Satan’s just delighted.
それは金曜日。希望は消え、死が勝利し、罪が征服し、サタンが喜んだ。

It’s Friday. Jesus is buried. A soldier stands guard. And a rock is rolled into place. But it’s Friday. It is only Friday. Sunday is coming.
それは金曜日。イエスは葬られる。兵士が墓を守る。岩がそこに転がされる。しかし、それは金曜日。それはただ金曜日。やがて日曜日が来る。


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4/10/2020