サムソン―信仰の勇者(10)

士師記16:23-31

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16:23 さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」。
16:24 民はサムソンを見て、自分たちの神をほめたたえて言った、「われわれの神は、われわれの国を荒し、われわれを多く殺した敵をわれわれの手にわたされた」。
16:25 彼らはまた心に喜んで言った、「サムソンを呼んで、われわれのために戯れ事をさせよう」。彼らは獄屋からサムソンを呼び出して、彼らの前に戯れ事をさせた。彼らがサムソンを柱のあいだに立たせると、
16:26 サムソンは自分の手をひいている若者に言った、「わたしの手を放して、この家をささえている柱をさぐらせ、それに寄りかからせてください」。
16:27 その家には男女が満ち、ペリシテびとの君たちも皆そこにいた。また屋根の上には三千人ばかりの男女がいて、サムソンの戯れ事をするのを見ていた。
16:28 サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。
16:29 そしてサムソンは、その家をささえている二つの中柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、
16:30 「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。
16:31 やがて彼の身内の人たちおよび父の家族の者がみな下ってきて、彼を引き取り、携え上って、ゾラとエシタオルの間にある父マノアの墓に葬った。サムソンがイスラエルをさばいたのは二十年であった。

 一、士師の時代

 先週お話しした「ギデオン」も、きょうお話しする「サムソン」も「士師」(さばきづかさ)と呼ばれています。「士師」の時代とは、ヨシュアの死後から、イスラエルに最初の王サウルが立てられるまでの時代のことです。旧約聖書の年代については、おおまかですが、次のように覚えておくと良いでしょう。

2000 B.C. アプラハム、イサク、ヤコブ[創世記]
1720 B.C. イスラエル、エジプトに移住(400年)
1280 B.C. エジプトを脱出[出エジプト記]
荒野の旅(40年)[民数記]
1240 B.C. カナンの地に入る[ヨシュア記]
士師の時代[士師記、ルツ記]
1050 B.C. サウルとダビデ[サムエル記]
ソロモン[列王記、歴代誌]
930 B.C. 王国分裂
722 B.C. 北王国(イスラエル)滅亡
586 B.C. 南王国(ユダ)滅亡、バビロン捕囚
538 B.C. 捕囚からの帰還[エズラ記]
515 B.C. 神殿再建

 士師の時代は、モーセやヨシュアといった指導者が世を去り、まだ王もいなかった時代で、混乱の時代でした。士師記17章から21章に「そのころイスラエルには王がなかったので、人々はおのおの自分たちの目に正しいと思うことを行った」という言葉が繰り返されています。いつの時代も、社会を導く確かな指導や指針がなければ、それぞれが「自分が正しい」と主張して、独善的な考えをし、自分勝手な生き方をしてしまい、社会に混乱をもたらすのです。

 では、士師の時代には、イスラエルを導くものが何もなかったのでしょうか。いいえ、この時代にも、律法があり、主の宮がありました。イスラエルの各部族には祭司がいて、祭司が神の言葉を教えていました。イスラエルには他の国々のような王はいなくても、神ご自身が王であって、御言葉によって社会が保たれるはずだったのです。人々は、ヨシュアの在世中や、そのあとの人々、つまり、主がイスラエルのために行われたすべての大いなるわざを見た人々が生きている間は主に仕ました(士師2:7)。しかし、その後、主を知らず、また主がイスラエルのために行われたわざをも知らない世代が起こりました。人々は、まわりの国々の神々、「バアル」や「アシラ」、また「アシタロテ」に仕えるようになり(士師2:10-11)、社会は混乱しました。

 社会の秩序や道徳は信仰の上に成り立っています。ですから、信仰が崩れるとき、社会が乱れ、国が衰えるのです。士師記は、世代から世代へと、信仰をしっかりと手渡していくことがどんなに大切かを教えています。

 士師の時代、まことの神を捨て、偶像を礼拝するようになった人々は、まわりの国々に苦しめられるようになりました。その苦しみは、いわば、自業自得なのですが、神は、人々の苦しみをご覧になり、それをあわれんでくださいました。救いは、わたしたちにそれを願う権利があるからとか、それを熱心に願って努力したから与えられるというものではありません。救いはただ神のあわれみ、つまり、苦しむ者と共に苦しんでくださる神の愛から来るのです。神のあわれみこそ救いの源です。神は、そのあわれみのゆえに、さばきづかさを起こし、イスラエルに救いを与えてくださったのです。

 士師記には、3章にオテニエル、エホデ、シャムガル、4-5章にバラク、6-8章にギデオン、10章にトラとヤイル、11-12章にエフタ、イブサン、エロン、アブドン、そして13-16章にサムソンのことが記されています。サムソンは12人目、最後のさばきづかさでした。

 二、サムソンの成功と失敗

 サムソンの生涯は、他の士師たちとはずいぶん違っていて、その誕生が天使によって予告されています。天使がマノア夫妻に現れたとき、生まれる子は「ナジル人」であると告げました(13:2-7)。この箇所は、バプテスマのヨハネのときの天使の告知と似ています。サムソンもバプテスマのヨハネも、生まれる前から「ぶどう酒と強い酒」から、つまり、世のものから遠ざかるよう命じられていました。それは、聖霊の特別な力を受けるためでした。

 サムソンが最初にその力を表わしたのは、サムソンの婚礼のときでした。その時、サムソンはペリシテ人の町の人々三十人を殺し、その人たちから晴れ着を奪い取りました。そんなことがあったので、サムソンの妻は別の人の妻となりました。サムソンはそれを口実にして、ペリシテ人の麦畑やオリブ畑を焼いてしまいました。当時、ペリシテ人はイスラエルを支配していて、イスラエル人の町を襲っては人々を殺し、略奪していました。また、収穫を目の前にした麦やオリブの実りをごっそり持って行くなどのこともしていました。サムソンのしたことは、とても乱暴なやり方でしたが、神は、サムソンを通してペリシテ人に報復なさったのです。

 こうしたことがあって、ペリシテ人がサムソンを捕まえにきたとき、イスラエルの人たちはサムソンをかばうどころか、縄で縛り、ペリシテ人に引き渡しました。イスラエル人々はペリシテ人に立ち向かう気持ちすらなくしていて、サムソンのしたことを「迷惑なこと」と考えていたのです。ところが、主の霊がサムソンに臨んだとき、サムソンを縛っていた縄は「火に焼けた亜麻のようになって」解けて落ちました(15:14)。このときサムソンはペリシテ人一千人を殺し、それ以来、ペリシテ人は、サムソンを恐れて、むやみにイスラエルを苦しめなくなりました。イスラエルの人々も、サムソンをさばきづかさとして認めるようになったのです。

 しかし、ペリシテ人がそのまま引き下がっているわけはありません。彼らはひとりの女性を使ってサムソンの力の秘密を探りだしました。サムソンの力の秘密は、生まれたときからかみそりをあてなかった、髪の毛にありました。それは、彼の「ナジル人」としてのしるしでした。サムソンは、それを打ち明けたため、眠っているあいだに神の毛を剃り落とされてしまいました。「ペリシテびとがあなたに迫っています」との声を聞き、目を覚まして、力をふるおうとしましたが、その力は全く失われていました。ペリシテびとはやすやすとサムソンを縛り上げ、両眼をえぐりとり、牢屋の中でうすを曳かせました。

 サムソンは、生まれる前から神に選ばれ、特別な力を与えられていました。そういう点で、サムソンはバプテスマのヨハネに似ていました。しかし、サムソンは、バプテスマのヨハネのように、自分の使命に忠実ではありませんでした。道徳的に問題のある生活をし、女性のために身の破滅招いたのです。サムソンは神からの力は持っていましたが、神との正しい関係を持っていなかったのです。神からの力を、まるで自分の力であるかのように考え、神の選びの「しるし」である髪の毛を世俗の手に渡すようなことをしてしまいました。16:20に「彼は主が自分を去られたことを知らなかった」とあります。聖書は、サムソンの力が彼を離れたとは言っていません。その力の与えぬしである主が、彼を離れたと言っています。力を求めても、その与え主である神を求めない者は、いずれ、その力を失っていくのです。

 この世は Doing の世界ですが、神の国は Being の世界です。この世では「どんなことができるか」で判断されますが、神の国では「神の前にどのようなものであるか」が問われます。Doing の世界だけに生き、Being の世界に無頓着であるなら、たとえ、どんなに忙しく立ち働いたとしても、あれこれと活動的に行動しても、それは祝福とはなりません。「きよさ」を失うなら、与えられた賜物も、その人を生かし、また他の人を生かすものとはならないのです。サムソンの失敗からも学ぶべきことを学んおきましょう。

 三、サムソンの信仰

 そんなサムソンであるのに、ヘブル11:32には、他の士師たち、「ギデオン、バラク、エフタ」と共に「信仰の人」のひとりに数えられています。サムソンのどこに、わたしたちが見習うことのできる信仰があったのでしょうか。それは彼の最期に見ることができます。

 ペリシテの首長たちが、サムソンを捕まえたことを、彼らの神、ダゴンに感謝することになり、何千人という人々がひとつの建物に集まりました。ペリシテ人はサムソンを見世物にするために牢獄から引き出しました。両目を失ったサムソンが手を引かれて登場したとき、人々は、さんざん彼を馬鹿にし、嘲り、笑ったことでしょう。しかし、彼は、それを耐え、神に祈りました。「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください。」(16:28)そうして、建物を支えている二本の柱をそれぞれ右手、左手でかかえて身をかがめると、建物が崩れ落ち、ペリシテの首長たちと、そこにいた大勢の人たちが一度に多く死にました。神は、サムソンの祈りに答え、偶像を拝む人々にご自分こそがまことの神であることを示されたのです。

 サムソンが死ぬ間際にもう一度大きな力を発揮できたのは、なぜでしょうか。16:22に「その髪はそり落とされた後、ふたたび伸び始めた」とあることに関係があると思います。しかし、それは毛髪そのものに力が宿っているということではありません。髪の毛は、どんなに剃りとされたとしても、毛根が生きているかぎり、また伸びてきます。そのように、主なる神への信仰は、罪深い行いや大きな失敗によって失くしてしまったように見えても、悔い改めを通るなら、ふたたび芽生えてくることを表わしているのです。髪の毛が再び伸びてくるという時間の中で、サムソンは神を想い、悔い改めへと導かれていったのです。それまでのサムソンは、まるでその力が自分のものであるかのように考え、「さあ、からだをひとゆすりしよう」と言って、その力を発揮していましたが、まったく無力となった今は、「神よ、どうぞもう一度、わたしを強くしてください」と、神に力を求めました。悔い改めて自分の無力を認め、神の力に信頼する。ここにサムソンの信仰があったのです。

 詩篇62:11はこう言います。「神はひとたび言われた、わたしはふたたびこれを聞いた、力は神に属することを。」「力は神のもの。」このことを知る者は、新しく人生をやり直すことができます。サムソンは、生涯の最期にこのことに気付き、神に立ち返りましたが、幸いなことに、わたしたちは、人生の半ばで悔い改めを教えられ、信仰へと招かれています。これからの日々を、悔いのないものにするため、きょう、悔い改めと信仰の招きに答えようではありませんか。

 (祈り)

 父なる神さま、サムソンの力の秘密は、あなたの選びと、世からの聖別にありました。どうぞ、わたしたちにも、あなたからいただいている選びを大切にし、この世にあっても、この世に染まらない生き方をさせてください。「力は神のもの。」さまざまな場面で、この信仰に立たせてください。主イエスの御名で祈ります。

7/15/2018