十字架への道

ルカ23:27-32

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23:27 大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。
23:28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。
23:29 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから。
23:30 そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます。
23:31 彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」
23:32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。

 一、悲しみの道

 エルサレムに「ヴィア・ドロロッサ」と呼ばれる道があります。イエスが十字架を背負って、処刑場であるカルバリの丘へと歩まれた道です。イエスが歩まれた十字架への道は、それが「ヴィア・ドロロッサ」と呼ばれているように、第一に「悲しみの道」でした。

 テレビのニュースで見るように、レントの期間、世界中から大勢の人々がここを訪れ、実際に大きな十字架をかついで、ローマ総督ピラトの官邸跡から1マイル弱の道のりを歩きます。私もエルサレムを訪れたとき、ヴィア・ドロロッサを歩きました。石畳の狭い道で、道の両側にはみやげもの屋がびっしり並んでいました。イエスを静かに想いみながら歩きたいと思っていましたが、大勢の人と、みやげもの屋の呼び込みの声にさまたげられてしまいました。

 これには少々がっかりしたのですが、あとで振り返ってみて、イエスも、あのように大勢の人々にとりかこまれ、罵りの声の中を歩まれたのだと思い、それもまた貴重な体験だったと思い直すことができました。もしかしたら、イエスの時代にも、イエスの処刑を見るために集まってきた人たちに物を売る人がいたのかもしれません。

 というのは、昔から、処刑場には、処刑を見物に来る人たちのために食べ物屋や宿屋ができ、そこに町ができていったからです。日本では、鈴ヶ森の処刑場が有名です。丸橋忠弥、平井権八、天一坊、八百屋お七、白木屋お駒など、時代劇や講談などに出てくる人物がここで処刑されていますが、鈴ヶ森も処刑場があったのでできた町です。大阪に「千日前」という繁華街がありますが、ここも、もとは大阪西町奉行所でお裁きを受けた罪人が市中引き回しのうえ、処刑された処刑場で、その跡地につくられた町です。

 人が処刑されるのを見るために、わざわざ遠くからやって来て、そこで食べたり飲んだり、物を売ったり買ったりする、よくそんなことができるなぁと思うのですが、群集心理というものは恐いもので、残酷な処刑もエンターテーメントにしてしまうのです。イエスの十字架は過越の祭のときに行われました。ユダヤの人々は、何よりも大切な過越の祭をそっちのけにし、みんながイエスの十字架刑を観に集まり、それを楽しんだというのですから、どこかおかしいように思います。傷ついたからだで十字架を背負って歩まれた神の御子の「悲しみの道」さえも、もの珍しいものを見て楽しむところ、それをひと儲けする機会にしてしまう、そんな人間の罪深さを思い知らされます。

 イエスが悲しまれたのはその人間の罪でした。その悲しみは、ゲッセマネの園ですでに始まっていました。マタイ26:37-38によると、ゲッセマネの園で「イエスは悲しみもだえ始められ」、弟子たちに「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」と語っておられます。このイエスの「悲しみ」というのは、志半ばで殉教しなければならない無念さ、弟子に裏切られたくやしさ、人々から受けるののしりに対する怒り、また、残酷な十字架刑への恐れのどれでもありません。イエスは、アダム以来、人々が犯してきた罪を悲しまれたのです。

 最近の日本からのニュースでは、毎日のように殺人事件が報道されます。とりわけ、親がまだちいさなこどもをいじめ殺すという事件が頻繁にあります。耳にするだけでもとても悲しいことです。どうしてこんなことが起こるのだろうと思いますが、それは、神を恐れることも、人を愛することもできなくなり、自分のわがままだけを押し通して生きていこうとする人間の罪から出てきたものでしょう。こうした「わがまま」は個人だけでなく、国や民族にもあります。自分の国さえ強く、豊かになれば良い。弱い国は強い国の言いなりになり、貧しい国は豊かな国のしもべになれば良い。自分の民族だけが生き残れば良いなどといった「わがまま」が国際社会に横行しています。そこから戦争が起こり、内乱が始まり、終わりのない争いが続くのです。そして、その結果、苦しむのは、いつでも、こどもや年老いた人々、社会的に弱い立場にある人たちです。

 イエスは、このような人の罪を背負い、それを悲しまれて、十字架への道を歩まれました。そして、私たちにも、ほんとうに悲しむべきことを悲しむようにと教えてくださいました。イエスのいたわしいお姿を見て、女たちは嘆き悲しみました。イエスは、その女たちに、「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。」(ルカ23:28)と言われました。これは、やがてエルサレムがローマ軍に包囲される日のことを預言したものですが、それと同時に、イエスは現代の私たちにも、イエスの苦しむお姿を、かわいそうに思い、ただ感傷的に涙を流すのではなく、神の御子を苦しめ、死に追いやった罪の恐ろしさを悲しむようにと教えておられるのです。

 現代の私たちは、罪とその結果を軽く考えるようになりました。しかし、それはとても恐いことです。日本でのことですが、私たちは、近所の農家の人が売りに来てくれる野菜を買っていました。家内は、その農家のおばさんと仲良しになり、その人の悩みを聞いてあげたり、聖書の話をしたりしていました。その農家の方が言うには、「私たちはね、自分たちの食べるものは農薬を使わないで作るんですよ。農薬は恐いですからね」とのことでした。その人が持ってきてくれるのは、自分の家で食べるための無農薬の野菜でした。農薬を使っている農家の方がいちばん農薬の恐さを知っているのです。そのように、罪のためにイエスが十字架で死なれたことを知っているクリスチャンは、罪の恐ろしさをいちばん良く知っているのです。それで、心から罪を悲しみ、熱心に悔い改め、赦しを求めるのです。罪を避け、罪から離れ、きよめの恵みを求めるのです。罪を軽く考えることがなく、また、イエスの苦しみや悲しみを感傷的に思うだけでもなく、本当に悲しむべきものを悲しむ者でありたいと思います。

 二、喜びの道

 イエスの歩まれた十字架への道は、第二に「喜びの道」でした。ヘブル12:2に「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」とあるように、イエスはその悲しみと苦しみがやがて、よろこびと栄光に変わることをご存知であり、その喜びのゆえに十字架を忍ばれました。

 ところが、新共同訳では、ここは「このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」と訳されています。一方は「喜びのゆえに」と訳され、もう一方は「喜びを捨て」と訳されており、まるで意味が反対のようです。ここには anti というギリシャ語の前置詞が使われていますが、これはもともとは、「〜に反して」(against, opposit)という意味のことばで、新共同訳聖書はそれをとりました。のちに、このことばは「〜のゆえに」という意味に使われるようになったので、新改訳聖書はそちらの意味をとったのです。「喜びのゆえに」と訳しても「喜びを捨てて」と訳してもどちらも正しいのです。おそらく、ヘブル人への著者は両方の意味をかけて、この言葉を使ったのかもしれません。つまり、イエスはこの世の「喜びを捨て」、人々のために苦しみことを選ばれた。そして、同時に、もっと高い次元の喜び、神からの喜びを求めていたので、イエスは、その苦しみを耐えることができたという意味になります。

 このことは、ヘブル人への手紙で、モーセについて言われている箇所に照らすと良く理解できます。ヘブル11:24-26に「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」とあります。モーセは、エジプトの王女に拾われ、その子どもとして育てられました。しかし、モーセは、その身分、特権、財産を捨てて、神の民のために苦しむことを選びました。モーセはエジプトの与える喜び、エジプトから受ける宝を捨てましたが、「報いとして与えられるもの」、つまり、神が与える喜び、天の大きな宝に目を留めることによって、その苦しみを耐えたのです。

 モーセはイエスのひな形です。モーセはイエスラエルをエジプトの奴隷から解放しましたが、イエスは、私たちを罪の奴隷から解放してくださいました。ローマ市民は十字架につけられることはありませんでした。ローマの十字架刑は奴隷に対する刑罰でした。ユダヤはローマの属国でしたから、ユダヤの民は、ローマから見れば奴隷の民で、イエスは奴隷として十字架にかけられたのです。しかし、イエスはみずからを奴隷の立場に置くことによって、人類を罪の奴隷から救われたのです。ローマ市民は十字架につけられることはなかったのに、ローマ市民であるパウロをはじめ、他のクリスチャンも十字架にかけれらました。信仰のゆえに市民権を剥奪されたのです。しかし、クリスチャンは、ローマの市民であるよりは、神の国の国民であることを喜び、殉教していきました。イエスも、イエスに従った人々も、この世の喜びを捨て、天の喜びを仰ぎ見たのです。

 3月14日、私たちは福島第一聖書バプテスト教会の佐藤 彰先生をお迎えしました。私たちの教会がベイエリアで先生のお話を伺う最初の教会になりました。この集まりに出れなかった方も、他の教会や、北加聖会などで先生のお話を聞かれたことと思います。先生は、この震災を通して「いつも目覚めて祈っていなければならない」、「この世のものを追い求めるラットレースから撤退して、ほんとうの幸せを求めたい」、「キリストがともにいてくださるので、教会はどんな困難にも立ち向かうことができる」と話してくださいました。そして、最後にペテロ第一1:7-8を引用されました。「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」

 聖書は苦しみの中に喜びがあると教えています。しかし、その喜びは、イエス・キリストが私の罪のために苦しみ、死んでくださったことを知り、認め、信じることなしには、得られるものではありません。マザー・テレサは「苦しみはそれ自体として意味を持ちません。キリストと共に苦しむとき、初めて意味を持ちます」と言いましたが、そのとおりだと思います。

 たとえ、エルサレムのヴィア・ドロロッサに行けなくても、私たちは聖書をたどり、それを黙想することによって、十字架への道をイエスと一緒に歩くことができます。その一歩一歩の中に、悲しみと喜びを見出しながら、イースターを迎える備えをしたいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、私たちの人生の歩みは悲喜こもごもです。悲しみと喜びがよりあわさって成り立っています。私たちの人生の悲しみを、自分ひとりの悲しみで終わらせることなく、主イエスの悲しみに結びつけることができますように。また、人生の喜びを主イエスが求め、私たちに分け与えようとしておられる天の喜びに重ねあわせて受け取ることができますように。主イエスとともに、悲しみの道と喜びの道を歩ませてください。主イエスが私たちのために苦しんでくださったことを知らないで悲しみの中にひとり置かれている人々に、あなたの恵みを知らせ、ほんとうの喜びの道へと招いてください。主イエス・キリストのお名前で祈ります。

3/25/2012