ゴールデン・ルール

マタイ7:12

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7:12 ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。

 一、ユダヤの教え

 人はどう生きるべきか。長々とした説明ではなく、それを一言で言い表したものを「黄金律」(ゴールデン・ルール)と呼びます。道徳のエッセンスのことです。ゴールデン・ルールと呼ばれるものは数多くありますが、誰もが、これこそがゴールデン・ルールだと認めるものが、マタイ7:12のイエスの言葉です。「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。」

 これに似た言葉は、洋の東西にかかわらずあります。『論語』にこうあります。「子貢(しこう)問うて日(い)わく、一言にして以って終身これを行なうべきものありや。子の日(たま)わく、其れ恕(じょ)か。己れの欲せざる所は人に施すこと勿(なか)れ。」現代語で言えば、こうなります。「孔子の弟子、子貢が質問しました。『生涯守り行うべきものを一言で言えばどうなりますか。』孔子は答えました。『それは、思いやりだよ。自分にしてもらいたくないことを人にしてはいけないということだ。』」

 ユダヤ教の口伝律法の聖典『タルムード』には、こんな話があります。「また一人の異邦人がラビ・シャンマイのもとに来て言った、『私が片足で立っている間に、律法をすべて教えてくださるならぱ、ユダヤ教に改宗しましょう』。すると、シャンマイはちょうど手に持っていた物差しで彼を追い払った。その異邦人がラビ・ヒレルのもとに行くと、ヒレルは彼を改宗させて言った。『自分が嫌なことを、隣人にしてはならない。これが律法のすべてであり、他のものはその解釈である。さあ、行って学べ。』」(シャバツト31a)

 『論語』や『タルムード』で言われていることと、イエスが言われたこととは、表面では似ていますが、本質的には違います。一方は、「してもらいたくないことを人にしてはならない」と、「否定形」で語られていますが、イエスは「してもらいたいことを人にしなさい」と「肯定形」で語られました。それは、同じことを言い換えただけのものではありません。この「肯定形」には大切なメッセージが含まれているのです。

 イエスは、マタイ5:21-22で「昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています」と言われました。その後、「姦淫してはならない」(5:27)、「妻を離縁する者は離縁状をあたえよ」(5:31)、「偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ」(5:33)、「目には目を、歯には歯を」(5:38)、「あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め」(5:43)など、パリサイ人や律法学者が教えていた昔からの言い伝えを次々と取り上げました。そして、「しかし、わたしはあなたがたに言います」と言って、そうした「言い伝え」の足らないところを指摘し、律法の本来の意味、神が人に望んでおられることを明らかにされました。

 「してもらいたくないことを人にしてはならない」というのも、人々がよく知っていた「言い伝え」の一つでした。しかし、それが教えることは、神の国にはふさわしくなく、神の義に足りないものでした。それで、イエスは、古い言い伝えに代えて、新しいルールを与えてくださいました。それが、ゴールデン・ルールです。

 二、ユダヤの教えに足らないもの

 では、「してもらいたくないことを人にしてはならない」という教えに足らないものとは何でしょうか。まず、そこには、良いものを生み出していこうとする「積極性」がありません。「してもらいたくないことを人にしてはならない」ということだけを考えて人生を送るとしたら、どんな善いこともしないで人生を終えてしまうかもしれないのです。できるだけ人間関係を持たないように、社会に関わらないようにすれば、身の回りに争いごとを引き起こさなくて済み、「してもらいたくないことを人にしてはならない」という教えを守ることができるかもしれません。しかし、それは人間の本来の生き方ではありません。自分から争いごとを引き起こさないかもしれませんが、争いごとに巻き込まれている人を助け、世の中に平和をもたらすことはできないのです。

 皆さんもそうかもしれませんが、私は、親から「どんな仕事をしてもいいが、人に迷惑をかけるようなことだけはしてはいけない」と言われて育ちました。私の子どもの頃は、いじめなどほとんどありませんでしたが、「してもらいたくないことを人にしてはならない」、「人に迷惑をかけてはいけない」という教えだけでは、自分から他の人をいじめなくても、いじめを受けている友だちをかばったり、助けたりすることはできません。現代の「いじめ」には複雑な問題がからみあっていますが、悪いことが行われていても、それを怒ったり、悲しんだり、また、それに対して声を上げることも、解決するために行動することもしない人が増えていることに原因があると言われています。「してもらいたくないことを人にしてはならない」というだけでは、問題は解決しないのです。

 また、そこには利己主義が働きます。どんなことについても善いことしか言わない人がいました。たとえ間違ったことを見聞きしても、それに対して批判したり、意見を言わないのです。最初は寛容な人だと思っていたのですが、その人はこう言いました。「人を批判したら自分が批判されるからね。僕はそれが嫌なんだよ。」「してもらいたくないことを人にしてはならない。」この教えは、結局のところ自分を守る手段となり、偽善的なものを生み出しかねないのです。

 さらに、こうした教えには人を向上させるものがありません。「してもらいたくないことを人にしてはならない」というのは「赤信号で停まりましょう」といったルールです。最低限のことを守って人と人とがぶつかり合わないようにというものです。もちろん、世の中には、最低限のことも守れない人もいるので、事故が起こり、困ったことが起こるのですが、そうしたルールだけでは人も社会も向上しません。たとえば、赤信号で停まるのは当然のことですが、道路の状況によっては、こちらに優先権があっても、相手に道を譲ったほうが良い場合もあります。ゴミを散らかさないというのは最低のルールですが、散らかったゴミを片付けて帰ることは、ルールで決められていなくても、自発的にするなら、善いことです。「してもらいたくないことを人にしてはならない」という教えは、「より良いこと」をするようにと、人を励ますものではないのです。

 三、イエスの教え

 イエスは、それと正反対のことを教えました。人を避け、社会から離れていくのでなく、積極的に世の中に出て行って、それに働きかけるということです。イエスは、「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)と言われ、「あなたがたは世の光です。…あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」(マタイ5:14-16)と言われました。イエスは「神の子」となれ、「世の光」となれと言われたのですが、じつは、「神の子」も「世の光」もイエスが持っておられる「タイトル」(称号)です。神の御子であり、世の光であるイエスは、この世に来て、神の平和を、真理と恵みの光をもたらしてくださいました。ですから、イエス・キリストを信じ、キリストに従う者も同じように、平和をもたらす者、まわりを照らす光になろうとするのです。キリストを信じ、従う者は「クリスチャン」(キリストの者)と呼ばれます。クリスチャンは、いわば、「小さなキリスト」となり、世にキリストを示すことが期待されているのです。

 そして、「人からしてもらいたいことを人にする」という姿勢は、私たちを利己主義から救ってくれます。それは、自分を守ろうとする消極的な生き方ではありません。もっと積極的に自分から他の人に働きかけるものです。けれども、それにはリスクが伴います。誰かに親切にしたため、その人から必要以上に接近され、煩わされることがないとも限りません。けれどもイエスは、そのリスクを冒してでも、自分がなすべきこと、自分にできることをしなさいと言われました。

 イエスは「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい」と言われたあと、すぐに、「これが律法と預言者です」と言われました。「これが律法と預言者です」に似た表現はマタイ22:37-40にあります。「律法の中でどの戒めが一番重要ですか」という質問に答えて、イエスはこう言われました。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」イエスは「律法と預言者」、つまり「聖書」の教えのすべてを、一つは「あなたの神、主を愛しなさい」、もう一つは「あなたの隣人を愛しなさい」との二つの戒めに要約されました。ゴールデン・ルールの最後にも、「これが律法と預言者です」とあるように、これは、神を愛し、人を愛するという戒めを土台にしています。それは、神を愛し、人を愛することを実践するためのルールなのです。

 しかし、私たちはゴールデン・ルールを実行しようとして失敗することがあります。徹底して人のために尽くすことができなかった。中途半端な形で終わってしまったということがあります。そのとき、私たちは、神を信じて、神から人を愛する力をいただかなければ、これを行うことができないことに気付きます。そして、それに気付くことは大切なことなのです。それは、信仰によって、神からの愛をいただいて、もう一度やり直すことを私たちに教えてくれるからです。

 一般の自己啓発セミナーでも「ゴールデン・ルール」を教えます。ビジネスで大切なことは、顧客の求めるものに答え、満足を与えることだと教えるのです。しかし、そこには神も信仰もありません。ある人は、「ゴールデン・ルール」から神への信仰を取り除いて「プラチナ・ルール」といったものを作って、それを広めたりしています。けれども、どんなルールを作ったとしても、神が人の心を造りかえ、そこに愛を注いでくださり、私たちが信仰によってそれを受け取らない限り、ほんとうの意味でゴールデン・ルールを実行することはできません。ビジネスの世界では守ることができても、家庭で、身近な人の間ではそのルールが無視され、家庭や職場でトラブルが絶えないことも多いのです。

 ゴールデン・ルールは、それを教えてくださったお方、イエス・キリストから目を離しては決して守れるものではありません。「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。」イエスはご自分が言われたこの言葉の通りに、神を愛して生きました。人への愛のゆえに、その命さえも献げてくださいました。このイエスを信じ、イエスに頼り、イエスに従うとき、私たちも、イエスが実践し、成就された「ゴールデン・ルール」を実行する道を歩むことができるようになるのです。

 (祈り)

 父なる神さま、私たちは、人に自分にしてほしいことを要求し、それをしてくれないと恨んだり、怒ったりしたことがなんと多くあったことでしょう。しかし、イエス・キリストを知り、信じて、あなたに愛されていることを知り、あなたを愛することを学びました。ですから、私たちは、あなたの助けによって、ゴールデン・ルールに向かっていきます。あなたの恵みによって、それを実行できるよう、私たちを導いてください。イエス・キリスのお名前によって祈ります。

10/15/2023