神さまへの道

ヨハネ14:1-6

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14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 きょうは、とても不思議な本を持ってきました。ふつう、本にはいっぱい字が書いてあるのですが、この本には字がないのです。それで、この本は「字のない本」と呼ばれています。「字は書いていないけど、絵は描いてあるんでしょう?」という人がいるかもしれませんが、実は、絵も描いてないのです。絵も字もない本なんて、読むことができませんし、何が書いてあるのか、全然わかりませんね。でもこの不思議な本は、ちゃんと読むことができるのです。絵も字もなくても、何が書いてあるか、ちゃんと分かるのです。どうしてわかるのでしょうか。この本には、黄色、黒、赤、白、緑の五つの色があって、その色が、私たちに五つの大切なことを教えてくれるからです。五つの色は、私たちにどんなことを語っているのでしょうか。

 一、天国

 黄色からはじめましょう。黄色は、光の色です。これは、天国のすばらしさを物語っています。聖書には、天国には暗いものは何もなく、すべてのものが光輝いていると書いてあります。天国の光は、電気の光ではないし、太陽や月の光でもないのです。神さまの栄光という光です。神さまの栄光がすべてのものを照らしているので、太陽や月はもういらないのです。ですから、天国には、悲しいことも、つらいことも何ひとつありません。病気もなければ死もありません。天国では、神さまが人々といっしょに住み、だれもが、きれいな心で神さまを賛美しているのです。この天国のしあわせは、いつまでも、いつまでも続き、なくなることはありません。天の神さまは私たちひとりひとりをとても大切に思われて、みんなが天国に行くようにと願っておられます。そして、「天国にいらっしゃい。」と招いてくださっているのです。

 神さまが、わたしたちを天国に招いてくださると聞いて、「ぼくは、まだ死にたくないよ。」と言う人がいるかもしれませんが、天国は、地上を去ってから行くところだけではないのです。神さまは、私たちの心の中にも、天国をつくってくださるのです。神さまは、わたしたちをとても愛してくださって、私たちが天国で神さまといっしょに住むのを待ち切れなくて、神さまのほうから、私たちのところに来てくださったのです。神さまは、イエスさまを私たちのところに送ってくださいましたが、それは、イエスさまによって、私たちのところに天国をつくってくださるためでした。イエスさまは天国の王様ですから、イエスさまがいてくださるところは、どこででも天国になるのです。イエスさまを心に迎え、イエスさまといっしょにいる人の心には、もう天国がやってきているのです。すばらしいでしょう?

 わたしは、小学生の時、重い病気をしました。一年間学校に行けませんでした。そんな時、「ぼくはこのまま死んだらどうなるんだろう。」と思って、とても怖かったのです。でも、イエスさまを信じて、もう何も怖くなくりました。イエスさまを信じた時、天国がわたしの心の中にやってきたからです。もう天国に入れてもらっているんだと思うと、力がわいてきました。

 みんなの心の中にもイエスさまがいらっしゃるかな?心の中に天国があるかな?心が神さまの光で輝いているでしょうか。光のこどもになって、イエスさまと一緒に歩いているでしょうか。

 二、罪

 「字のない本」の黄色は、光の色、天国のことでしたね。次は黒色です。黒は、光の反対、闇の色です。その闇というのは、わたしたちの罪をあらわしています。目をつむるとまっくらで何もみえませんね。光に背を向けると、見えるのは黒い影だけです。そのように、神さまの光を見なかったり、それに背を向けていると、心の中はまっくらになってくるのです。まっくらな心なんて、いやですね。神さまはわたしたちのことを愛して、とても心配してくださっているのに、「ぼくは誰にも愛されていない。いつもひとりぽっちだ。」なんて思ってしまうのです。そうすると、兄弟けんかをしたり、ともだちにいじわるをしてしまうようになるのです。うそをついたり、なまけたり、おとうさん、おかあさん、先生の言うことを聞かなかったり、汚いことばを使ったり、悪いことをしたりという罪がそこからどんどん出てくるのです。そして、心がどんどん暗くなっていくのです。

 三、十字架

 どうしたら、この暗い心が明るくなるのでしょうか。それは、「字のない本」の「赤い色」が教えてくれます。赤は何の色でしょう。赤は血の色ですね。この赤いページはイエスさまが十字架の上で流してくださった血を示しているのです。

 みんなは、イエスさまが十字架にかかって死んでくださったことを知ってますね。でも、なぜ、イエスさまが十字架にかかって死なれたのか、分かっていますか。十字架というのは、とっても悪いことをした人がかけられるものでした。イエスさまと一緒にもうふたりの人が十字架にかけられましたが、このふたりとも人殺しや強盗など、とても悪いことをした人たちでした。では、イエスさまも、同じような悪いことをしたのでしょうか。とんでもありません。イエスさまは、神さまのことを人々に教え、病気の人を直してあげ、ともだちのいない人を慰めてあげ、大勢の人たちを助けてあげました。良いことばかりで、どんな悪いこともしていません。イエスさまは神の御子ですから、どんな罪もない、完全に正しい人だったのです。では、どうして、イエスさまは十字架にかかられたのでしょう。それは、わたしたちの罪の身代わりとなるためでした。

 悪いことをしたら罰があります。正しい神さまは、悪いことや罪をほうっておかれることはありません。かならず罰を与えられます。わたしたちは、だれひとり、罪のない人はいませんから、やがて、神さまのさばきを受けなければならないのです。人殺しや強盗だけが罪ではありません。うそ、ごまかし、いじわるも罪です。お父さん、お母さん、先生の言うことを聞かないことも罪です。なにより、重い罪は、神さまを信じないこと、神さまのおことばに従わないことです。神さまがわたしたちを心から愛してくださっているのに、神さまの愛なんかいらないということがいちばん大きな罪です。

 わたしたちの罪は、自分で思う以上に、山のように大きなものかもしれません。しかし、イエスさまはその大きな罪を背負って、わたしたちの身代わりとなって十字架で罰を受けてくださったのです。

 四、信仰

 そのことを信じると、罪がいっぱいで暗い心も、イエスさまによって、きれいな心、明るい心に変わるのです。それが白いページの教えていることです。みなさん、天国には罪はありません。そこがどんなに楽しいところでも、罪があったら、もうそこは天国でなくなってしまいます。罪を持ったままでは、絶対に天国に入れないのです。きよく、正しいイエスさまは、わたしたちが罪を持ったままでは、わたしたちの心の中に入ってはくださらないのです。

 どうしたら、罪をきれいにすることができるのでしょうか。罪は、自分の力できれいにしようと思っても絶対にきれいにすることはできません。ちょっと考えてみてください。昼間、みなさんの部屋のカーテンを閉めて、電灯を消してまっくらにしたとしましょう。この部屋の暗闇をどうやって追い出したらいいでしょうか。ほうきをもってきてはき出してもだめですね。棒をもってきてたたいても、暗闇は出ていきません。どんなにしても闇は追い出せません。けれども、カーテンを開けて、窓から光をいれたら、たちまち闇はなくなっていきます。わたしたちの心も同じです。イエスさまに心の中に入っていただくと、さーっと心に光が入ってくるのです。「わたしはイエスさまの十字架がわたしの罪のための身代わりだったことを信じます。イエスさま、どうぞわたしの心の中に入ってください。」と、こころからお祈りすればよいのです。

罪によごれ 暗いこころも
主イエスさまの 血で洗えば
しろい雪のように きれいになり
かがやく天の くにに行ける
という歌のとおりです。

 五、成長

 最後の緑は、命をあらわします。草や木の葉っぱは生きている時は緑色をしていますが、枯れると茶色になりますね。緑のページは、イエスさまを信じる人は、新しい命を神さまからいただいて、神さまのこどもとなって、成長していくことができるということを教えています。イエスさまは、十字架で死なれただけでなく、三日目に復活されました。イエスさまは、今も生きておられ、イエスさまを信じる人に、新しい命、神さまからの命、いつまでもなくなることのない命をくださるのです。

 きょうの聖書の箇所には、イエスさまが、十字架におかかりになる前の晩にお話しになったことが書いてあります。イエスさまは、三年間、人々に神さまのことを教えてこられましたが、いよいよ天にお帰りになる時がやってきました。弟子たちとお別れの食事をした後、弟子たちに最後の教えを伝えました。今までだったら、弟子たちは、イエスさまがお話していても、ぼんやりと聞いていたり、隣の人とおしゃべりしたり、立ち上がって他のことをしたりしていたかもしれません。一日働いた後は、疲れて、居眠りをしてしまう弟子たちがいたかもしれません。けれども、この日は違いました。もう夜遅くなっているのに、誰も居眠りする人はいませんでした。みんな目を大きくあけてイエスさまの顔を見つめ、そのことばに耳を傾けていました。けれども、弟子たちは、これから何が起こるんだろうという心配でいっぱいでした。

 それでイエスさまは弟子たちに「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われたのです。そして、イエスさまは「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」と言われました。「わたしの父の家」というのは天国のことです。イエスさまは、天国から来られたので、天国にお帰りになるのです。それは天国に私たちの住む場所を用意するためです。

 イエスさまは続いて言われました。「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」すると、トマスというお弟子が言いました。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」お弟子たちは、イエスさまが、わたしたちの罪の身代わりに十字架にかかられ、それから天国にお帰りになることを、この時はまだ分かっていなかったのです。それでイエスさまは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」とお話しになりました。イエスさまが天国への道、神さまへの道です。イエスさまを心に迎える時、イエスさまは、わたしたちの心の中に入ってくださいます。わたしたちの心に天国が入ってきます。イエスさまによってわたしたちは神のこどもになり、神はわたしたちの天のお父さまになってくださるのです。

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」このイエスさまのおことばを信じましょう。イエスさまによって神さまに近づきましょう。神さまのこどもになって神さまの国に行きましょう。光の子になって光の国へと歩いていきましょう。

 (祈り)

 天のお父さま、わたしたちを天国に入れるため、イエスさまをわたしたちのところにお送りくださったことを感謝します。イエスさまが、わたしたちの罪の身代わりに、十字架にかかってくださったことを、ほんとうにありがとうございます。イエスさまを信じ、イエスさまに従って、私たちの心が天国の喜びでいっぱいになるように導いてください。救い主イエスさまのお名前によってお祈りします。

11/6/2005