創造と信仰

ヘブル11:1-3

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11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
11:2 昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。

 一、宇宙のはじめ

 年の初めに、「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)との言葉を思い浮かべる人が多いと思います。この箇所の「はじめに」は「世界の初め」のことです。いったい、世界はどのようにして始まったのでしょう。学者たちはさまざな説を唱えていますが、中でも、最もポピュラーなのは「ビッグバン説」(Big Bang Theory)です。これは、ジョージ・ガモフという物理学者が唱えたものです。ガモフは宇宙マイクロ波の存在を予言したのですが、それが発見されることによって、ビッグバン説は支持を集めるようになりました。宇宙がふくらんでいるとの観測結果から、それを逆にもどしていくと、今から137億年前には、宇宙はものすごい密度の物質とエネルギーのかたまりだった。それが爆発を起こして膨張していく間に、現在の宇宙ができあがったというのです。ビッグバン説は、世界にはじまりがあったという点では、聖書の教えにかなっているようですが、重大な欠陥があります。それは、最初の宇宙がどこから来たのかについては何も答えていません。0(ゼロ)にどんなに大きな数字をかけても、0は0のままです。「無」から「有」は生まれません。この世界は、この世界の外にある力によって始められなければ、存在しません。ビッグバン説は、本当の意味では、世界のはじまりについての答えになっていないのです。

 しかし、聖書は、「はじめに神が天と地を創造された」と言って、この世界を超えた永遠の存在であるお方が、この世界を始めてくださった。この広大な大宇宙を造ってくださったと教えています。

 二、生命のはじめ

 私たちの世界、とくに地球が美しく、見事なのは、そこに生命があるからですが、この生命についても、多くの人が、それは長い時間をかけて偶然にできたものであると、私たちは教えられてきました。それを「進化論」と言います。「進化論」はひとつの「仮説」に過ぎないのですが、あたかも事実であるかのようにして教えられています。日本の高校の「生物」の教科書にこう書かれています。「現在、地球上には、動物や植物など多種多様な生物が生活している。しかし、地球が誕生した約46億年前には、地球上に生物は存在しなかった。地球の歴史のなかのあるとき、ある場所で原始的な生物が誕生した。その生物は自己複製をくり返して子孫を生み出しながら進化して、現在のような、複雑な体制をもつ動物や植物が現れてきた。」(三省堂『高等学校 生物』156ページ)

 この教科書は、「現生の生物が、過去の生物から進化してきたことは、さまざまな証拠から明らかにされている」(同182ページ)と言って、「ウマの進化図」、「相同器官」、「痕跡器官」、「胚の比較」の4つの図をその「証拠」にあげています。その一つひとつを簡単に見ておきましょう。

 1. ウマの進化図

 教科書にある「ウマの進化図」では、ウマは最初、からだの小さいイワダヌキのようで、前足の指が4本、後足の指が3本あったのですが、だんだんとからだが大きくなり、森林から草原に出るようになって指の数が減って前足も後足も指が一本だけの今日のウマへと「進化」したことを示しています。これは1879年にマーシュとハクスレーが化石を並べて唱えた説ですが、ウマの原型とされるヒラコテリウムは、今日では、ウマとは全く別種の動物であることが知られています。彼らの化石の並べ方はきわめて主観的で、1本指のウマの化石も3本指のウマの先祖とされる動物の化石も、同じ地層から出ていることが無視されています。ウマは進化して徐々にからだが大きくなっていったと言いますが、現在もファラベラポニーという小さなウマも、シャイアーという大きなウマも同時に存在しています。これらの形の違ったウマは、最初からそれぞれ形の違ったものとして造られたと考えるほうが事実に即しています。ファラベラポニーは進化から取り残されたわけでもないし、シャイアーが進化の頂点に立っているというわけでもないのです。

 2. 相同器官

 見かけ上の形や働きは異なっていても、基本的な構造が同じである器官を「相同(そうどう)器官という」のですが、教科書によると、鳥の翼は、四足の動物の前足が、「空を飛ぶ必要がある」という環境に適応するためや、「空を飛びたい」という欲求によって変化したのであと言います。しかし、骨格の基本構造が同じなのは、それが、力学の法則にかなっているからです。この地上に生きるすべてのものは、同じ環境にあるわけですから、共通したものを持っているのは当然です。また、生物が共通したものを持っているのは、共通した造り主によって設計されたことの証拠でもあるのです。いままで環境の変化によって、多くの生物が絶滅してきました。生物は、進化論が言うように環境に適合して自分の姿を変えていくような能力はありません。しかも、環境への適応が何世代にもわたって引き継がれていくというのは、DNAの解析ができるようになった現代の遺伝学にそぐわないものです。魚が地上を歩きたいと欲求して、爬虫類になり、その爬虫類が空を飛びたいと願って、鳥になったというのは、おとぎ話としては面白いかもしれませんが、科学的ではありません。

 3. 痕跡器官

 痕跡器官というのは、進化論によれば、その生物の先祖の時代には必要だったが、環境の変化に適応していくうちに、以前の機能が不要になり、痕跡として残ったもので、進化の「名残り」と考えられてきました。教科書では、虫垂、尾骨、扁桃などが例にあげられています。虫垂は「虫垂炎」を起こすので、要らないものと考えられていましたが、実は免疫に関して重要な役割を果たしていることが分かっています。尾骨は、人間がもとはサルのように尻尾を持っていたことの名残りだと言われてきましが、実は、これは九つの筋肉をつなぎとめている重要なものなのです。扁桃は、喉の入り口にある器官で、炎症を起こすと大きく腫れます。それで、これも不要な痕跡器官とされていましたが、扁桃が腫れるのは、それによって細菌の進入を喉の入り口で防ぐためなのです。このように、今まで痕跡器官とされていたものが、今では重要な役割を果たしていることが分かっています。1890年に180個もあげられていた痕跡器官は、現在ではもはや痕跡器官としては認められていません。今では、「痕跡器官」という言葉は使われなくなっています。

 4. 胚の比較

 「胚」というのは、受精卵が細胞分裂を繰り返し、からだの器官のもとになるものが造られるまでの段階を言います。教科書に載っている図によると、どの生物も、発生の最初の段階ではみな同じ形をしていて、これは、すべての生物が、共通の原始の生物から出てきた証拠であるとされてきました。人間はその発生のの段階で、魚の段階、爬虫類の段階を経、サルのように尻尾の生えた段階を経てから、人の胎児になる、つまり、母の胎内で進化の過程をくりかえしているのだというのです。これはヘッケルという人が唱えた説で、「反復説」と言われていますが、実は、ヘッケルは、自分の説を正当化するために、それぞれの生物の胚の絵をわざと似せて描いていたのです。

 実際の観察に基づいて描かれたものを見ると、それぞれの生物の胚が大きく違っていることが分かります。人の胚は決して魚の段階や爬虫類の段階などを通ることはありません。魚の鰓穴だと言われてきたものも、下あごや中耳、胸腺、副甲状腺になることが知られています。私たちが習ってきた「進化論」は時代遅れのものであり、科学ですらなかったのです。

 もし、進化論が言うように、人が偶然の産物であるなら、私たちの人生には何の意味も目的もなくなります。一人ひとりが価値あるもので、大切にされなければならないということの根拠がなくなるのです。人は、何を信じるかによってその生き方が変わります。人間を偶然の産物とする進化論からは、どんな良い生き方も生まれないのです。

 三、創造主への信仰

 これに対して聖書は、神がこの世界を創造し、そこに生命をお与えになった。「神のかたち」として造られた人間には、たんに、生物としての生命だけでなく、霊的ないのちをも与えてくださったと教えています。

 もし神が世界を創造されたのでなければ、天体から原子の世界にまで共通している見事な秩序や法則はどこから生まれたのでしょうか。ガリレイ、ケプラー、ニュートン、ファラデー、パスカル、リンネ、メンデル、ファーブル、マーサー、フランクリンといった科学者たち、エジソンなどの発明家たちは、神を信じ、聖書を信じる人たちでした。神が世界を造られた。だから、この世界を探求すれば、そこに法則を見出すことができるという理念を持っていました。この世界に秩序や法則がなければ、それは魔法の世界で、そこでは科学は成り立ちません。ヘブル11:3に「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります」とあるように、これらの人びとは、神を信じる信仰に助けられて、目に見えるものの中にある目に見えない法則を発見し、科学を進歩させてきたのです。

 「神はいない」と唱える人々は、「神がいるなら証明してみろ」と言いますが、この世界が、神の全知全能を証明していることを見逃しています。聖書は「天は神の栄光を語り告げ/大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇19:1)と言い、「神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません」(ローマ1:19-20)と教えています。私たちは神が存在される証拠に取り囲まれているのです。自然界には、神がそれを創造された痕跡に満ちています。神の指紋がいたるところにあるのです。

 ヘブル11:1に「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあります。この世界は目に見えますが、この世界を造られた神は肉眼では見ることができません。しかし、神は、はっきりと、「わたしがこの世界を造り、あなたを生んだのだ」と言われます。神のかたちに造らた私たち自身も、自分に対して神の創造を証ししています。そしてなにより、「神のことば」は聖書にくっきりと記されています。それによって私たちは、この世界が「神のことば」によって造られたことが分かるようになるのです。

 神のことばは、神を私たちの「造り主」であるとともに、私たちの「父」であると教えています。人間の世界では子どもたちを見捨てる父親もあるかもしれませんが、天の父は、私たちを決して見捨てるようなことはなさいません。必ず、守り、支え、導いてくださいます。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」神の創造を信じる。創造の神に信頼する。これが信仰の出発点であり、その基礎です。この年も、神を造リ主、また私たちの父として信じる信仰によって歩み出しましょう。

 (祈り)

 造り主である神さま、あなたの造られた世界は、あなたの知恵と力、愛と真実を、昼も夜も語り続けています。神のかたちに造られた私たちの心の耳が開かれ、あなたのことばをしっかりと聞き取ることができるようにしてください。そして、私あなたがどのようなお方であるかをさらによく知り、確信することができるよう導いてください。イエス・キリストのお名前で祈ります。

1/1/2023