十字架を背負う

ルカ23:20-26

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23:20 ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。
23:21 しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ。」と言った。
23:22 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
23:23 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
23:24 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
23:25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。
23:26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。

 あと2週間でイースターがやってきます。イースターはイエスが復活した日、「いのちの祭典」です。しかし、私たちがイースターにイエスの命に生かされるためには、その前のレントの期間にイエスの苦しみを想い、受難週にイエスの死の意味を理解する必要があります。聖書は、イエスの死の意味について、「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられた」(ローマ4:25)と、はっきり教えています。しかし、このことが、たんなる知識で終わることなく、私たちの力となり、喜びとなるためには、イエスの十字架への道をたどる必要があります。そのためには、イエスとともエルサレムに向かった弟子たちや、十字架をめぐってイエスに関わった多くの人物と自分とを重ね合わせてみるとよいと思います。もし、私が「ペテロ」だったらどうしただろうか。「ヨハネ」だったら、あの人、この人だったたら、また、群衆の中のひとりだったら、と考えてみるのです。そのことによって、イエスの十字架の意味をより深く知ることができるようになるでしょう。聖書が、イエスおひとりではなく、イエスの十字架をめぐる多くの人々を細かく描いているのは、そのためだと思います。

 きょうの箇所には、イエスの他に三人の人物が登場します。「ピラト」と、「バラバ」、そして、クレネ人「シモン」です。

 一、ピラト

 最初の「ピラト」は、ローマから派遣されたユダヤ総督「ポンテオ・ピラト」です。「ポンテオ・ピラト」の名は「使徒信条」に「主は…ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け…」とありますので、私たちは毎週、その名を口にしています。救い主の死と自分の名前とが結びつけられているのは、ピラトにとっては不名誉なことでしょうが、確かに彼には、イエスを十字架に追いやった責任がありました。

 ピラトは、ユダヤの最高法院がイエスを訴え出たのが宗教的な理由であることを知っていました。ですから、そうした訴えにはかかわりたくないと思っていました。聖書は、「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていた」と言っています(マタイ27:18)。ルカの福音書ではピラトが3回も、イエスの無罪を主張したと書いています。「この人には何の罪も見つからない」(ルカ27:4)、「あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。…見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません」(14、15節)、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します」(22節)とある通りです。

 それなのに、ピラトはイエスを十字架に引き渡しました。なぜでしょう。聖書は「ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った」(23節)と言っています。ピラトは、物事を正しく判断する知性は持っていましたが、正しいことを貫き通す誠実さは持ち合わせていませんでした。最後には自分の利益になるほうを選ぶような人でした。それで、「人々の声」に負けてしまったのです。

 民主主義の時代には「人々の声」を聞くことは大切です。しかし、民衆が目先のことだけしか見ることができず、最終的には人々を不幸にするものを要求するなら、指導者たちは多数の声に逆らってでも、人々を説得し、正しい事を行わなければならないこともあるのです。まして、裁判では、事実と法律に基づいて結論が出されるべきで、判決は不当な圧力で曲げられてはならないのです。ところが、イエスの受けた裁判は、民衆の声によって左右された、まったく不正なものでした。

 ピラトの時代にはローマの権力は絶対で、ピラトはその権威を帯びていたのですが、ローマの属国には、総督が不当なことをした場合、それをローマ皇帝に、つまり、ローマの高等裁判所に訴えることが許されていました。ピラトはそのことを恐れていたのです。そして、自らはイエスの無罪を主張したのに、実際はイエスを十字架に引き渡すという矛盾したことをしてしまったのです。ピラトは、責任逃れをしたつもりなのでしょうが、このことによって、総督としての職務を放棄し、ローマの権威を傷つけました。結果として、彼は、総督の地位を解かれ、失意のうちに自ら命を絶ったと伝えられています。

 もし、自分がピラトの立場だったら、どうしただろうか。果たして、「イエスに罪はない」という主張を最後まで貫き通せただろうか。自分の立場を守ろうとして、自分が信じていること、確信していることを引っ込めはしなかっただろうかと、心を探られます。人の声に耳を貸すことは良いことであり、必要なことです。しかし、もっと大事なことは神の言葉に従うことです。いつの時代、どんな場合でも、神の言葉に従うとき、間違いのない歩みをすることができます。人の声や自分の声しか聞かないで過ちを犯すことがないようにしたいものです。使徒たちが「人に従うより、神に従うべきです」(使徒5:29)と言った言葉を心に留めたいと思います。

 二、バラバ

 次に「バラバ」ですが、この名は「バル」と「アバ」から成り立ち、「父の子」という意味になります。当時は苗字がありませんでしたから、人々は、「誰々の子某」と呼ばれました。ペテロは「バルヨナ(ヨナの子)・シモン」でした。ところが、この人は「父の子」としか呼ばれていません。確かに誰もが「父の子」なのですが、この名は、人が本来、神のかたちに造られた「天の父の子」であることを思わせてくれます。子が父の遺伝子を受け継ぎ、父と似たものになっていくように、人は誰しも「神のかたち」に造られ、天の「父の子」となることを期待されているのです(マタイ5:45)。ところが、人は、その罪のために「神のかたち」を傷つけ、天の父とは似ても似つかぬものとなってしまいました。

 こんな話があります。ある画家が、若いころ、天使の姿を描きたいと思い、あどけなく、かわいい男の子を見つけ、その男の子をモデルに天使の姿を描きあげました。その画家が晩年になって、ふと、悪魔の姿を描こうと思い立ちました。そして、監獄を訪ね、その中でも一番凶悪な死刑囚をモデルに悪魔の絵を描き始めました。モデルの男と話しているうちに、画家は驚いて、絵筆を落としてしまいました。その男は、この画家が天使の絵を描いたときモデルになった男の子の「成れの果て」だったのです。画家は、そのことを知ったとき、「人は、天使のようにも、悪魔のようにもなれるものなのか」と、心の中で叫びました。

 そうです。人は、天使のようにも、状況によっては、悪魔のようにもなるのです。「バラバ」も、神から離れ、殺人犯となって投獄されるまでになりました。しかし、人は「悪魔のように」はなっても「悪魔」そのものにはなりません。悪魔はすでに神の裁きのもとにあり、決してもとの天使に戻ることはできませんが、人間は、たとえどんな凶悪な犯罪者になったとしても、なお、神の愛の対象であり、悔い改めて「父の子」となることができるのです。そして、そのために、イエスは、死んでくださったのです。

 イエスが十字架にかけられたのは過越の祭のときでした。そうしたユダヤの祭日には、囚人に恩赦を与えるという慣わしがありました。ピラトはその恩赦をイエスに与えようとしたのですが、人々はバラバを赦し、イエスを十字架につけるよう要求しました。もし、イエスがピラトに引き渡されなかったら、バラバが十字架にかけられていたのです。バラバほど、イエスが罪人の身代わりとして死なれたという真理を、そのまま体験した人はありません。「バラバ」は私のことでしたという証しを聞いたことがありますが、皆さんは自分とバラバとを重ね合わせて、どのような思いに導かれたでしょうか。

 三、シモン

 最後に「シモン」のことを考えてみましょう。当時、十字架にかけられる者は、自分の十字架を背負って刑場まで歩かされました。イエスも十字架を背負わされたのですが、衰弱しきっていましたので、途中で何度も倒れました。ローマ兵はさっさと処刑を終わらせたかったので、見物人の中から、力のありそうな男を連れてきて、イエスの代わりに十字架を背負わせました。それが、シモンでした。

 日本では、昔、地方から都会に出てきて、まごまごしている人を「おのぼりさん」と言ったのですが、26節に「いなかから出て来たシモンというクレネ人」と書かれていますので、おそらく、シモンはエルサレムに来たのははじめてという「おのぼりさん」の一人だったのでしょう。エルサレムで過越の祭を楽しもうとして遠くからやってきたシモンにとって、死刑囚の代わりに十字架を背負うなどというのは、まったく、降ってわいた災難でした。

 けれども、このことは彼の救いとなりました。イエスはかつて弟子たちに言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)しかし、十字架の側にまでついて行ったのは母マリアと弟子ヨハネ、またマリアの姉妹とマグダラのマリアだけでした。他の弟子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったのです。そんな中でシモンは強制されてですが、十字架を背負って、イエスのあとに従ったのです。シモンは自分が背負っている十字架が何を意味するのか、その時はわかりませんでした。しかし、あとになって、その十字架が、神の御子が人類の救いのためにご自分を献げられたものであることを知りました。マルコ15:21には、このシモンは「アレキサンデルとルポスとの父」と紹介されており、「ルポス」の名はローマ16:13にローマ教会のメンバーとして出てきます。シモンは、一家をあげてキリストを信じる者となり、キリストに従う者となったのです。

 レントの期間、大勢の人が実際の十字架をかついで行進する慣わしがあります。大勢の人がかついでさえ重い十字架を、イエスは背負ってくださり、シモンはイエスに代わってそれを背負ったのです。十字架の重さを自分で体験してみるのはイエスの愛を理解するのに役に立ちますが、イエスが私たちに「背負え」と言われた十字架は、その時だけかついで終わるようなものではありません。イエスは、弟子たちに、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、〝日々〟自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と言われました。「日々」という言葉が加えられています。十字架を負うのは、年に一度、レントや受難週だけにするだけのことではなく、「毎日」のことなのです。「毎日十字架を負う」、それは、毎日、自分がイエスの十字架によって罪を赦され、神の子として受け入れられていることを確信することです。「自分を捨て」というのは、自分の考えや判断に信頼したり、自分の努力で赦しや神の愛を勝ち取ろうとするのでなく、ただイエスの恵みに、神のあわれみに頼ることを言っています。そして、シモンがイエスのあとをついていったように、私たちも、イエスの足跡を、信仰によって、一歩、一歩、歩いていくのです。

 イエスは私たちに「ついて来なさい」と言われます。「さあ、自分の力で人生を切り拓け」、「がんばれ」と後ろから私たちを追い立てるようなお方ではありません。イエスは、いつでも私たちの前を歩んでくださいます。苦しみ、悩みの道であればあるほど、先に進んで、道を拓いてくださいます。私たちはイエスの後をついていくのです。シモンはイエスの前を歩きませんでした。きょうの箇所の最後に、「この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた」とあるように、うしろをついていったのです。私たちもイエスについていきましょう。イエスに従いましょう。イエスは、従う者を必ず守り、導いてくださいます。

 (祈り)

 父なる神さま、主イエスは十字架への苦しみの道を歩まれました。人の罪が主を十字架に追いやりましたが、主はその罪をご自分の身に引き受け、その罪から私たちを救ってくださいました。主は私たちをあなたのもとに導くため、ご自身がその道となるために悲しみの道を歩まれたのです。私たちも、主イエスに従います。主に従う道にある平安と喜び、いのちと力とを与えてください。主イエスのお名前で祈ります。

4/3/2022