ラハブ―信仰の勇者(8)

ヨシュア記6:22-25

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6:22 ヨシュアはこの地を偵察したふたりの者に言った。「あなたがたがあの遊女に誓ったとおり、あの女の家に行って、その女とその女に属するすべての者を連れ出しなさい。」
6:23 斥候になったその若者たちは、行って、ラハブとその父、母、兄弟、そのほか彼女に属するすべての者を連れ出し、また、彼女の親族をみな連れ出して、イスラエルの宿営の外にとどめておいた。
6:24 彼らは町とその中のすべてのものを火で焼いた。ただ銀、金、および青銅の器、鉄の器は、主の宮の宝物倉に納めた。
6:25 しかし、遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者とは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブはイスラエルの中に住んだ。今日もそうである。これは、ヨシュアがエリコを偵察させるために遣わした使者たちを、ラハブがかくまったからである。

 今朝は、今年の「信仰の勇者」シリーズの最終回です。ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュアと、づっと男性をとりあげてきましたので、最後には女性をと思い、ラハブをとりあげることにしました。

 一、ラハブとスパイ

 ラハブの名前が最初に出てくるのは、ヨシュア記の二章です。イスラエルがまだヨルダン川を渡る前のことです。ヨシュアは、ヨルダン川を渡る前にふたりのスパイを、カナンの地に送りこんでいます。エリコの町とカナンの様子をさぐらせるためでした。ふたりのスパイは、まず、エリコの町に行きました。古代のエリコの町は、3ヘクタールの広さがあり、そのすべてが高さ10メートルもある城壁で取り囲まれていました。その城壁は二重になっていて、外壁の厚さは2メートル、内壁の厚さは4メートルもありました。両方の壁の間隔は5メートルあって、その間に木を渡して建てられた家によって連結されていました。ヨシュア2:15に、ラハブの家が城壁の中に建てこまれていたとあるように、彼女の家は、そのような家のひとつでした。ふたりのスパイは警備の厳しい城門を避けて町に入るために、ラハブの家を選んだのです。

 ラハブの家のこと以外にも、聖書に書かれていることが歴史の事実であったことが、考古学の調査によって明らかになっています。英国考古学研究所のガースタング博士は1929から1936年にかけて、エリコの町を発掘しましたが、この時の発掘によって、エリコの町の城壁が内側から外側に崩れているのを発見しました。もし、敵が外側から城壁を崩したとしたら、それは外側から内側にむけて崩れているはずですが、その逆だったのです。城壁が内側から大きな力で崩れたと聖書が言っているとおりです。また、エリコの町には一面に焼けくずの堆積層があって、その下は白い灰の堆積層となっていました。それをさらに掘り進んでいくと、多量の小麦、大麦、なつめやしの実、レンズ豆、などがひとつも手付かずのまま、強力な火力で炭化しているのが発見されました。これは、ヨシュアが、エリコの町からの略奪を禁じ、町のすべてを火で焼いたと言っている聖書(ヨシュア6:24)と一致します。

 さて、ラハブは「遊女」であったと聖書は言っていますが、当時のカナンの主な町には、それぞれに、自分たちの神々を祭る神殿があって、それらの神殿には「神殿娼婦」といわれる人たちがいたことが知られています。ラハブは、そのひとりであったと思われます。ヨシュアから遣わされたスパイは、神殿娼婦の家なら外部の人間がもぐりこみやすいとも考えたのでしょう。

 イスラエルのスパイが入り込んだという情報はすぐに、エリコの王の知るところとなり、王は、ラハブのところに、おそらくは王の親衛隊でしょうが、人をやって、「すぐにスパイを引き渡せ。かくまったりすると為にならないぞ」と言わせました。しかし、ラハブは、王が派遣した軍隊であっても恐れることなく、イスラエルのスパイをかくまい、彼らを逃がしてやったのです。カナン人であったラハブが敵のスパイをかくまうなどという大胆なことをしたのはなぜだったのでしょう。なんの後ろ盾もない彼女が、王の軍隊をも恐れなかったのはなぜだったのでしょうか。新約聖書は「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」(ヘブル11:31)と言っています。それは、ラハブの信仰のゆえであったと言うのです。ヨシュア記の物語は、どれも、ハラハラ、ドキドキさせられるものばかりで、まるで映画をみているようですが、ヨシュア記のストーリは、単なる戦争の物語ではなく、信仰の物語として読むべきものなのですね。では、ラハブの、この大胆な行動、勇気のいる行動のみなもととなった信仰はどんなものだったのでしょう。もうすこしくわしく見ておきましょう。

 二、ラハブの信仰

 第一に、ラハブの信仰はまことの神に対する信仰でした。ラハブは「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。」(ヨシュア2:10)と言っています。ラハブが使った「主」ということばは、神の「パーソナル・ネーム」である「ヤーゥエ」です。ラハブは、カナンの神々に仕える神殿娼婦でした。彼女は自分の「宗教」を持っていました。しかし、神がイスラエルになさったさまざまな力ある出来事について聞いた時、イスラエルの神こそ、まことの神であることを信じるようになったのです。

 普通、自分の宗教を持っている人たちは、まことの神に対する信仰を持ちにくいと考えられていますが、かならずしもそうとは言えないようです。私は、東京の教会で奉仕していた時、テキサスで知り合った方のお父様に会いました。その人は、近くに住んでいるからと言って、教会を訪ねてくれました。この人は、もと神官だったのですが、娘さんの熱心な伝道によってイエス・キリストを信じる信仰を持ったのです。彼は、「神社のことは何もかも知っていたからこそ、そこに神はいないということは、良く分かっていました。娘からイエス・キリストのことを聞いた時、その信仰を良く理解することができました。信仰を持つのに妨げになったのは自分が神官であるということだけでした。」と言っていました。皆さんが良くご存知の堀越暢冶先生のお父様も神官でしたが、後にクリスチャンになっています。僧侶からクリスチャンに、また、牧師になった人も、富山の亀谷凌雲先生はじめ、大勢います。亀谷凌雲先生は、「仏教は、私にとって月であり、キリストは太陽です。夜があけて太陽が昇れば、月の明かりはもういらないように、キリストを信じた今は、仏教に戻る必要はなくなりました。しかし、仏教は私をキリストに導くものとなったので、そのことには感謝しています。」と言っています。宗教心のある人のほうが、なんの信仰心もない人よりも、まことの神がわかったなら、即座に神を信じることができるという実際の例がたくさんあります。ラハブも、イスラエルの神について聞いた時、すぐさま「あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」(ヨシュア2:11)と言うことができました。ラハブのこのことばは、彼女の、まことの神への信仰告白でした。

 第二にラハブは、神を恐れる信仰を持っていました。ラハブは、神がその力あるわざによって、ヨルダン川の東の王たちを裁かれ、今、エリコの町を裁こうとしておられるということを耳にしました。ラハブは、迫ってくる神の裁きを感じ取り、神を恐れ、救いを求めたのでした。ノアの時代の人々は神の裁きがやってくることを知らされていながら、神を恐れず、自らを救おうとはしませんでした。多くの人々、また、民族は神を恐れず、「神の裁きなどあるものか」と神をあなどったため、滅びていったのです。しかし、神を恐れた人々は、それによって救いを見出しました。古代のニネベの町は、イスラエルの預言者ヨナが「三日したらニネベは滅びる」と宣べ伝えた時、神を恐れ、悔い改めて、滅びをまぬかれました。神を恐れることは臆病なことではありません。主イエスは弟子たちに「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)と教えました。神を恐れることを知っている人が本当の意味でだれをも恐れることのない、勇気を持つことができるのです。ラハブの大胆な行動、勇気ある態度は、彼女の神を恐れる信仰から出ていたものだったのです。信仰のある人は、ラハブのように、社会的な立場がなくても、力がなくても、勇敢な行動ができるのです。

 第三に、ラハブは、自分の家族のために救いを求める信仰を持っていました。ラハブは「どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」と願い出ています。彼女は自分ひとりの救いのためだけでなく、家族、親族一同の救いを願い求めたのです。ラハブがスパイをかくまったことは、エリコの町の人から見れば、民族への裏切りだったかもしれません。しかし、彼女は、そのようなことをする人々が持っている、自分さえ良ければよいという利己的な心の持ち主ではありませんでした。彼女の心の中にはいつも家族のことがありました。彼女は、家族や親族を心から愛する愛を持っていた人でした。神は、そのような彼女の家族への愛に報いてくださり、彼女にひとつの救いのしるしを与えました。それは一本の「赤いひも」でした。「赤いひも」がゆわえられたラハブの家にいる者はだれでも救われるとの約束がかわされました。ラハブは、約束のことばを信じて、ふたりのスパイが姿を消すとすぐにひもを窓につけました。ヨシュアは、エリコを攻めた時、ラハブを救うように命じ、ラハブの家に集まっていた親族のすべては、エリコの町が陥落した時も、保護されました。ラハブはその信仰によって、家族、親族を救うものとなったのです。

 ラハブはノアのように大きな箱舟を作って、その家族を救ったわけではありません。彼女に、そんな大きなことはできませんでした。彼女にはその手に、家族を救う手立てをなにひとつ持っていませんでした。彼女の持っていたのは、一本の赤いひもだけであり、彼女に出来ることは、窓に赤いひもを結ぶことと、自分の家に家族、親族を集めることだけでした。しかし、神は彼女が結んだ「赤いひも」によって、彼女とその全家族を救ってくださいました。神は私たちに、私たちのできないことをせよとは命じません。私たちが、自分にできる精一杯のことをする時、それによって、救いを与えてくださるのです。「赤いひも」は、家族の救いを信じたラハブの信仰のあかしとなりました。私たちも、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とのみことばを頼りに、ラハブのように、家族の救いのために、信仰のあかしを掲げるものとなりたく思います。

 三、ラハブへの報い

 こうして、エリコの陥落の時、救われたラハブは、その後どうなったでしょうか。旧約聖書には再びラハブの名は出ることはありませんが、新約聖書の一番はじめに、もう一度ラハブの名が出てきます。マタイの福音書1:3-6を読んでみましょう。「ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。」ユダは、ヤコブの子で、イスラエルの十二部族の筆頭、ユダ族の先祖となった人です。ユダの子どもにパレスが生まれました。ユダとパレスはヤコブとともにエジプトに移住しました。何世代かたって、ナアソンの時に、イスラエルはエジプトを脱出しました。エジプトを脱出した世代は荒野で世を去りましたので、ヨシュアに導かれてカナンの地に入ったのは、ナアソンの子、サルモンということになります。ラハブは、このサルモンと結婚し、神の民の一員となったのです。サルモンは、ラハブの家に行ったふたりのスパイのうちのひとりではなかったかという人もいますが、そうかもしれません。サルモンの子がボアズで、ボアズはルツ記に登場します。ボアズはモアブの女性ルツと結婚し、ふたりの間にオベデが生まれ、オベデの子がエッサイで、その子がイスラエルでもっとも尊敬されているダビデ王なのです。カナン人の女性、エリコの町の遊女が、なんとダビデ王の祖先となったのです。

 そればかりではありません。マタイの福音書の系図は、ダビデの子としてこの世に来られたイエス・キリストにまでつながっています。ラハブは救い主キリストの母たちの母となったのです。ラハブは、神の救いと祝福を自分の家族と子孫に与えたばかりでなく、救い主の母たちの母となることによって、神の救いと祝福を全世界にもたらす者となったのです。神がラハブを滅びの中から救ったのには、目的があり、計画があったのです。同じように神は、イエス・キリストを信じて救われた者の人生に計画を持っておられます。その計画とは、私たちを通して、私たちの身近な人々からはじめて、まわりの人々に救いと祝福を与えるということです。ラハブの信仰が彼女の生涯の後も、大きな祝福となったように、神は、私たちの信仰を、私たちの後に続く世代の大きな祝福のために用いてくださいます。神を信じ、神を恐れ、家族のために救いを求め、神のご計画にあずかっていく、信仰の道を歩み続けてまいりましょう。

 (祈り)

 父なる神さま、今朝、ラハブの信仰を通して「信仰の勇者」となるためには、民族も、家柄も、職業も、能力も無関係であることを学びました。カナンの一女性が、あなたの救いの計画のために用いられたように、私たちもまた、家族の救いと祝福からはじまって、全世界の救いと祝福のために用いてください。信仰のあかしを窓に結びつけたラハブのように、まことの神であるあなたへの信仰のあかしを保ち続ける私たちとしてください。主イエスのお名前で祈ります。

8/31/2003