有益な人生

ピレモン1:8ー14

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1:8 私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、
1:9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
1:11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
1:13 私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
1:14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。

 グリムの童話にこんな話があります。「神さまは最初、ロバと犬と猿にそれぞれ30年づつの寿命を定めました。ところがロバは神さまに願いました。「神さま、30年は長すぎます。わたしは朝から晩まで、重い荷物を運ばなければなりません。ぶたれたり、けられたりして、こきつかわれるばかりです。どうか、寿命をもうすこしへらしください。」神さまは気のどくに思って、ロバの寿命を18年にしました。

 次に犬が願い出ました。「神さま、わたしの足は30年も走れるほど丈夫ではありません。しかも、ほえる声が出なくなって、噛みつく歯もぬけてしまったら、いったい何ができましょうか。」神さまは犬の言うことも、もっともだと思って、犬の寿命を12年にしました。

 つぎに、猿がやってきました。「おまえはたぶん、30年生きたいと思うだろうね。おまえはロバや犬みたいに働かなくてもいいし、いつも楽しそうにしているからね。」そう神さまが言うと、猿は答えました。「わたしは、いつも人を笑わすために、おかしなイタズラをしたり、ヘんな顔をしたりしなければなりません。しかも、人からリンゴをもらっても、噛んでみるとすっぱかったりするのです。30年も、こんなふうに暮らすのはとてもがまんできません。」そこで神さまは、猿の寿命を10年にしました。

 最後に、人間が来ました。「お前の寿命も30年ということにしよう。それでよいね。」と神さまが言うと、人間は大きく首を横にふりました。「30年とは、なんて短い寿命でしょう。やっと自分の家を建てて、自分の家のかまどで火が燃えるようになったばかりで、死ななければいけないのですか。花がさいたり実がなったりする木を植えて、やっとこれから人生を楽しもうというときにですか。お願いです。神さま、寿命をのばしてください。」神さまが「では、ロバの寿命の18年をたしてやろう。」というと、「18年たしても48年です。それではたりません。」と、人間は答えました。「では、犬のぶんの12年もやることにしよう。」「まだすくなすぎます。」「それでは、猿のぶんの10年もたしてやろう。」神さまはこうして人間に70年の寿命を与えました。はじめの30年は、人間そのものの寿命です。その次にくるのが、ロバの18年間で、この間、人はいろいろな重荷を背負わされます。そして次に犬の12年がやってきます。この間、人は足腰がよわくなり、ものを食べる歯も抜けていくのです。この12年が終わると、最後にくるのがサルの10年です。いつも楽しそうにしていますが、だんだんと頭がにぶくなり、笑われるつもりはなくても、おかしなことをして笑われてしまいます。これが、人間の一生です。」

 これは平均寿命が70年だったころのお話で、今ではこの話は通用しなくなったかもしれません。それでも、学生時代は勉強に追われ、結婚してからは家庭やこどものために忙しく、やがて会社から与えられた重い責任のために苦労し、リタイアしてやっと自分の人生を楽しもうというときには、気力も知力も健康も衰えてしまっているということは今もあると思います。もっと別の生き方があったのでは、自分の人生は無益なものだったのか、年をとって人の世話になるばかりで、自分は誰の役にも立っていないのでは、などと考え込んでいる人も少なくはないと思います。今は若くて力にあふれている人も、やがて必ず年をとり弱っていきます。若い人たちにも、後で嘆くことのない人生を送るために、若いうちにしておかなければならないことがきっとあるはずです。今朝もピレモンの手紙からそのことを学ぶことができたらと思います。

 一、年老いたパウロ

 ピレモンへの手紙は、使徒パウロが、ピレモンの奴隷オネシモのことでピレモンに書き送った手紙です。ですから、この手紙の受取人ピレモンから、この手紙の差出人である使徒パウロから、手紙の主題となっている奴隷オネシモから、大切なレッスンを受け取ることができます。先週は、ピレモンから学びましたので、今朝はパウロから、二つのことを学びましょう。第一に、神を信じるものは「老いる」のではなく「成熟」するということ、第二に、キリストに従う人生こそ有益な人生であるということです。

 9節で、パウロは自分を「年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロ」と呼んでいます。パウロは自分で自分のことを「年老いた」と言っていますが、このことばには、パウロの労苦がにじみ出ているような気がします。

 パウロはもとはクリスチャンを迫害する過激派のリーダでした。イエスは死んでもう世にはいない。そのイエスを神とあがめるのは冒涜であると考え、クリスチャンを迫害していました。このパウロが復活し、天に帰られたキリストご自身に出会い、キリストが永遠に生きておられる神であることを知りました。そして彼はキリストを迫害する者からキリストを宣べ伝えるものへと変えられたのです。パウロは、アンテオケ教会の牧師として15年近く働いた後、およそ13年にわたる宣教旅行をなしとげ、いたるところに教会を築きあげました。しかし、エルサレムで捕まえられ、カイザリヤで2年間幽閉されたあと、ローマに囚人として送られました。ネロがローマの皇帝だったときで、紀元60年の冬から翌年61年のことでした。パウロはこのあと、ローマで2年間、未決囚として監禁されますが、人々はパウロを自由に訪ねることができたようです。

 ピレモンへの手紙は、パウロが未決囚としてローマにいた2年間のあいだに書かれたものです。パウロが回心のとき40歳だったとしたら、この時点では70歳になっていましたから、パウロが自分で「年老いた」と書いても不思議ではありません。パウロには持病があり、長期間の旅行は彼の肉体を痛めたことでしょう。その上、彼は、各地で受けた迫害の鞭打ちの傷も持っていました。また、パウロは自分が指導してきた教会のためにいつも心を配っていましたから、心を休める暇もなかったかと思われます。そんな苦労によってパウロは年齢よりも老け込んでいたかもしれません。しかし、肉体は衰えていても、彼の精神は衰えていませんでした。このときパウロは、釈放されたらスペインにまで行って伝道したいと願っていたほどです。その情熱は衰えることなく、むしろ年月とともに高められていったのです。

 私は本田弘慈先生、羽鳥 明先生、渡邊暢雄先生などのすぐれた伝道者に学ぶことができたことを感謝しています。こうした先生方も同じように衰えない情熱の人でした。本田先生は、伝道集会で福音を語るだけでなく、電車の中でも隣に座った人にすぐにトラクトを差し出して伝道する人でした。世を去る直前まで日本の救いのために働き続けました。羽鳥先生も自分が心臓の手術を受けたばかりなのに、同じ病室にいた人を訪ねて伝道する人でした。渡邊先生もホームレスの人々のために、暑い日も寒い日も河原に立ち、声を枯らして福音を語り、人々を霊的・実際的に助けています。若いときのように手広い奉仕はできなくても、多くの高齢の先生方が、長い奉仕の年月によって養われたものをもって、さらに豊かで深い奉仕を主にささげています。先日、日本のプロテスタント伝道150周年記念のビデオを観ましたが、100歳で現役の伝道者が、「わたしはわずか100歳にすぎません。」と言いながら、情熱にあふれたあかしをしていて、とても感服いたしました。

 パウロはコリント第二4:16で「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」と言っています。パウロが「年老いた」と言ったのは外側のことだけで、パウロの内面は違っていました。肉体の老化を加速させるようなさまざまな労苦のもかかわらず、パウロの内面は日々、新しくされていたのです。神を知る人は年齢とともに老けるのではありません。年齢とともに成熟していくのです。「老化」ではなく「聖化」されていくのです。

 二、オネシモを生んだパウロ

 パウロは続けて「獄中でオネシモを生んだ」(10節)と言っています。ここで「生んだ」と言うのは、もちろん、実際の出産のことを言っているわけではありません。イエス・キリストを信じて、聖霊によって生まれかわることを言っています。イエス・キリストを信じる者は、神の子どもとされ、神はその人の父となってくださいます。それで、神は「父なる神」と呼ばれるのですが、他の人をキリストに導き、その信仰の成長のために働く人も、霊的な「父」あるいは「母」と呼ばれます。パウロは、オネシモを信仰に導き、彼の信仰をみことばによって育てました。パウロはオネシモを父のようにして導き育てたので、パウロはオネシモを「獄中で生んだわが子オネシモ」と呼んだのです。

 しかし、人をキリストに、また正しい信仰に導くというのは、けっして簡単なことではありません。パウロはガラテヤ4:19で「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」と言っています。ガラテヤのクリスチャンは最初、パウロをまるで天使かキリストご自身であるかのようにして受け入れ、パウロを愛し、その教えに聞き従いました。ところが、パウロが去ったあと、違った教えを教える人たちがやってくると、ガラテヤの人々はその人たちに傾倒し、パウロをないがしろにし、その教えから離れてしまったのです。それでパウロは、ガラテヤの人々を正しい教えに導き返そうとしたのです。パウロはその努力を「産みの苦しみ」と言っています。男性が「産みの苦しみ」などというのはおかしなことかもしれませんが、このことばは人をキリストに導き、その信仰のために働くことは、出産と子育てに匹敵するほどに大変なことであることを表わしています。

 ふつう、子どもを生むのは若い人です。同じように、人々をキリストに導き、その信仰のために奉仕するのも、若い時のほうがよくできるかもしれません。実際パウロも、40代、50代の働き盛りのときは、多くの人を導きました。しかし、年を重ねたら、もう伝道の奉仕はできなくなるのかというと、そうではありません。「年老いた」パウロも、「獄中」というきわめて制限された環境の中で、人をキリストに導き、その信仰を育てることができました。パウロは年老いても「霊的なこども」を産んでいるのです。聖書は老人が子どもを生むという奇跡を教えています。アブラハムは100歳、妻のサラも90歳、医学的にはこどもが生まれることなど不可能なふたりに、神は約束の子どもを与えました。アブラハムが信じた、同じ全能の神を信じるクリスチャンも同じように、どんなに年齢を重ねても「霊的なこども」を産み続けることができるのです。私は、どこの教会でも、年配のクリスチャンが若い求道者の霊的な父となり母となり、よく祈って導いてあげている姿を見てきました。年配になって車を運転できなくなっても、信仰に導きたいと願っている人を自分の家に招いて、聖書を教え、祈ってあげるということを続けている人もいます。たとえ、病院のベッドに横たわるようになったとしても、見舞いに来てくれる人たちとみことばを分かち合っている人もいました。そのようにして、ひとりがひとりを確実に導くことができたら、伝道がどんなに進むことでしょうか。

 パウロが導いたオネシモは、ピレモンの奴隷でした。ピレモンは神に愛され、使徒パウロの同労者として働き、多くの人々の心に憩いを与えることのできる人でしたから、オネシモが奴隷の身分であったからといって、クリスチャンでない他の主人たちのようにオネシモを厳しく扱ったとは思えません。クリスチャンの主人たちは奴隷が自分の給料を貯め、それを「贖い金」にして、自由になるのを助けていましたが、ピレモンもそうしていたことでしょう。オネシモはよい主人に恵まれていたのに、どうしたことか、主人のもとから逃げ出してローマにやってきたのです。おそらく、オネシモはピレモンに損害をかけるような大きな失敗をしたため、主人のもとから逃げ出したのではないかと思われます。しかし、どんな理由であれ、当時、逃亡奴隷は死刑になってもしかたがないという規則がありました。ピレモンは、オネシモが彼にかけた損害よりも、オネシモがそんな危険な状態にいることのほうを気にかけていたに違いありません。

 ところが、このオネシモがパウロに出会って救われたのです。当時150万の人口があった大都市ローマで、監禁状態にあったパウロとオネシモが出会うというのは偶然ではありえないことで、それは神のなさった奇跡でした。ローマにはクリスチャンのネットワークがあって、ピレモンもオネシモを探すことと、オネシモのための祈りを、そうしたネットワークに依頼していたことでしょう。オネシモがパウロに出会うという奇跡は祈りの答えとして起こったことかもしれません。祈りは奇跡を呼び起こすものだからです。みなさんが、クリスチャンに出会った、聖書にであった、教会に来るようになったのも、神の奇跡です。この広いアメリカでそんなに数の多くはない日本人が、何かの形でキリストに触れるというのは、不思議なことです。キリストとの出会いはいつも奇跡です。この出会いの奇跡を大切にしてください。キリストにとどまり、キリストにつながっていてください。そうすれば、私たちの人生にもっと大きな祝福の奇跡が起こるのです。

 さて、「オネシモ」という名前には「有益」という意味があります。オネシモは主人ピレモンのもとで、その名前のとおり「有益」な人生を過ごすはずでした。しかし、彼は主人のもとから逃げ出し、「無益」なものになってしまいました。これは、神から離れ、罪の中に生き、無益なものになってしまった人生を象徴しています。ローマ3:10-12に「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」とある通りです。しかし、イエス・キリストは「無益な者」となった私たち罪びとを救い、「有益な者、オネシモ」にしてくださるのです。

 パウロはもともと血筋においても、身分においても、学歴においても誇ることのできるものを数多く持っていました。しかし、キリストを知ったとき、そうしたものを「損失」であり「ガベージ」だと思うようになりました。そうしたものに頼ることが「無益」なことであることを悟ったのです(ピリピ3:4-8)。そして「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1:21)という、キリストを信じる有益な人生を見出しました。そして、自分がその有益な人生を生きるだけでなく、多くの人々を、そして、オネシモを有益な人生に導いたのです。

 年をとるにつれて人生が価値のないものになっていくとしたら、とても悲しいことです。そうではなく、年齢を重ねるにつれてますます価値が加わっていく人生、さらに有益なものになっていく人生を過ごしたいと思いませんか。その人生は、キリストのうちにあります。イエス・キリストを信じる信仰によってそのような人生を始めることができます。それを始めるのに遅すぎることも、早すぎることもありません。年配の方々も、若い人たちも、同じようにキリストを信じる信仰を求めましょう。信仰の成長、成熟を目指していきましょう。そのとき、私たちの人生は有益なものとなり、有益なもので満たされるのです。

 (祈り)

 私たちの父なる神さま、私たちは主であるあなたから離れ無益な人生を送ってきました。しかし、あなたはイエス・キリストによって、私たちを救い、私たちの人生を有益なものとしてくださいました。今日、ここに有益な人生を送りたい、さらに有益なもので満たされた人生を体験したいと願っている人々が集まっています。年配のかたがたに、年齢を重ねるにつれてさらに成熟していく人生をお与えください。そのような人生のために、若い人々が今、信仰とみことばによって良い基礎を築くことができるよう助けてください。主イエスのお名前で祈ります。

10/18/2009