God Bless America!

詩篇33:12-18

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33:12 幸いなことよ/主を自らの神とする国は。/神がご自分のゆずりとして選ばれた民は。
33:13 主は 天から目を注ぎ/人の子らをすべてご覧になる。
33:14 御座が据えられた所から/地に住むすべての者に目を留められる。
33:15 主は 一人ひとりの心を形造り/わざのすべてを読み取る方。
33:16 王は 軍勢の大きさでは救われない。/勇者は 力の大きさでは救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならず/軍勢の大きさも救いにはならない。
33:18 見よ 主の目は主を恐れる者に注がれる。/主の恵みを待ち望む者に。

 アメリカでは、公の場でのスピーチを終えるとき、スピーチをした人は、必ずといって良いほど、“God Bless America!” と言います。「神がアメリカを祝福してくださるように」という意味です。アメリカでは神への信仰と、国に対する愛が自然な形で溶け合っています。ほとんどの教会には、教会の旗(クリスチャンフラッグ)と星条旗とが置かれており、5月第一木曜日は「全米祈りの日」(National Day of Prayer)として定められいます。この日、大統領は「布告」(Proclamation)を出して、人々にアメリカのため祈るよう励ますことが法律(Public Law 100-307)によって定められています。

 今年、ホワイトハウスから出されたものにはこうありました。「戦場で軍人に慰めをもたらし、宇宙飛行士の精神を宇宙に定着させ、愛する人を世話する医療従事者の癒しの手を導き、アメリカの至るところで礼拝を捧げている何百万もの人々の信仰を強めるなど、アメリカ人の生活のあらゆる側面で、祈りが、どんなに、静かに影響を与えてきたかを、私たちは完全に知ることはできない。」「祈り」、言い換えれば、神への信仰がアメリカ人の生活の中に溶け込んで、アメリカを形造ってきたことは事実です。

 今週、私たちはアメリカの独立記念日を迎えますので、今日は、普段と違ったメッセージをお届けします。アメリカの歴史を振り返り、私たちの信仰と生き方を聖書に照らして考えてみたいと思います。きょうは、アメリカのごく初期の歴史をとりあげます。その後の歴史については、機会のあるごとにとりあげてみたいと思っています。

 一、信仰

 アメリカは1776年の建国から、まだ250年も経たない「若い国」ですが、そのルーツは1600年代にイギリスからやってきた移民たちにあります。ジェームス一世(1603-1625)の時代のイギリスは、とても不景気で、職を失った人が大勢いました。また、天候不順のため農作物が不足していました。そのうえ、地主たちは羊毛供給のため農地を牧場にしてしまい、農民を追い出しました。

 経済的理由に加えて、政治的な圧迫や信仰的な迫害もありました。1517年ドイツで起こった宗教改革はヨーロッパの各地に広がり、イギリスにも及びました。しかし、イギリスでの改革は、国王ヘンリー八世(1509-1547)の離婚問題に端を発したもので、決して信仰的なものではありませんでした。それで、英国教会の信仰的な改革を求める人たちが起こりました。それが「ピューリタン」(清教徒)と呼ばれる人たちでした。しかし、国王は彼らを弾圧しました。1620年、メイフラワー号に乗ってアメリカに来たのは、英国で迫害を受け、オランダに亡命していたピューリタンの小さなグループの人たちでした。 メイフラワー号の104名の乗客のうち、男17名、女10名、子供14名、合計41名がピューリタンでした。

 メイフラワー号が最初向かったのは、バージニアでした。そのころ、バージニアには、すでに英国の植民地ジェームズタウンがあり、のちに人々は、そこから、もっと地の利を得たリッチモンドに移り、そこには1万4千人もの人々がいたのですが、多くの人が病気で亡くなったり、先住民に襲われたりして、1620年ころには千数百人に減少していました。それに町の秩序も乱れていました。

 それで、メイフラワー号のピューリタンたちは、船の中で誓約を結びました。それにはこう書かれていました。「神の名においてアーメン。われらの統治者たる君主、また神意によるグレート・ブリテン、フランスおよびアイルランドの王にして、また信仰の擁護者なるジェームズ陛下の忠誠なる臣民たるわれら下記の者たちは、キリストへの信仰の増進のため、およびわが国王と祖国の名誉のため、バージニアの北部地方における最初の植民地を創設せんとして航海を企てたるものなるが、ここに本証書により、厳粛に相互に契約し、神およびわれら相互の前において、契約により結合して政治団体をつくり、もってわれらの共同の秩序と安全とを保ち進め、かつ先に掲げた目的の遂行のために最も適当なりと認むべきところにより、随時正義公平なる法律命令を発し、かく公職を組織すべく、われらはすべてこれらに対し当然の服従をなすべきことを契約す。」この人たちは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれるようになりましたが、ごくわずかな人たちが、将来を見据え、自分たちに続いて移住してくる人々のために自治政府を作ることを宣言しているのは、驚くべきことです。歴史家たちは、この誓約(Plymouth Compact)にアメリカ独立の精神がすでに見られると言っています。そして、その精神は、神への信仰から来たものでした。

 二、友愛

 比較的温暖なバージニアを目指していたメイフラワー号でしたが、嵐に巻き込まれ、漂流してたどり着いたのは、今のマサチューセッツ、ケープコッドの先端でした。彼らはケープコッド湾を調べ、先住民が捨てていったところに住むことにし、そこを「プリマス」と名付けました。そのときすでに11月でしたので、寒さを防ぐため、人々は3月まで船の中で過ごしました。人々はプリマスに定着しようとしましたが、イングランドの都会育ちの人たちが、田畑を耕しても、十分な食べ物を得ることができませんでした。イギリスから持ってきた小麦の種は新大陸の荒れた土地や厳しい気候では芽を出すことがなく、無駄になりました。それに、彼らは森に行って狩りをすることも知りませんでした。イギリスでは狩猟は貴族だけのものであり、一般の人々が獲物を銃で撃つことは罰金や処罰の対象でしかなかったのです。

 そんな彼らを救ったのが、先住民のワンパノアグ族でした。入植者は、ワンパノアグ族を敵対する部族から守ることと引き換えに、ワンパノアグ族の土地にとどまることを許されることになりました。そのとき首長マサソイトが連れてきた通訳がティスクアンタムでした。入植者たちは、彼を「スクワント」と呼びました。

 スクワントが英語を話すことができたのは、誘拐され、奴隷として売られるところを助けられ、イギリスで過ごしたことがあるからでした。スクワントはロンドンの商人に助けられて自分の部族のところに戻ってきましたが、彼の部族はすでに全滅していました。それで、スクワントはワンパノアグ部族と一緒に暮らすことになり、ピルグリムたちとの交渉の通訳となったのです。

 スクワントは、トウモロコシを魚と一緒に植えるとそれが肥料になってよく育つことなど、その土地にあった農作物の育て方を教えました。魚の釣り方、貝の採り方、森の中を音を立てずに移動して獲物を狩る方法なども教えました。スクワントの手助けがなかったら、プリマスの人たちは誰一人生き残れなかったに違いありません。スクワントの通訳によって先住民と結ばれた契約は50年以上続きました。プリマス植民地総督であったエドワード・ウィスローは、「今、私たちは、森の中でも、イギリスの大通りを歩くように、平和で、安全でいられる」と書き残しています。

 アメリカにやってきた人たちの中には、乱暴な者たちもあり、先住民との衝突もありました。しかし、マサチューセッツ湾の植民地では、互いが互いを尊重し、先住民と共存することができました。スペインやフランスなどと違って、英国からの移民たちは国家の後ろ盾がなく、民間の開発会社との契約でアメリカにやってきましたので、彼らは軍隊を持ちませんでしたし、本国の軍隊に先住民を追い払わせて土地を得たのでもありませんでした。あくまでも平和的な方法で、荒れ地を農地に変え、産業を起こし、町を作っていったのです。

 ただ、先住民には「土地所有」という概念がなかったので、文化的、制度的な違いから、後に、争いが起こり、先住民強制移住が起こったことは、アメリカの歴史で禍根を残すものとなりました。けれども、プリマスの人たちとスクワントとは友愛で結ばれ、スクワントは生涯、ピルグリムたちと共に過ごしました。

 三、祝福

 その後、英国では、ジェームス一世のあとを継いだチャールズ一世によるピューリタンへの迫害が強くなったので、マサチューセッツ湾岸には、多くのピューリタンたちが来るようになりました。この地域の総督であったジョン・ウィンスロップは、「山の上にある町」というスピーチを残しています。これは、マタイ5:14-16のイエスの言葉がもとになっています。聖書にこうあります。「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」ウィンスロープのスピーチは、新世界での町づくりは、たんに自分たちの幸いを追求するためだけのものではなく、神のみこころに従い、互いに重荷を負いあい、愛で結ばれたものでなければならないというものでした。

 このように、アメリカでは植民地時代から神への信仰と互いの友愛が尊重されていました。しかし、本国のようにそれを「国教」(国家宗教)として人々に強制することはありませんでした。キリスト教はアメリカの「国教」ではありません。信仰は強制するものではありませんし、強制されたものは信仰ではないからです。人々の信仰や愛の模範が「山の上の町」のように人々に見られ、ランプスタンドの明かりのように、人々に感化を与え、アメリカが神の祝福に留まることを目指したのです。

 “God Bless America!” の「祝福」はヘブライ語で「エシェル」です。じつは、詩篇はこの言葉で始まっています。詩篇1:1には「幸いなことよ/悪しき者のはかりごとに歩まず/罪人の道に立たず/嘲る者の座に着かない人。」詩篇2:1には「幸いなことよ すべて主に身を避ける人は」、詩篇32:1には「幸いなことよ/その背きを赦され 罪をおおわれた人は」とあり、今日の箇所、詩篇33:12には「幸いなことよ/主を自らの神とする国は」とあります。同じような表現は聖書の最後の書物「ヨハネの黙示録」に至るまで繰り返し出てきます。イエスが言われた「心の貧しい者は幸いです」、「悲しむ者は幸いです」、「柔和な者は幸いです」などとあるのも(マタイ5:3-11)、言葉の順序どおりに訳せば、「幸いなことよ、心の貧しい者」、「幸いなことよ、悲しむ者」、「幸いなことよ、柔和な者」となります。しかも、これらの「幸い」は、人間的な「ハッピー」ではなく、神から来る「祝福」を指します。英語の “happy” は “happen” から来た言葉で、何か良いことが起こったから幸せを感じる、嫌なことがあったから幸せでなくなるという、状況に左右されるものです。しかし、「祝福」は神からのもので、状況に左右されないもの、常に私たちのたましいを満たしてくれるものなのです。

 「幸いなことよ/主を自らの神とする国は。」私たちは、神を信じ、互いに愛し合う人々が増え、この国が「山の上の町」となれるよう祈っています。そして、“God Bless America!” とアメリカの祝福を心から祈ることができるためにも、聖書の教える幸いを知り、祝福の道を学び、その道に歩むことができるよう、願い、求めたいと思います。

 (祈り)

 主なる神さま、アメリカは短い歴史しか持たない国ですが、この国の歴史をふりかえるとき、そこに、あなたの特別な取り計らいがあったことを知ります。建国の父たちが保とうとした信仰や友愛、そして、なによりも、あなたからの祝福を、私たちも求めていくことができますよう、導き、助けてください。私たちの主イエス・キリストのお名前で祈ります。

7/2/2023