血と汗と涙

ヘブル12:1-3

12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

 明日はメモリアル・デーです。この日は、もともとは南北戦争の戦没者の記念日でしたが、その後、国のために戦死した人たちや功労のあった人々を覚える日として定められました。以前は第二次大戦でヨーロッパの解放のために命をささげた人々や、最近では、2001年9月11日に亡くなった消防士や警察官も記念するようになりました。今年は、イラク戦争で命を落としたアメリカの百名の兵士たちを特に心に覚えたいと思います。

 私たちの教会では、毎年、メモリアル・デーの前の日曜日をメモリアル・サンデーとし、その年に天に召された方々を覚えて、礼拝を守っています。日語部では、昨年のメモリアル・サンデーからの一年間、堀内やす姉、佐藤松太郎兄、越知タム兄、そしてアンダーソン冨美子姉を天に送りました。これらの方々は、国のために命をささげたわけではありませんが、私たちにとっては、信仰の戦いを立派に戦い抜き、天に凱旋した人々であり、その人生を教会のためにささげて働いてくれた人々ですから、メモリアル・サンデーに、これらの方々を心に覚えるのはふさわしいことだと思います。明日は、皆さんも家族や友人のお墓を訪れることでしょうが、これらの方々は家族のために、教会のために、地域のために生きてきた人々であり、私たちは、こうした方々の犠牲によって、今あるわけですから、彼らのゆえに神に感謝し、私たちもその足跡にならう者になりたく思います。

 私たちの信仰の目当ては、なによりも主イエス・キリストで、聖書は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)と教えています。しかし、私たちが目に見えないイエスに目を向け、従うことができるため、神は、私たちに「雲のような証人たち」、目に見える信仰の先輩たちを備えていてくださっています。ヘブル12:1は「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」と言っています。信仰の歩みは決して孤独なものではありませんし、誰も歩んだことのない未知のものでもありません。私たちは信仰の歩みを立派に歩み通した人々を天に持っており、地上では信仰の歩みを共にしてくれる兄弟姉妹がいるのです。今朝は、メモリアル・サンデーですので、先に信仰の歩みを歩み通した、私たちの先輩のクリスチャンの犠牲と、労苦と祈りとを振り返ることにしましょう。

 一、「血」

 「雲のような証人たち」というと、旧約時代の信仰者たちや、初代教会以来、教会の歴史を形作ってきた人々のことが心に浮かびますが、今朝は、もっと身近な、私たちの教団や教会の創設者たちのことを考えてみましょう。私たちの教団は、日本やハワイからロスアンゼルスに来た青年たちが、日本人への伝道に重荷を与えられて始まりました。それは小さな始まりでしたが、彼らは大きなビジョンをもって、教団に「東洋宣教会 Oriental Missionary Society」という名前をつけました。東洋宣教会は、他を助けることはあっても、他から助けられることのない、自立自給の教団でした。教団の最初の監督葛原定市先生は、日本ホーリネス教団の出身でしたが、決して日本ホーリネス教団から派遣されたわけでも、支援を受けたわけでもありません。教団の創設者となった青年たちが、それぞれ一日働いて得たものを出し合って、教会をつくりあげていったのです。彼らは、留学中の葛原先生を招き、先生と家族を支えて伝道していったのです。この人たちは教会を建てあげるために文字通り「血」と「汗」と「涙」を流しました。

 「血」とは犠牲のことです。「殉教者の血が教会の種となった」と言われていますが、初代教会は、殉教者たちの犠牲によって建てられました。実際、ギリシャ語の「証人」という言葉は、「殉教者」という言葉から生まれたのです。日本のホーリネス教団では、戦争中の弾圧によって殉教者が出ました。北米では殉教者は出ていませんが、多くの一世の方々は、アメリカに定着するため血のにじむような苦労をしてきましたし、二世の多くはヒットラーとの戦いで激戦地に送られ、文字通り血を流してきました。私たちは、こうした方々の犠牲を忘れてはならないと思います。

 二、「汗」

 次に覚えたいのは彼らの「汗」です。汗は労苦を表わします。「熊のプー太郎」というたわいもないまんががあるのですが、その主題歌は「汗水ながさず儲けたい、らくしてたくさん誉められたい」というのです。現代人の本音を歌っていて、これには苦笑しましたが、現実には、汗を流すことなしに、苦労することなしに、どんな価値あるものも手にすることはできないのです。

 教団の教会の多くは労苦なしに建てられたのではありません。日系人は、戦争中、収容所に入れられましたが、その時、収容所に持っていくことができたのは、身のまわりのわずかなものだけでした。人々はせっかく築き上げた財産をことごとく失いました。戦争が終わって収容所から出る時も、わずかなものしか与えられませんでした。自分たちの日々の生活もままならない時でしたのに、二世の人々は、自分たちのことはさておいて、戦争中閉じられていた教会の扉を再び開き、教会再建のために汗を流したのです。私は、アメリカに来るまで、アメリカの日系人のことをほとんど知りませんでしたが、アメリカに来て二世の方々からお話を聞き、戦争中の日系人がどんなに苦労したかをはじめて知りました。

 どこの教会も、最初は小さな建物からはじまって、やがて、百人、二百人が集うことのできる教会堂を建てていきました。私たちの教会の建物は、手狭になってきたとはいえ、これだけの土地や建物を与えられているのは、感謝なことです。一世、二世からひきついだ霊的な資産はもとより、土地や建物という目に見える資産においても、それを活用し、発展させていきたいと思います。一世、二世の方々の犠牲と労苦によって築き上げられたものを食い潰すだけであってはなりません。私たちも「汗」を流して、もうひとまわり大きな教会を次の世代に引継ぎたいと思います。

 三、「涙」

 私たちの先輩の流したもう一つのものは「涙」です。一世、二世の方々は、数々の不運な目にあいましたが、信仰を者が流した涙は、自分たちの不幸を嘆く涙ではなく、他の人の不幸を嘆く涙でした。

 使徒パウロは、こう言っています。「わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。」(ピリピ人への手紙3:18-19)パウロはキリストの十字架に敵対して滅びに向かっている人たちを心から憂い、そのために涙を流しました。パウロの時代も、今も、私たちの救いはキリストの十字架にあるのに、その十字架を「ばかばかしい」、「私には無関係」、「不必要」などと言って退けている人々が多いのです。人生の目的も、意味も知らないで、その日、その日の快楽に生きている人々はなんと不幸なことでしょうか。

 私たちの先輩たちは、使徒パウロのような心で、滅びていく人々を思いやり、人々のために涙を流して祈りました。以前も引用したことがありますが、葛原先生は、教団の機関紙『靈聲』1923年(大正12年)1月20日号に次のように書いています。

 「東洋宣教会は泣いて叫んで祈るという。これが教会のある方面における悪評である。しかし、私は彼らに来たりて見よと言いたい。いたずらに空評をしてはならぬ。同時に私はもっと我等の群れが泣いて祈るものにならねばならぬと思う。

 主イエスは十字架への途中でなんと仰せられたか。『我がために泣くなかれ。汝と汝の子らのために泣け』と仰せられたではないか。使徒ヤコブは『汝らの笑いをかなしみに変えよ、汝らのよろこびを憂いにかえよ』と言い、『苦しめ、悲しめ、泣け』と言っているではないか。『既に来たらんとする災いを思ふて泣き叫ぶべし』と絶叫しているではないか。

 キリスト者なりと言いて、神恩に感泣したこともなく、滅びゆく世の人のために一滴の涙もなくして過ごしうるとは解しえぬ事である。涙なきならばむしろ自分を怪しむのが当然である。北方の牧師はかって『自分はまだキリストの御苦しみを思ふて泣くといふた風の経験がないが、それでもいいのだろうか』と言われた事がある。これが真面目なるキリスト者の当然の叫びであるべきはずである。

 泣く、泣いて祈るを嘲るに至ってはその人の宗教的経験に疑問なきを得ぬ。みことばと主とに対するその人の敬虔さがうかがわれるではないか。凍りはてたる人心は涙なくして溶けるものではない。おお、泣け、泣け。泣いて祈れ。泣きて訴えよ。我らは涙なきを恥ずる。」

 このようなクリスチャンの涙の祈りによって、人々は救われてきました。もし、私たちが他の人のために泣いて祈ることができないなら、せめても自分の罪のために、不信仰のために、悔い改めの涙を流すものでありたいと思います。涙の祈りによって私たちの教会はきよめられ、建てあげられていきます。

 戦前も、戦後も、多くの人々が教会の祈り会に集まって祈りました。日が沈むまで農場で働いて、着替える暇もなく、夜の祈り会にかけつけたと聞いています。近年はどこの教会でも祈り会に集まる人が少なくなっています。時間がないからでしょうか。そうでもないようです。他の集会にはけっこう人が集まるのです。祈りの力を見落とし、祈りの喜びを見失っているからかもしれません。「教会が衰えていくのは祈り会からである」とも言われます。私たちも涙をもって祈り合う群れとなりたく思います。

 「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」このことばに励まされ、私たちも「血と汗と涙」をいとわず、キリストの証人たちの走り抜いた歩みに続いて行きましょう。一世、二世の信仰者から引き継いだこの教会をさらに発展させていきましょう。

 (祈り)

 父なる神さま、今朝、私たちに先んじて信仰の道を走り抜いた多くの方々を覚え、それらの方々の「血と汗と涙」を振り返りました。私たちを彼らの犠牲と労苦と祈りにならうものとしてください。また、彼らの犠牲と労苦と祈りが主イエスの犠牲と労苦と祈りにもとづいていることを知って、この後いただく聖餐式で、主の流された血と汗と涙を深く思わせてください。聖餐のテーブルをもって私たちを親しい交わりの中に招いていてくださる、主イエスのお名前で祈ります。

5/25/2003