母の涙

詩篇126

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126:1 【都もうでの歌】主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。
126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
126:4 主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

 「母の日」は、今から百年ほど前の1907年5月10日、ヴァージニア州グラフトンの教会で行われたアン・ジャーヴィスの記念会から始まりました。アン・ジャーヴィスは、衛生状態が悪く病気になる人たちが多かった時代に、母親たちが衛生上の知識を持ち、公衆衛生の向上のために働くことができるようにと、「マザーズ・デーワーク・クラブ」というものを各地に作りました。このクラブは南北戦争のときには敵味方の区別なく困窮した兵士たちを助けました。彼女は南北戦争の後「マザーズ・フレンドシップ・デー」を提唱して、南北の和解を助けました。また、彼女はグラフトンの教会の建設にかかわり、その教会学校で25年間、子供たちを教えました。

 娘のアナが記念会で母親の思い出を話したところ、人々は大きな感銘を受け、翌年の5月10日がちようど日曜日なので、この日の礼拝を「母の日」礼拝にすることにしました。1908年5月10日の礼拝には、アン・ジャービスが教えた教会学校の生徒407名と、その母親が出席しました。娘のアナはこの礼拝に出ることができませんでしたので、教会に集まった母親たちのため500本の白いカーネーションを贈りました。こうして5月の第2日曜日が母の日となり、カーネーションが母の日の花となったのです。

 今年(2015年)の「母の日」は最初に母の日礼拝が行われたのと同じ5月10日になった記念の年です。教会からはじまった「母の日」を、こうして教会で守ることができるのは、とても意義深いことです。

 一、母の涙

 「母の日」には、母親が大切にされ、感謝され、その労がねぎらわれます。それは、もしかしたら、母親がふだんはあまり感謝されていないからかもしれません。せめてこの日くらいはその労苦をねぎらおうというのかもしれません。

 子どもがちいさいうちはただかわいがってあげるだけで、そんなに大きな悩みを体験しないかもしれませんが、子どもが大きくなるにつれて、母親の悩みも大きくなってくるものです。子どもは大きくなると、母親をうるさく思ったり、反抗したり、中にはさげすんだりすることもあります。そのため、母親は人知れず涙を流すこともあることでしょう。実際、子どものために涙を流さなかった母親など、誰ひとりいないと思います。

 夫婦が愛しあい、子どもが両親を尊敬する「理想的な家庭」、それは誰もが求めているのですが、そういう家庭はめったにあるものではありません。外から見て、うらやましく思える家庭があったとしても、一歩その中に踏み込むと、どこの家庭にもさまざまな問題や課題があります。

 1977年に Dobson 博士がはじめた "Focus on the Family" というミニストリーがあります。聖書の教えに従って家庭を築きあげていこうという運動です。Dobson 博士がこのミニストリーのプレジデントを引退して、Jim Daly 氏がその働きを引き継ぎました。わたしが毎年参加していた牧師昼食会に、Daly 氏が招かれ、わたしは、直接、そのお話を聞く機会を与えられました。Daly 氏は 5歳のとき、アルコール依存症の父親から捨てられ、9歳のとき母親をなくし、孤児になりました。その後、フォスター・ファミリーに引き取られたりしましたが、兄といっしょに生活するようになる、高校のシニアまではひとりで生活をしていました。Daly 氏は「わたしは dysfunctional family の出身です。しかし、dysfunctional family も family です。わたしたちの団体、Focus on the Family は family が少しでも前進していけるためのサポートを提供したいと願っています」と話してくださいました。問題や課題をもっていて、きちんと機能していない家庭を dysfunctional family と言うのですが、現代の家庭の多くは dysfunctional です。しかし、それでも、それは「家庭」です。子どもたちが育ち、慰めと励まし、安らぎを得る場は「家庭」以外にはありません。母親たちは、ホームビルダーとして、家庭を築きあげるため、多くの涙を流してきました。母親たちの涙が家庭を作ってきたといっても良いでしょう。

 二、主イエスの涙

 しかし、「母の涙」が大きな働きをするといっても、涙そのものに力があるわけではありません。その力は、その涙を見ていてくださるお方の力なのです。わたしたちは、辛い時、悲しい時、やりきれない時に涙を流します。時にはわけもなく涙があふれてしまう時もあります。しかし、そんなときも、神は、わたしたちが流す涙を見ていてくださいます。その涙のわけを知っていてくださり、涙をもって神に願い求める者に答えてくださるのです。

 聖書にはそんな例が数多くあります。サムエルの母親となったハンナが神殿で泣いて祈ったとき、神はその涙をご覧になり、ハンナの祈りを聞かれました(サムエル上1:10、19、20)。ヒゼキヤ王は病気になって死を宣告されたとき、泣いて神に嘆願しました。すると神は「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたのよわいを十五年増そう」と言って、ヒゼキヤの祈りに答えてくださいました(イザヤ38:1-6)。今朝の聖書、詩篇126:5-6には「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう」と書かれています。

 新約聖書では、主イエスが涙と嘆きをもって父なる神に祈られたことが記されています(へブル4:7)。主イエスは、ご自分の友ラザロが死んだとき、ラザロのために涙されました。「イエスは涙を流された」(ヨハネ11:35)。これは、聖書で一番短い節です。しかし、なんと心を打つ一節でしょう。人々が信じている数多くの神々の中で、いったい、どの神々が人間のために涙を流してくれるのでしょうか。おそらく、そのような神々はほとんどないと思います。しかし、主イエスは、人と共に泣いてくださるお方、人のために涙を流してくださる神です。このお方が、私たちの涙の祈りを聞いてくださらないわけがありません。

 そればかりでなく、主イエスはわたしたちの涙を拭い、涙を喜びに変えてくださるお方です。主がナインという町を通りかかったときのことです。そこに、夫を亡くし、寡婦となった女性がいました。その彼女がひとり息子を亡くし、息子を葬ろうとしているときでした。イエスは彼女に「泣かないでいなさい」と言われ、棺に手をかけ、「若者よ、さあ、起きなさい」と言って、亡くなった息子を生き返らせてくださいました(ルカ7:11-17)。「泣かないでいなさい」というのは、言葉だけではありませんでした。主イエスはそのお力によって、もう泣かなくてもよいようにしてくださったのです。彼女の涙を喜びに変えてくださったのです。

 聖書の最後の書物、ヨハネの黙示録にはこんな慰めに満ちた言葉がしるされています。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3, 4)。わたしたちには、わたしたちの涙を見て、知っていてくださる神、わたしたちのために涙を流してくださる神、そして、わたしたちの目から涙を拭ってくださる神がおられます。ですから、この神の前で流す涙は無駄にはならないのです。涙とともにささげる祈りは必ず聞かれるのです。

 三、涙の祈り

 「母の涙」ということで、一番有名なのは聖アウグスティヌス(St. Augustine of Hippo)が『告白』(Confessions)に書いた「涙の子は滅びない」という言葉でしょう。アウグスティヌスは、354年11月13日、北アフリカのタガステ(現在のアルジェリア)という町で生まれました。幼いころから類まれな才能を発揮し、ローマに留学し、優秀な学者になりました。しかし、その間、マニ教という宗教に入ったり、ふしだらな生活をしたりして、神から遠く離れていました。そのころ、ローマ近郊のミラノにアンブロジウスというすぐれた司教がいましたが、アウグスティヌスは彼の説教に魅せられ、教会に通うようになりました。そして、ついに回心の体験をし、387年のイースターにバプテスマを受けました。バプテスマを受けたアウグスティヌスは今までの生活をすべて精算し、故郷に帰って、修道生活を始め、教会の指導者となり、生涯、主に仕えました。アウグスティヌスは、数多くの著作を遺し、今日の神学の基礎を作った人物として、カトリック、プロテスタントの両方から敬愛され、哲学、思想の分野でも偉人として認められています。

 このアウグスティヌスの回心の陰には、母モニカの涙の祈りがありました。モニカはクリスチャンの家庭の出身でしたが、クリスチャンでない夫と結婚しました。ローマにいる息子アウグスティヌスのことばかりでなく、夫の暴力や浮気にもずいぶん悩まされました。しかし、モニカは夫のため、息子のための祈りを欠かしませんでした。モニカの夫のための祈りは聞かれ、夫は、死の数年前に回心して、クリスチャンになりました。

 夫の死後、モニカは、そのころミラノにいた息子のところにやってきました。モニカは、その町で、司教に「息子に会って、マニ教の間違いを指摘してやってください」と頼みました。ところが司教の答えはこうでした。「息子さんをそのままにしておきなさい。けれども、ひたすらに彼のために主に祈りなさい。息子さんは彼らの書物を自分で読んでいるうちに、それが何という誤謬であるか、何という大きな不敬虔であるかを、いつか悟るでしょう。」 けれども、モニカはまだ安心できず、さめざめと涙を流しながら、息子と会って話してくれるよう、強く司教にせがみました。そのとき司教はこう言ったのです。「さあ、お帰りなさい。大丈夫ですよ。このような涙の子が滅びるはずはありません。」(『告白』第三巻十二章)この言葉のとおり、アウグスティヌスはイエス・キリストに立ち返り、救われました。モニカの息子のための17年間の祈りがついに聞かれたのです。「涙の子は滅びない。」これは真実な言葉です。

 母の涙は無駄にはなりません。それは必ず、報われます。子どものことで、家族のことで、その他さまざまなことで、母親は涙を流すでしょう。その涙を神の前で流しましょう。神の前でこそ、わたしたちは安心して涙を流すことができます。そして、そこで、わたしたちは神の救いと助けを見るのです。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」この言葉のとおりに、涙が喜びへと変わる恵みを受けるのです。

 (祈り)

 父なる神さま、わたしたちに母親を与えてくださったことを感謝します。きょうの「母の日」ばかりでなく、つねに聖書に教えられて、母への感謝を持つことができますように。また、さまざまなことで涙を流す母親たちを顧みてください。おひとりびとりが、その涙の中から、あなたに祈り、求め、あなたによって涙を喜びに変えていただく体験へと導かれていきますように。主イエスのお名前で祈ります。

5/10/2015