さいわいな国

詩篇33:1-22

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33:1 正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。
33:2 立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。
33:3 新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。
33:4 まことに、主のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。
33:5 主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。
33:6 主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。
33:7 主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。
33:8 全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。
33:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。
33:10 主は国々のはかりごとを無効にし、国々の民の計画をむなしくされる。
33:11 主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。
33:12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。
33:13 主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
33:14 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
33:15 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
33:16 王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
33:19 彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
33:20 私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。
33:21 まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。
33:22 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。

 1776年7月4日、イギリスの植民地であった十三の州が会議を開き「独立宣言」を採択しました。それ以来、この日が独立記念日として祝われてきました。7月4日が日曜日にあたるのは、単純に計算すれば七年に一度なのですが、暦の関係で、七年ごとにめぐってくるというわけではありません。前回は1999年7月4日が日曜日でした。次に7月4日が日曜日になるのは6年後の2010年で、その後は、17年後の2021年になります。今日はめったにめぐってこない「独立記念日礼拝」となったわけで、特別賛美に America the Beautiful を歌っていただきました。6年後の2010年には、フラッグセレモニーもできたらいいかなと思っています。

 一、アメリカの自由

 さて、アメリカは、独立以来、南北戦争などの危機がありましたが、順調に発展し、世界有数の国となりました。アメリカは、その国土の広さではシベリヤより小さく、人口密度ではインドに負けますし、歴史の古さでいえば、中国とは比べものになりません。何千年の歴史を持つ国から見れば、わずか228年の歴史しかない国は、まるで赤ちゃんのようなものでしょう。しかし、アメリカはその富と力においては、世界第一の国となりました。アメリカの人口は世界の人口の6パーセントに過ぎませんが、世界の富の60パーセントを握っていると言われています。またアメリカの軍事力は、ずばぬけて大きく、アメリカ以外の世界中の軍隊をあわせても、アメリカにはおばないでしょう。しかし、アメリカがアメリカであるゆえんはその富や力にあるのではありません。建国の父たちがめざしたものは、富や力ではなく、人間にとってもっと大切なもの、自由や平等でした。アメリカがイギリスからの独立を願ったのは、当時のイギリス国王ジョージ三世が、ヨーロッパからの物資の輸入に頼っていた植民地に高い関税をかけたことに反発してのことでしたが、アメリカの独立は、たんに政治的、経済的な理由からだけではありませんでした。独立を願った人々には、世界のどの国にも先んじて自由で平等な国家を作ろうとしたのです。

 独立宣言はこのようなことばではじまっています。「われわれは以下の真理を自明であると信じる。すなわち、すべての人は平等に創造され、ひとりびとりは創造主なる神によって、常に変らぬ、他に譲り渡すことのできない権利を与えられている。これらの権利の中には、生命、自由、幸福を追求する権利が含まれている。」これは、今では当たり前の宣言かもしれませんが、今から二百数十年前には画期的なものでした。アメリカの独立宣言は、フランス革命に大きな影響を与え、その後の世界の国々の模範となりました。この独立宣言の精神は、アメリカ憲法と、憲法の修正条項の中に生かされており、アメリカでは、表現の自由や信仰の自由が保証されています。私たちは、この自由の恩恵をあたりまえのように受けていますが、世界のすべての人がこのような自由を味わっているわけではありません。世界の五分の四の人々は、今も、独裁者や前時代的な法律、身分制度や伝統、あるいは宗教や慣習によって束縛された生活をしていると言われています。イラクにも3パーセントのクリスチャンがいますが、迫害や妨害、いやがらせを受け、イラクにおれなくされ、どんどんと他の国に追い出されていると聞きました。アメリカでは、どの宗教の人もそのような迫害を受けることはありません。アメリカは人々が自由を満喫できる数少ない国のひとつです。The Star-Spangled Banner で歌われているように、アメリカはまさに Land of the Free, Home of the Brave なのです。

 そして、この自由は、特定の人々だけでなく、すべての人に保証されなければならないのです。独立宣言が言うように、「すべての人は平等に創造され、ひとりびとりは創造主なる神によって、常に変らぬ、他に譲り渡すことのできない権利を与えられている」からです。アメリカは、この理念にしたがって、自由とともに平等を追い求めてきました。南北戦争では奴隷が解放され、公民権運動によって差別の壁が崩されました。女性にも参政権が与えられ、原住民や少数者が保護されてきました。もちろん、完全な国家、政府はどこにもなく、アメリカもさまざまな過ちを犯しましたし、今も、失敗をしているかもしれません。しかし、アメリカが、自由と平等を守るために努力してきたことは誇って良いことだと思います。

 二、自由を守るもの

 しかし、自由や平等はたんに政治や権力だけで守ることができるものではありません。政府が自由や平等に価値を置かなくなったら、それはあっけなく消え去ってしまうからです。自由や平等を守るためには、神を信じる信仰が必要です。自由を神が人間に与えた賜物であると信じること、すべての人が、神によって平等に造られたと信じることによって、はじめて、自由や平等を守ることができます。アメリカが自由と平等を守リ続けてくることができたのは、多くの人々が神への信仰を大切にしてきたからです。ある調査によりますと、「信仰が生活や人生にとって大切な役割を果たしているか」という質問に、フランスや日本では、わずか11パーセントや12パーセントの人々しか「はい」と答えていません。英国でも30数パーセントです。しかし、アメリカでは59パーセントの人々が「はい」と答えています。英国の倍、フランスや日本の5倍から6倍にも及ぶ人々が信仰を大切なものと考えています。アメリカでは、90パーセントの人々が「神の存在を信じる。」と答え、神に相当する霊的な存在を信じるという人も加えると、94パーセントにもなります。無神論者、不可知論者と自称する人はわずか1パーセントしかいません。これは4年前の調査ですが、「アメリカの大統領は強い信仰を持っているべきだ。」と答えた人は70パーセントにも及んでいます。このことは、自由や平等という価値が神への信仰によって守られていることを物語っています。しかし、その一方で、社会の世俗化が進み、人々の信仰が表面的なものだけに終わってしまっていることも事実です。そのような時、神はアメリカに、何度か信仰のリバイバルを与えてくださり、アメリカはそのつど神に立ち返ってきました。今、もういちどリバイバルが必要な時に来ています。今朝の聖書にあるように、「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」(12節)とのことばがアメリカに成就するように祈りたいものです。

 第二に、自由や平等は、神への服従によって、はじめて守ることができます。もし、ひとりびとりが自分の自由だけを主張したなら、それは他の人の自由を奪うことになります。自分の権利だけを主張したなら、他の人の権利を損なうことになります。そういう社会は決して自由でも、平等でもありません。本当の自由とは、好き勝手なことををすることではなく、他の人の自由や権利を尊重することです。これは、誰もが知っていることですが、神を信じることなしにはできないことで、神への信仰がなかったなら、自由主義の国々は、その自由のためにもっと混乱していたでしょう。

 実は、聖書の中にも、アメリカの独立宣言に匹敵する、霊的な「独立宣言」があります。ガラテヤ人への手紙5:1です。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」キリストを信じるまで、私たちは、罪に縛られ、死の恐れを持ち、不平不満や絶望に閉じ込められ、さまざまな迷信や占いの霊などに囚われていました。みなさんも、以前は、「神を信じ、イエス・キリストを自分の主として受け入れるなどというのは、何かに縛られた窮屈な生き方で、主体性を失うことだ。」と考えていたかもしれません。ところが、自分の思い通りに生きているはずなのに、いつも何かに縛られているように感じなかったでしょうか。人は、キリストを信じるまでは、自分の過去にまた心の傷に縛られ、囚われており、本当の自由を体験していないのです。キリストが来てくださったのは、私たちを縛っている一切のものから解放するためでした。キリストは私たちに自由を与えるために十字架の束縛を受け、私たちに神の祝福を与えるために、十字架ののろいを引き受けてくださったのです。キリストのいのちによって贖いとられた自由、神の子としての特権を、誰にも奪われてはならないと、聖書は教えているのです。

 しかし、聖書は同時に、こうも教えています。同じガラテヤ人への手紙5:13です。「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」ある人々は、自由をはきちがえて、自分の欲望を満たすために好き勝手なことをしても良いことと考えていますが、本当の自由はそのようなものではありません。聖書の教える自由、キリストが与えてくださった自由は、好き勝手をする自由でなく、神に仕えるため、また他の人の仕えるために喜んで制限することのできる自由です。今朝の America the Beautiful の歌にも、"God mend thine every flaw, confirm thy soul in self-control, Thy liberty in law." (神があなたのすべての欠陥を修復してくださるように。自制のうちに自分を保ち、法律の中に自由を見出しなさい。)と歌われていました。アメリカ人ほど、独立心に富んだ人々はありません。時には、自己主張が過ぎる場合もあるかもしれません。しかし、アメリカには、自分を主張するとともに、他の人々のために喜んで、時間をささげ、労力を捧げ、財産を捧げる人々が大勢います。アメリカほど、数多くの宣教師、また国際支援のボランティアを世界中に派遣している国はありません。全世界の宣教師の四分の三、75パーセントはアメリカ人です。また一般市民も、四人のうち三人は喜んでチャリティのための募金に応えています。仕える自由、与える自由を知っている国、また人々はさいわいです。

 第三に、この自由は、自らの力によってだけでなく、神への信頼によって守られるものです。アメリカは、世界第一の軍事大国です。英国の軍事予算が400億ドル前後なのにくらべてアメリカの軍事予算は3990億ドルと桁違いに大きく、世界の他の軍隊をすべて集めても、その兵力は、アメリカ軍には勝らないと言われています。アメリカは、自らの独立と自由を守るために、数々の戦争を戦ってきました。今も、アメリカの自由を守り、世界の平和を保つには、これだけの軍事力が必要なのだと言われています。その是非について私は評論する立場にありませんが、聖書は、「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。」(16-17節)と言っています。アメリカがもし自らの力に頼り、その軍事力にまかせて何かをしようとするなら、きっと手痛い打撃をこうむるでしょう。どんな場合でもまず、神に信頼してはじめて、勝利があり、前進があるのです。ジョージ・ワシントンは「神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能である。」と言って常に神に助けを求めました。彼がヴァレー・フォージで、馬から降り、雪道にひざまづいて祈っている絵がありますが、その絵は、アメリカが常に神への信頼によって導かれてきたことをを思い起こさせてくれます。憲法が作成される時も、議員たちが祈りの時をもってその作業を進めたほどです。

 「独立宣言」はその最後を、「この宣言を支持するために、われわれは神の摂理の守りにかたく信頼しつつ、われわれの生命、財産、神聖なる名誉をささげることを、相互に誓うものである。」とのことばで結んでいます。アメリカの独立は、神の守りなしには達成されないと言っているのです。独立宣言を作成したアメリカ建国の父たちは、ほんとうの独立とは、何者にも頼らず「独り立つ」というものではなく、神への信頼によってもたらされると信じていました。私たちも、同じ信仰が必要です。私たちは、仕事を失うのではないかという不安、病気になったらどうしょうという心配を持ち、人間関係の悩みや生活の気苦労などに一喜一憂しています。自分の力でなんとかしようとすればするほど、回りの状況に振り回されたり、他の人に振り回されたりしてしまいます。神を信じることによって、そうしたことから解放されていこうではありませんか。ほんとうの独立 Independance は、神への信頼 Depndance と、他の人々との相互信頼 Inter-dependance によって与えられるのです。神が私たちの自由と独立を支えてくださり、神が人と人のきずなを育ててくださるのです。詩篇33:18に「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」とあります。「主を恐れる」とは神に頼るという意味です。神は、神に頼るものをいつくしみをもって見守ってくださいます。ですから、私たちも、こころを神に向けましょう。その時、私たちは、神によって造られた存在として価値あるものであることを知ることができ、わたしたちを束縛していたさまざまなものから解放され、進んで神と人とに仕えることができるようになるのです。アメリカが「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。」と言われ、アメリカに住む者たちが、「幸いなことよ。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」と言われるよう、心から祈りましょう。

 (祈り)

 全世界を治め、その歴史を導いておられる主よ。あなたは、この時代に、この国をつくり、ここに住む者たちを祝福してくださっていることを感謝いたします。今朝の詩篇にありますように、神を求める者たちが、あなたに向かって、「私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。」と言い、神を知る者たちが「まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。」と告白することができますように導いてください。あなたへの信頼によって、与えられた自由を守り、また、あなたへの愛によって、その自由を正しく用いる私たちとしてください。主イエス・キリストによって祈ります。

7/4/2004