アブラハムの旅

ヘブル11:8-11

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11:8 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
11:10 堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。

 アブラハムはもとの名前がアブラムと言いました。アブラムの少年時代について、こんな話があります。アブラムの父テラは、カルデヤ人の町ウルにいて、神々の偶像を作る人でした。古代には宗教は国家の管理のもとに置かれていて、偶像を作るのも国王の許可がなくてはできないことでした。ですから、テラはそれなりの地位も財産も持つ人でした。しかし、本来テラ一家はまことの神を信じるセムの家系に属していました。アブラムは父親からでなく、他の親族からその信仰を受け継いでいたのです。

 テラが旅行中、アブラムは父が作った偶像を何体も壊してしまいました。父テラは、帰ってきたとき、壊れた偶像を見て、叫びました。「アブラム、これはいったいどうしたことだ。わしの留守の間、偶像を守っておけと言いつけたじゃないか。」アブラムは涼しい顔をして、言いました。「ぼくが、ごはんを食べ残してここに置いておいたら、ここにいる神々が、ぼくのごはんを見て、奪い合って、喧嘩し、互いに殴り合ってこうなったんだよ。」テラはそれを聞いて言いました。「そんな馬鹿なことがあるものか。こいつらは、わしが作ったもので、見ることも、聞くこともできない。立ち上がって、腕を振り回すことなんかあるものか。どうやって壊れたんだ。誰が壊したんだ。」すると、アブラムは言いました。「お父さん、神ではないものを神様だといって作るのはもうやめようよ。まことの神様、生きておられる神様を信じて働こうよ。」それから、テラは、家畜を飼う仕事をするようになり、家畜の群れを養うためにカナンの地に向かったというのです。

 一、神に従う旅

 さて、テラは、もとはカナンを目指していたのですが、ハランの住み心地がよかったのでしょうか、そこに定住し、そこで生涯を終えました。アブラハムはテラの家督を引き継ぎ、家長となりました。今までは父親に従っていればよかったのですが、これからは、一緒にいる妻サライ、甥のロトのために、また、しもべたちや多くの家畜のことを考えて、彼が決断を下さなければならなくなりました。

 このときアブラハムには三つの選択肢がありました。第一はウルに引き返すこと、第二はハランにとどまること、第三はカナンに向かうことです。ウルはアブラハムの故郷で、長年そこから離れていたとはいえ、慣れ親しんだ地ですから、悪くない選択です。また、ハランにとどまることは、容易いことでした。父テラはそこに長くいて、ハランで一家を成していたからです。カナンの地に向かうことは最も困難なこと、いや危険なことでさえありました。そこがどんな地で、どんな人々が住んでいるかは、旅人たちから聞く、わずかな情報からしか知ることができませんでした。彼は、どこに進むべきか、迷い、悩んだことでしょう。

 しかし、最終的には、神が示してくださる道に歩む決心をし、神の導きを待ちました。そのとき、神は言われました。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)神が「あなたの土地」と言われたのは、故郷のウルや今いるハランのことです。アブラハムにとって「わたしの土地」と呼ぶことができる場所、自分の力でなんとかやっていけるところから、「神の土地」、神が導いてくださる場所、神に頼らなければ進むことのできないところへと、アブラハムは一歩を踏み出したのです。アブラハムは、神の言葉を聞き、信仰によって神に従う道を選びとりました。アブラハムの旅は、家畜を養うための遊牧の旅だけではありませんでした。それは神に従う信仰の旅でした。

 二、神と交わる旅

 アブラハムの父テラがウルで偶像に仕えていたことはヨシュア24:2に、「あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた」と書かれています。アブラハムの故郷ウルでは月の神々、男性のナンナルと女性のニンガルの二体が崇拝されていました。月の女神ニンガルは「ニーナ」とも呼ばれ、アッシリアの首都「ニネベ」はその名にちなんでつけられたほどで、古代世界では広く崇拝され、ハランの町でも同じでした。それで神はアブラハムを偶像に取り囲まれた環境から導き出そうとされたのです。

 もちろん、カナンに行ってもそこにはカナンの神々があるでしょう。しかし、カナンは土地の広さにくらべ人口が少なく、他の部族と距離を置いて暮らし、神との交わりを深めることができたのです。創世記12:6-8に「アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。…アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。…彼は、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼び求めた」とあるように、アブラハムはどこに行っても、まずそこに祭壇を築き、主の御名によって祈り、主なる神を礼拝しました。

 アブラハムの子孫イスラエルも、エジプトの奴隷から解放されたあと、荒野に導かれました。イスラエルは高度な文明と豊かな食糧のあるエジプトから何もない荒野に導かれ、そこで神にのみ頼る訓練を受けました。イスラエルの場合は荒野の試練に耐えることができず、荒野を40年もさまようことになりました。けれども、同じように荒野で過ごされたイエスは40日の試練に勝利して、神の民の失敗を償い、その勝利の実を私たちに分け与えてくださるのです。

 今月22日から「レントの40日」が始まります。この40日は、イスラエルの荒野での40年と、イエスの荒野での40日に起源があります。イエスの荒野の40日は、イスラエルの荒野の40年を繰り返したものですが、私たちは、レントで、イエスの荒野の40日を繰り返すのです。アブラハムも、イスラエルも、そしてイエスも、ひととき、荒野に退き、神との交わりを深めました。そのように、日常のことから少し目を離して、神をより身近に感じる時を工夫し、努力して持ちたいと思います。今年もレントの期間を有効に使いましょう。

 三、使命を果たす旅

 アブラハムは当時の文化圏を離れ、カナンの地へと進みましたが、それはアブラハムが全く世から離れてしまうためではありませんでした。むしろ、アブラハムの子孫が「神の民」となって世界に祝福を与えるためでした。主なる神はアブラハムのカナンへの出発に際して、こう約束されました。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)神がアブラハムを祝福されるだけでなく、彼を祝福を分け与える者にすると言われたのです。

 皆さん、神の祝福を受けるのと、分け与えるのと、どちらが素晴らしいことだと思いますか。イエスが「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と言われたように、与えるほうがより優れています。神の約束の通り、アブラハムの子孫イスラエルが「大いなる国民」となったとき、彼らがまだカナンの土地に入る前から、カナンの人々は、神がイスラエルになさったことを見て、イスラエルの神を恐れるようになっていました。ダビデの時代には、ダビデの信仰は他の国々の王にも聞こえていました。ソロモンの時代、イスラエルは平和と繁栄を楽しみ、神殿が建てられ、それらは諸国に神の御名を広めるもの、また、諸国民の祈りの家(イザヤ56:7)となりました。

 イスラエルは、神の言葉を伝えることによって、また、祭司の国として、人々のために祈ることによって、そして、良い政治や道徳、また平和と繁栄によって、神の祝福を世界に分け与えるものになったのです。神のアブラハムへの約束は成就したのです。

 しかし、ソロモン以後、イスラエルは南北に分裂し、人々は自分たちが神の民であることを忘れ、偶像礼拝にふけり、社会に不正が蔓延しました。やがて北王国はアッシリアに、南王国はバビロニアに滅ぼされてしまいました。アブラハムへの約束は途絶えてしまったのです。

 では、神の祝福の約束は完全に消え去ったのでしょうか。いいえ、それは、イエス・キリストによって成就しました。マタイ1:1-17にあるイエス・キリストの系図は何という言葉で始まっていますか。そう、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」です。イエス・キリストは、血筋において「アブラハムの子」であるだけでなく、アブラハムへの約束を引き継ぎ、それを成就し、私たちに与えてくださるお方です。イエス・キリストを信じる者は、たとえ「異邦人」であっても、「アブラハムの子」、「神の民」となり、神の約束を引き継ぐ者となるのです。聖書はこう言っています。「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。」(ペテロ第一2:9-10)私たちは、イスラエルの民に与えられた特権と使命を引き継いでいます。私たちも、イエス・キリストの救いの福音を伝え、世界のためにとりなし祈り、それぞれが自分たちにできる良い行いに励むことによって、この世界に神の祝福を分け与えることができるのです。まわりの人々に神の祝福を分け与える人生以上に幸いな人生はありません。それこそ最も価値ある生き方です。

 私たちはみな、外国からこの国、アメリカにやってきました。ふと、「どうして私はここにいるんだろう」と思うことがありませんか。留学のため、結婚のため、就職のためなど、いろいろな理由や事情があって、私たちはここに来ることになりました。今では、いながらにして世界の情勢が手にとるように分かるようになりましたが、私がはじめてここに来た三十数年前はまだインターネットもなく、日本食の店もちいさいのが一軒あっただけでした。アブラハムが「どこに行くのかを知らずに」カナンに旅立ったのと同じようでした。

 アメリカに来るとき、他の人から、「何も外国に行かなくても…」と、不思議に思われたり、誤解されたりもしました。しかし、神は、私たち自身が祝福され、また他の人々に祝福を分け与える者となるため、ここに導いてくださったことが、やがて分かるようになりました。「アメリカに来なければ、きっと神様を知らないままでした」と言う声を、私は多く聞いてきました。また、多くの牧師先生がたが、「ここでなければ出会えない人々と出会い、キリストを証しすることができました」と言っておられます。私たちを「アブラハムの子」として救いの祝福を受け継がせてくださった神は、私たちに、その祝福を人々に分け与える者になるようにと、願っておられるのです。

 神は私たちを神に従い、神に信頼する旅へと招いておられます。神は、私たちを神とさらに深く交わる旅へと導いておられます。神は、私たちが、神の使命を果たす旅に進むことを願っておられます。この神の招き、導き、願いに答えて、信仰の旅を踏み出しましょう。神が共に歩んでくださいます。

 (祈り)

 主なる神さま、あなたはアブラハムにあなたへの信頼を教え、彼をあなたとの深い交わりに導くため、また、彼をあなたの祝福を分け与える者とするために、カナンの地への出発をお命じになりました。あなたは、私たちにも同じ使命と祝福を与えてくださっています。アブラハムがあなたの約束を信じて歩み出したように、私たちにも新しい信仰の一歩を与えてください。あなたの御子であり、「アブラハムの子」であるイエス・キリストのお名前で祈ります。

2/5/2023