死の恐れから救われて

ヘブル2:14-18

オーディオファイルを再生できません
2:14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。
2:16 当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。
2:17 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。
2:18 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。

 きょうはイースター。イエス・キリストの復活を祝う日です。アメリカでは、教会に一年で一番大勢の人が集まる日です。クリスマスはクリスチャンでない人も祝いますが、イースターはクリスチャンでない日本の人たちの間では、ほとんど祝われることはありません。イエス・キリストが、死んだけれど復活したなどというのは、にわかに信じられないと考えているからです。イースターに教会に来た人と話してみても、「子どものエッグハントに付き合って来ただけですよ」という返事で、イエス・キリストの復活を真面目に考えてみようとする人に出会うのはまれでした。私は、皆さんに、「キリストの復活」を真剣に考えていただきたいので、復活が伝説でも神話でもない、歴史の事実であるということをお話ししょうと思います。それが歴史の事実であることについては、いくつもの「証拠」があるのですが、きょうは、六つの「復活の証拠」をあげてみたいと思います。

 一、空の墓

 キリストの復活の第一の証拠は「空の墓」です。どの宗教の教祖も、その墓が大切にされ、人々は教祖の遺体や遺骨を拝むため、そこにやってきます。しかし、エルサレムにある、イエスの墓は違います。そこは空っぽです。イエスの遺体が収められたとき、墓の入り口は大きな岩で塞がれた上、厳重に封印され、ローマ兵がそれを守っていました。ところが、日曜日の朝早く、墓の中からの力によって封印は破られ、岩は転がり、ローマ兵は逃げ去りました。死も墓もイエスをつなぎとめておくことは出来なかったのです。イエスは死に勝利し、よみがえられたのです。

 ユダヤの指導者たちは、使徒たちがイエスの復活を宣べ伝えはじめたとき、使徒たちを脅して、イエスの復活について語るのをやめさせようとしました。ユダヤの指導者たちが「イエスは復活しなかった」と言うのなら、その遺体は墓にあるはずです。墓にあるイエスの遺体を見せれば、それで使徒たちを黙らせることができたはずです。なぜそうしなかったのでしょう。イエスの墓が空っぽだったからです。イエスの復活は、イエスに反対する人たちでさえ、否定することができなかった事実なのです。

 二、歴史の記録

 復活の第二の証拠は「歴史の記録」です。新約聖書の大部分は、紀元50年ころから70年ころに書かれました。コリント人への手紙第一は、使徒パウロが紀元55年ころ、コリントの信徒に書き送った手紙です。その中に、こう書かれています。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(第一コリント15:3-5)キリストの復活は、後になって作られた伝説や神話であると言う人がいますが、伝説や神話というものは何世代も経って作られるもので、わずか数十年でできるものではありません。イエスの復活は、イエスの復活の直後から宣べ伝えられ、同じ世代に書かれた聖書に記録されているのです。

 キリストの十字架と復活は、聖書以外の文書にも記されています。ローマの歴史家タキトゥスは、紀元60年から120年に生きた人でしたが、その『年代記』の第15巻44章に、「皇帝ネロはクリスチャンと呼ばれる人々を憎み、滅ぼそうとした。クリスチャンの名は、キリストに由来し、彼は、皇帝テベリオの時代、総督ポンテオ・ピラトの手によって処刑された」と書いています。また、ユダヤ人の歴史家、フラビウス・ヨセフスは紀元94年に『ユダヤ古代記』を書いていますが、その第18巻3章に「このキリストは、聖なる預言者たちが預言したように、三日目によみがえって、人々に現われた。クリスチャンと呼ばれる人々は今日にいたるまで滅びることなく続いている」と書いています。歴史の記録は、復活の事実を証言しています。

 三、日曜日の礼拝

 第三の証拠は、「日曜日の礼拝」です。ユダヤの人々はそれまで土曜日に礼拝を守っていました。なのに教会の礼拝は日曜日に行われました。なぜでしょう。それは、イエス・キリストが日曜日に復活したからです。礼拝は、今から二千年前に亡くなられた方を懐かしんで集まる「メモリアル・サーヴィス」ではありません。生きているお方、死に打ち勝った勝利の主をほめたたえて過ごす時間なのです。ですから、毎週の日曜日がイースターなのです。きょうは、日曜日の中の日曜日、イースターの中のイースターということになります。

 四、数多くの目撃者

 第四の証拠は、復活の「目撃者」が大勢いたことです。朝早くイエスのからだに香油を塗りに行った女の弟子たちは空の墓を見ました。ペテロもヨハネも墓が空であったのを確かめました。ペテロは墓の中にまで入って、それが空っぽだったことを確認しています。十二弟子をはじめ多くの弟子たちが復活されたイエス・キリストに出会いました。復活して天に帰るまでの四十日の間、イエスは彼らにご自分の生きておられることを示されました。復活から25年経った後も、復活の「目撃者」たちは少なくても五百人は生存していました(コリント第一15:6)。ごく少人数の人ならいざ知らず、何百人もの人々の目撃したことが、幻影だったとか作り話だったということはありえません。キリストの復活は確かな事実です。そして、この事実は、私たちの人生を勝利に導く事実です。死に勝利されたお方を信じる者は、その人生において勝利者となることができるのです。

 五、弟子たちの変化

 復活の第五の証拠は「弟子たちの変化」です。よみがえったキリストに出会った人々はみな、その人生に大きな変化を体験しています。

 まず、ペテロの場合を見ましょう。ペテロは、「私こそイエスの一番弟子」と自負していました。イエスがゲツセマネというところで捕まえられたとき、他の弟子たちは逃げてしまいましたが、ペテロは、イエスが連れていかれた大祭司の家の中庭に紛れ込みました。しかし、そばにいた人々から「おまえはイエスの弟子だろう」と言われたとき、彼は自分の身が危うくなるのを恐れて、「私はイエスなどという人は知らない」と言い、イエスを三度も否んでしまいました。

 ところが、それからわずかしかたたないうちに、ペテロは再び、弟子たちの先頭に立ち、エルサレムの真ん中で、こう言いました。「このイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。」(使徒2:23-24)イエスの復活を堂々と宣べ伝えたのです。

 ある日、ペテロが神殿で病人をいやしたとき、ユダヤの指導者たちはペテロを捕まえ、取り調べました。その時もペテロはひるむことなく言いました。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。」(使徒4:8-10)かつて人を恐れ、イエスを否定した人物が、こんなにも大胆にイエスを伝えている。この変化はどこから来たのでしょう。キリストの復活以外に説明がつきません。ペテロはよみがえったキリストによって変えられたのです。

 次はパウロです。パウロはペテロと同世代の人でしたが、ペテロとは全く別の道を歩んできた人でした。トルコにタルススという町がありますが、パウロはその町の裕福なユダヤ人家庭に生まれ、生まれながらローマの市民権を持っていました。パウロはユダヤ人としての誇りを強く持っていたので、ギリシャの学問を修めるだけではあきたらず、エルサレムに行き、当時ユダヤで最高の教師といわれたガマリエルの門下生となりました。ペテロがイエスに従い、イエスから学んでいた三年間、パウロはガマリエルの膝下で、脇目もふらず、ユダヤ教の伝統を学んでいたのです。エルサレムで教会が始まったとき、パウロはユダヤ教パリサイ派の指導者のひとりとなり、教会迫害の先頭に立っていました。

 パウロは、遠くダマスコの教会までも迫害の手を伸ばしました。ところが、パウロはダマスコに入る前に、復活したイエス・キリストに出会ったのです。「イエスはキリストではない」、「イエスは復活しなかった」と信じてきたパウロが、イエスはよみがえって生きておられるという事実に直面したのえす。事実以上に力あるものはありません。どんな理論も事実の前には力がありません。パウロは自分の信念や理論ではなく、キリストの復活という事実に立って聖書を学び直しました。博学な彼は、今までの聖書の知識を総動員し、「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと」という事実受け入れたのです。それ以来、パウロは、ネロ皇帝の時代に殉教するまで、命がけでイエス・キリストを宣べ伝えました。パウロを迫害者から宣教者へと変えたのは、イエス・キリストの復活の事実でした。

 六、信仰の喜び

 聖書はこう言っています。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」(ペテロ第一1:8-9)キリストの復活から二千年が経ちました。私たちはキリストの復活を直接は見ていません。けれども、復活の事実は変わることがなく、イエス・キリストは今も生きておられます。この事実を信じるとき、私たちは「見たことはなく、今、見ていなくても」イエス・キリストを信じて、喜びに満たされるのです。この信仰の喜び、たましいの救いは、今も、イエス・キリストの復活が宣べ伝えられるところでは、どこででも起こっています。復活の第六の証拠は、この信仰の喜びです。

 一昨年(2017年)4月10日に亡くなった羽鳥 明先生は、日本の伝道をリードしてきた伝道者です。羽鳥先生には弟さんがいて、羽鳥先生は、弟さんがイエス・キリストを信じて救われるようにと祈っていました。ある日曜日、羽鳥先生は弟さんを教会に誘い、一緒に礼拝に出ました。教会に着いて、羽鳥先生は、一瞬、「しまった。別の日にすれば良かった」と思ったそうです。その日はちょうどイースターだったからです。弟さんは、そのころ、共産主義の活動家で、唯物主義思想を持っていました。そんな彼が、いきなり、「キリストは復活した」などというメッセージを聞いたら、きっと心を閉ざすだろうと考えたからです。ところが、弟さんは真剣に、復活のメッセージに耳を傾けました。信仰を求め、クリスチャンになり、やがて牧師となりました。羽鳥純二先生のことです。羽鳥純二先生は、後に、そのときのことを振り返って、こう話しています。「私は、社会正義を目指して活動していましたが、同志たちの中に裏切りや、足の引っ張り合いなど、自分たちが理想として掲げているものとは正反対の醜いものが多くありました。自分自身の中にも、どうしようもない欲望があり、どんどんと乱れた生活に向かっていました。教会で復活のメッセージを聞くうちに、復活の力がなくては、こんな私は決して生まれ変わることはできないと思うようになりました。」皆さん、イエス・キリストの復活の事実は、今も、信じる者の人生を変えています。今も、生きておられるキリストがたましいに消えない喜びを与えておられるのです。

 私も、同じ喜びを受けました。私のちいさな証しをして、きょうのお話を締めくくりたいと思います。

 私は、十歳のとき、母を亡くしました。母の死後、病気をして一年間学校を休みました。学校に戻るようになっても、体育の時間は見学で、週に一度は早引きをして病院に通わなければなりませんでした。そんな状態が高校に行くまで続きました。

 私の一番上の姉は子どもがなかったので、末っ子の私を自分の子供のようにかわいがってくれました。義理の兄もそうでした。ところが、その義理の兄がトラックの荷台から降り落とされ亡くなってしまいました。それは母の死後二年もたたないうちでした。

 私は肉親の死と自分の病気をとうして、死を恐れるようになっていました。高校生になっても時々高い熱を出して一週間も寝込んでしまうことがありました。そんな時、このまま死んでしまったらどうなるんだろう、長く生きたとしても、やがては年をとって死んでいくのなら、生きていくことにはどんな意味があるのだろう。また、どんなに私を愛してくれる人がいても、その人もやがて世を去っていく。変わらず自分を愛してくれるものなど、ありはしないのだと考えたりもしました。

 聖書に興味を持ったのは、そのころでした。聖書を買い求め、通信講座で聖書の勉強をはじめました。ラジオでキリスト教番組も聞きました。その中で「技術の発達によって、今は、遠く離れた国の人と電話で話すことができるようになった。なのに、私たちは、身近にいる人と心を通わすことができない」と言っているのを聞きました。それは、私にとっても同じでした。嫌な人とは口もききたくないと、自分で自分の心を狭くしていました。聖書を勉強するようになって、そんな自分の罪が、次々と分かってきました。そして、イエス・キリストが十字架で死に、三日目によみがえられたのは、私を罪から救うためだったということを知るようになりました。

 ある日「賛美とメッセージの集い―キリスト教伝道集会」というポスターを見つけました。その日の夜から始まるとありましたので、その夜、教会に行きました。「ユダの罪は、鉄の筆と金剛石の先端で記され、彼らの心の板と彼らの祭壇の角に刻まれている」(エレミヤ17:1)という聖書の言葉からのメッセージを聞きました。メッセージの最後に「イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる人は手をあげなさい」との招きがありました。私は心から信じて手をあげました。集会が終わって、「手を上げた人は残って行きなさい」と言われ残っていると、ひとりのクリスチャンが、私を個人的に導いてくれました。私は、その日、生まれてはじめて、まことの神に、イエス・キリストのお名前で祈りました。後で知ったことですが、私の見たポスターは、その夜、私を導いてくれた人が貼ったものだったのです。

 教会からの帰り道、私は自転車のペダルをこぎながら、教会で聞いた賛美を歌っていました。「わが生涯はあらたまりぬ、イエスを信ぜしより、わが旅路のみひかりなる、イエスを信ぜしより。イエスを信ぜしより、イエスを信ぜしより、よろこびにて胸はあふる、イエスを信ぜしより。」(聖歌462)この賛美の四節目の歌詞は「死の恐れはまたく消えぬ、イエスを信ぜしより、あまつ住まい備えたもう、イエスを信ぜしより」です。この歌詞のように、私は、イエスを信じたことによって、死の恐れから解放されました。聖書に「それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした」(ヘブル人への手紙2:14〜15)とある通りです。

 イエス・キリストは、私の心の空白を満たしてあまりあるお方でした。このお方によって私は肉親の愛にまさる神の愛を知りました。翌年のイースターにバプテスマを受けました。それ以来、私は「イエス・キリストはわたしの罪のために死に、私を救うためによみがえってくださった」という事実に生かされて来ました。

 皆さんの中に、今までキリストを信じるのに躊躇してきた人、バプテスマを受けるのをためらっていた人はいませんか。このイースターの日に、今も生きて、ここにおられるイエス・キリストを。心を開いて、あなたの人生に受け入れてください。キリストが命じておられるように、バプテスマを受けてください。そのとき、あなたも、キリストの復活の命によって変えられるのです。

 (祈り)

 イエス・キリストの父なる神さま。あなたに愛され、あなたを愛する方々と共に、イースターの礼拝をささげることができ、心から感謝します。イエス・キリストがよみがえられた。それは世界中の多くの人々の人生を変えてきた歴史の事実です。きょう、ここに集まった人々が、ひとり残らず、イエス・キリストの復活の命を受け、罪と死から救われ、愛と聖さ、力と命にあふれた生涯を始めることができますよう、導き、助けてください。私たちの共に信じるイエス・キリストのお名前で祈ります。

4/21/2019