人生の道しるべ

ヤコブ1:21-22

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1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
1:22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。

 一、みことばに導かれる

 みなさんは、きょう、ここに来るのに、GPSを使ってきましたか。Google Map で調べてきたでしょうか。私がはじめてアメリカに来たとき GPS もインターネットもありませんでした。アメリカに来て最初の日曜日、教会から家に帰るのに、近くまで来ているのに借りている家が分からなくなってしまいました。ガス・ステーションで、「私の家はどこでしょう」と尋ねました。幸い、親切な人に道案内してもらって、やっと帰ったことがありました。それ以来、いつも車に地図を入れてドライブするようになりました。そして、フリーウェーの出口のサインや、ストリート・サインなどよく見るようにしてきました。

 ドライブに地図や GPS、また、道路のサインが必要なように、私たちの人生にも「道しるべ」が必要です。ドライブするときにはまず目的地を決めて、それから、そこに行く道を捜します。いくら地図や GPS、また、道路のサインがあっても、行き先のアドレスが分からなかったら、そこに行くことはできません。また、間違ったアドレスを GPS に入れてしまったら、とんでもないところに着いてしまいます。

 私たちの人生も同じです。多くの人は人生の目的地が分からないまま、北に南に、東に西に走り回っているだけです。

 こんな話があります。牧師が、ひとりの大学生に尋ねました。「君の人生のゴールはどこですか。」「まずは、無事に大学を卒業することです。卒業式を迎えられるように頑張ります。」「卒業式が終わったら、どうするんですか。」「どこかに就職して、そのうち恋人もできて、幸せな結婚式ができるといいですね。」「結婚式のあとは、どうするんですか。」「スチューデント・ローンを払い終わったら、今度は住宅ローンを組んで、郊外に素敵な家を持ちたいですね。そして、友達を呼んでパーティをするんです。」「そうですか。そのパーティの後は。」「先生、よしてくださいよ。そんな先のことは考えていませんよ。あとはリタイアして、リタイアメント・ホームに移るでしょうね。残っているのは、お葬式くらいなものでしょう。」「なるほど、では、君は、お葬式をするために今、一所懸命勉強し、これから何十年も働き、生きていこうとしているのですね。」この若者は、牧師の言葉に、ハッと気付きました。「そうだ、ぼくは自分の人生の目的を持っていなかった。これから真剣にそれを求めよう。」

 人生は「旅」だと言いますが、もし目的地がなかったら、それは「旅」でいはなく「放浪」になってしまいます。たった一度しかない人生を「放浪」で終わらせるのは、なんと無意味で残念なことでしょう。人生の旅には目的地が必要なのです。

 アンパンマンの作者、やなせたかしさんは、アニメ・アンパンマンのテーマソングを次のように作詞しました。

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!
忘れないで夢を こぼさないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

 アンパンマンは幼稚園くらいの子どもたちを対象にしたアニメです。アニメのプロデューサは、「何の為に生まれて、何をして生きるのか」「何が君の幸せ、何をして喜ぶ」などといったことを幼稚園のこどもが考えるわけがないと、この歌詞に難色を示しました。しかし、クリスチャンであったやなせさんは、人は皆、「何の為に生まれて、何をして生きるのか」という人生の目的、「何が君の幸せ、何をして喜ぶ」という人生の意味を求めて生きていることを知っていました。ちいさな子どもは大人のようにそれを言葉にできませんが、たましいの奥底に人生の目的と意味を求める思いを持っているのです。それが、人間なのです。やなせさんは「ぼくらはみんな生きている」という歌も書きましたが、その歌は、人生の目的と意味を知るとき、はじめて生きる喜びを味わうことができることを暗示しています。

 聖書は人生という旅を導く地図、GPS、「道しるべ」です。しかも、私たちの人生の目的地をはっきりと示してくれる、唯一の「道しるべ」なのです。

 二、みことばに聞く

 では、聖書をどのようにして人生の「道しるべ」にすればよいのでしょうか。何か困ったことがあったら、目をつむって聖書のどこかのページを開き、指さしたところの言葉を読めばよいのでしょうか。いいえ、聖書はそんなふうに読むものではありません。聖書は、順序を踏んで読み、礼拝でメッセージとして聞き、他の人と一緒に学び、そして、大切な聖句を暗記し、心に蓄えるものです。そして、素直な心で神のことばを受け入れるとき、神の言葉は私たちにイエス・キリストによる永遠の救いに導きます。また、生活の実際的なさまざまな場面で、私たちを正しい道へと導いてくれるのです。きょうの聖書の箇所、ヤコブ1:21はこう言っています。「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」

 ここにある「すべての汚れ」の「汚れ」というギリシャ語は「ルパリア」(ῥυπαρία)ですが、それに関連した言葉に「ルポス」(ῥύπος)というのがあります。これには「汚れ」は「汚れ」でも、耳の「汚れ」、「耳垢」という意味があります。耳垢が溜まると難聴になることがあります。同じように、心の耳垢が溜まって、神の言葉を素直な心で聞くことができないことがあるのです。イエスはしばしば「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われましたが、それは、心の耳垢が取り除かれ、神の言葉をよく聞くことができる耳を持っている人のことでしょう。

 GPS は車のダッシュボードに置いておけば、指示を出してくれますが、聖書は戸棚において置くだけでは、人生の導きとなりません。毎日聖書に親しみ、神の言葉を心に蓄えることによって、私たちの人生の旅を間違いなく目的地まで導いてくれる人生の GPS となるのです。

 三、みことばを行う

 カリフォルニアの教会に、とても愉快な人がいました。ある時、彼女はこんな話をしてくれました。「主人が、『今度買った車はオートマチックだよ』というので、ワクワクしていました。ところが主人はやっぱり運転しているのです。それで主人に、『オートマチックなのになぜ運転しているの』言ったら、笑われてしまいました。私は、座っていれば、勝手に行きたいところに行けるのかと思っていました。」真面目な顔で話すのでよけいに面白かったのです。そのころはまだ自動運転の車など無く、「オートマチック」というのは「シフト」操作がいらないという意味だったのです。けれども、今は、ほんとうに自動運転の車が実用化されようとしています。彼女はもう亡くなりましたが、生きていたら、「ほらね、私が言ったように、座っているだけで行きたいところに行ける車ができたでしょ」と得意になって言うことでしょう。

 自動運転の車は GPS とコンピュータで動くのですが、聖書が私たちの人生の GPS だからといって、神は私たちの人生を自動的に動かすわけではありません。人生という車は自動運転ではないのです。そのステアリング・ホィールも、アクセルも、ブレーキも、そして変速ギアも、私たちの操作に任せられています。みことばに従うか、従わないかは、私たちの側で決めることなのです。

 GPS では、道を曲がるとき、あと何マイル、あと何ヤードというところに近づかないと、指示を出してくれません。道を曲がるそのつど、指示を聞いて従わなくてはなりません。人生の道は、決して一直線ではありませんから、私たちも、そのつど、神の言葉に聞き、それに従っていく必要があります。聖書に「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)とあります。神の言葉は「道の光」、つまりサーチライトのように、歩むべき道を遠くまで照らしてくれることもあれば、「足のともしび」、つまり、昔あった提灯のように、次の一歩しか照らしてくれないこともあります。その場合でも、一歩一歩を進めていけば、間違いなく目的地に向かうことができます。「一日一歩」の確実な歩みが積み重なって、確かな人生を歩むことができるようになります。

 ですから、ヤコブ1:22はこう言うのです。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」「みことばを行う人になりなさい」は英語で〝Be doers of the word.〟となっています。21節で学んだように、私たちは、まず、みことばの「聞き手」(hearer)にならなければなりませんが、「聞き手」(hearer)だけで終わらず、「行い手」(doer)になりなさいと教えられているのです。

 「みことばを行う人になりなさい」というのは、何でもいいから聖書が教えていることを行いさえすればよいということではありません。「行う人」(doer)と訳されている言葉は〝maker〟、つまり何かを「作る人」と訳すことができます。何を作るのでしょうか。自分の人生を形作るのです。私たちの人生は、自分の思い通りにならないことのほうが多いでしょう。こんなふうに生きたかった、あんなこともやっておけばよかったと後悔することも多いと想います。自分で自分の人生を形づくるどころか、いつもまわりの人にふりまわされてきたと感じることがあるでしょう。しかし、イエス・キリストを信じたとき、私たちは神によって新しく造られました。私たちも神とともに自らの人生を形作っていくのです。

 また「行う人」という言葉は〝composer(作曲者)、poet(作詞者)、performer(演奏者)などを指すのにも使われます。みことばを守り行う人は芸術家だと言われています。人の目には平凡なものに見えたとしても、神を信じる者の人生は、神の前には、創造的で、美しいものになるのです。神の言葉は、私たちにそんな人生を与えてくれます。

 聖書を、読んで、聞いて、学んで、覚えて自分のものとしましょう。この四つのことは、人差し指から小指までの四本の指のそれぞれに割り当てることができます。しかし、四本の指だけで聖書を持っていても、それだけではしっかりと保っていることはできません。そこに、もう一つの指、「実行する」を加えましょう。「実行する」というのは親指のようなものです。四本の指と親指とでしっかり保たれている聖書は、簡単には手から離れません。そのようにして神の言葉を握りしめましょう。そしてみことばに導かれ、確かな人生を歩みましょう。

 (祈り)

 父なる神さま、今朝、私たちは「みことばを行う人になりなさい」〝Be doers of the word.〟との言葉を聞きました。私たちは、きょう、今から、この言葉を実行します。私たちを柔らかい心でみことばを「聞く者」とし、堅い意志で「みことばを行う人」にしてください。主イエスのお名前で祈ります。

9/26/2021