ノアの信仰

創世記6:18-22

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6:18 しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。
6:19 また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつを箱舟に連れて入り、あなたとともに生き残るようにしなさい。それらは雄と雌でなければならない。
6:20 鳥は種類ごとに、動物も種類ごとに、また地面を這うすべてのものも種類ごとに、それぞれ二匹ずつが生き残れるよう、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

 「ノアの箱舟」といえば、誰もが知っている聖書のストーリーで、おとぎばなしのように思われていますが、ノアは今から4500年ほど前、バビロニアにいた実在の人物で、大洪水も実際にあったことです。考古学者たちは、バビロニアの古代の町々のどこにでも何の遺跡も混じっていない粘土層を見つけており、これはノアの時代の大洪水によるものであると考えられています。ウルを発掘したペンシルバニア大学のC.L.ウーリー博士は厚さ2.5メートルの水性粘土層を見つけ、その下にさらに古い時代の都市の廃墟を見つけました。オックスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士はキシュの町の粘土層の下に、四輪の戦車とそれをひいた動物の骨を発見し、その町が洪水で滅びたことを証明しています。ノアがいたと思われるファラの町は、ペンシルヴァニア大学のエリック・シュミット博士によって発掘されました。洪水層の下に彩られた土器や円筒型の印章、壺や鍋などが見つかっており、人々の生活の様子が、そのまま残されています。これは、その生活が突然の洪水によって滅んだことを示しています。

 ノアの洪水やノアの箱舟のことは、とても興味深く、くわしく話せばきりのないことなので、きょうは、ノアの信仰に焦点をあててお話したいと思います。

 一、時代に流されない信仰

 ノアの信仰、それは第一に、「時代に流されない信仰」でした。創世記6:11-12は、ノアの時代について、こう言っています。「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。」

 なぜ、こうなったのでしょうか。それは、カインとカインの子孫が神を締め出した社会を作り出したからでした。けれども、セツとセツの子孫は、神を信じ、主の御名を呼び求めました。そして、ノアの時代までは、この人たちが「地の塩」の役割を果たし、世の中が全く堕落するのを防いでいました。ところが、何世代もたって、セツの子孫たちの信仰が衰えてきました。そして、彼らもまた神を信じない人々と同じ生き方をするようになったのです。

 創世記6:1-2に「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした」とあります。ここで「神の子ら」とあるのはセツの子孫で信仰を持つ人たちのことです。「人の娘たち」とあるのはカインの子孫で、信仰を持たない人たちのことです。ここには、信仰を持つ人たちが、信仰を持たない人たちの見かけの美しさにひかれ、信仰のことを考えないで家庭を作ったことが書かれています。そのため子どもたちに信仰を伝えることができず、神を信じる者たちが、神を信じない生き方に呑み込まれていったのです。

 信仰を持つ私たちは、「世の中が悪くなった」と言って嘆きます。そしてそれを信仰を持たない人々のせいにします。しかし、よく考えてみれば、世の中が悪くなったのには、信仰の歩みをないがしろにし、世の中の流れに乗り、それに同調してきた信仰者たちにも責任があるのです。

 ローマ12:2に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」と教えられています。「この世と調子を合わせる」というのは、英語では “be conformed”(同化させられる)です。「心の一新によって自分を変えなさい」は、“be transformed”(変化させられる)です。聖霊によって自分自身が変えられ、そして世の中を変えていく。それがキリスト者の生き方。だから、世の中の物の考え方や生き方にまるめこまれ、呑み込まれてしまわないようにとの教えです。キリスト者がこの教えを忘れ、聖霊の力を失うとき、塩が塩気を失ったようになり、社会の腐敗をとどめる力を失ってしまうのです。

 また、聖書はこう教えています。「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(テモテ第一2:1)信仰者がお互いのために祈るのは当然ですが、同時に、社会のため、自分の国のため、他の国々のため、世界のために祈り、その祈りの範囲を広げていく必要もあります。キリスト者の祈りが弱まるとき、社会は混乱するのです。

 創世記8:9に「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」とあります。「その時代にあっても」とあるように、ノアは、神の子らがこの世に呑まれていく中でもしっかりと信仰に踏みとどまりました。世に生きるかぎり、この世の影響は、誰にも避けられません。川に浮ぶものが、川の流れのままに上流から下流に流されていくのと同じです。しかし、川に住む生きた魚は流れを遡って上流に向かうことができます。私たちも、神からの命に生かされているなら、この世の流れに流されず、神に向かっていくことができるのです。

 二、神のことばに従う信仰

 ノアの信仰は第二に、「神のことばに従う信仰」でした。人々の堕落に心を痛められた神は大洪水によって世界を新しくしようとされました。しかし、すべての人が滅びてしまったのでは人類が途絶えてしまいます。それで、神はノアに箱舟を作り、ノア夫妻と三人の息子夫妻、合計八名が箱舟によって、洪水から守られるようにしてくださいました。漢字で「船」という字は「舟」と「八」と「口」の三つの部分から成り立ちます。「口」は「人口百万人」などというように、人の数を表します。「船」という字を見るとき、「一つの舟に八人」が乗り込んだノアの箱舟のことを思い出してください。

 ヘブライ語で「箱舟」には大切なものを入れて保護する「箱」という意味の言葉が使われています。英語で “ark” と言いますが、宝石箱も、神殿にあった契約の箱も “ark” です。モーセは生まれたとき、かごに入れられ、ナイル川の葦の茂みの中に置かれました。そのときの「かご」も、箱舟と同じ “ark” が使われています。赤ん坊のモーセを入れた「箱舟」とノア一家と様々な動物が入った「箱舟」とでは大きさは違いますが、どちらも、水に浮ぶように樹脂が塗られ(創世記6:14、出エジプト記2:3)、人の命を守るものでした。神はノア一家をまるで宝物を守るように箱舟で守ってくださったのです。

 神は、ノアに箱舟のサイズを指定されました(15-16節)。聖書の単位は「キュビト」ですが、アメリカの単位に直せば、長さが150ヤード、幅が25ヤード、高さが15ヤードほどになります。フットボール・ピッチが115ヤード×75ヤードですので、箱舟を斜めにして置くとそこに収まります。この長さ、幅、高さの比率は現代の大型タンカーとほぼ同じで、最も波に強く、安定していると言われています。ノアとその家族、それに動物たちはおよそ一年の間箱舟に留まることになるのですが、この大きさなら、人々と動物たちが一年間過ごすために必要なものを蓄えることができます。神の設計に間違いはありません。22節に「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」とある通り、ノアは神のことばに従って、その指示どおりに箱舟を作りました。

 神は私たちの人生にも、ご計画を持っておられ、それを設計してくださっています。そして、その設計は聖書に示されています。聖書は私たちに人生の意味を教え、目的を明らかにし、その道筋を指し示しています。ノアが神のことばに聞き従ったように、私たちも聖書に従うことによって、確かな歩みをしたいと思います。

 三、将来を見つめる信仰

 第三に、ノアの信仰は「将来を見つめる信仰」でした。ヘブル人への手紙11章には、信仰によって歩み、行動した人々のことが書かれています。最初はアベル、次はエノクで、三人目がノアです。ノアについてこう書かれています。「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」(ヘブル11:7)ここで大事な言葉は、「まだ見ていない事がら」という言葉です。信仰とは、「まだ見ていない事がら」であっても、それが確かに起こると確信することです。ヘブル11:1は「信仰」を定義して「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」と言っています。目の前で起こっていることは、それをわざわざ「信じる」必要はありません。まだ見ていない事柄だからこそ、信仰が必要になってくるのです。

 多くの人は、「信仰などいらない。私は何事でも、自分の目で確かめることにしているから」と言いますが、実際のところ、私たちが自分の目で見て確かめることができるものはそんなに多くはないのです。どこかへ出かけるたびに、車の部品の全部を点検する人は誰もいません。最近点検してもらったから大丈夫と、「信じて」運転します。今では、どの道路が混み合っているかチェックできます。しかし、その情報が正しいかどうかを自分で確認しているわけではありません。画面に映っている情報が正しいと「信じて」出かけるのです。私たちの毎日の生活の大部分は「信じる」ことで成り立っています。

 過去のことは記憶の中にあり、現在のことは目で見て確かめることができますが、未来のことは、誰も見ることができません。ですから、明日のこと、将来のことについては、それを「信じる」しかないのです。そのとき、神を信じることがなければ、明日のこと、将来のことはすべてギャンブルのように不確実なものになってしまいます。そのため、人々は将来のことについて不安になり、希望を失ってしまうのです。そうでなければ、将来のことなど考えず、今を、自分のしたいように生きるようになってしまいます。イエスはノアの時代についてこう言われました。「洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」(マタイ24:38)ノアの時代の人々は明日のことを考えませんでした。将来を見る目を失っていたのです。そのような中で、ノアは、まだ見ていない将来を見つめました。「見つめた」といっても実際に見えたわけではありません。「わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない」(17節)との神の言葉によって、ノアはやがてやってくる大洪水を心に描き、それに備えました。

 さらにノアは、やがて来るさばきだけでなく、その後やってくる救いを信じました。神はノアに言われました。「しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。」(18節)ノアは、神のさばきの宣告を聞いて恐れおののきましたが、同時に、神がくださった「救いの契約」によって希望を与えられました。

 世に生きるかぎり苦しみは避けられません。しかし、大洪水のまっただ中でノアたちを箱舟によって守ってくださったように、神は、人生の様々な苦しみの中で苦しみもがく私たちのために、ご自身が箱舟となって、私たちを守り、匿ってくださいます。どんな大雨も時がくればやみ、大洪水の水も必ず引いていきます。そのように神の救いは必ずやってきます。神に匿われていることが、たとえ箱の中に閉じ込められているように、窮屈に感じたとしても、そこで耐えましょう。「わたしは、あなたと契約を結ぼう」と言われた神がそれを成就してくださいます。ノアがまだ見ていない、洪水の後の世界を信仰によって確信したように、私たちも救いの成就を信じて進みましょう。

 「時代に流されない信仰」、「神のことばに従う信仰」、そして、「将来を見つめる信仰」。このような信仰によって、時代に流されることなく、むしろ、この時代の人々に、神の救いをあかしする私たちでありたいと思います。

 (祈り)

 主なる神さま、あなたは、ノアに箱舟をくださったように、私たちにイエス・キリストをくださいました。イエス・キリストが、私たちを罪の世から救い出し、さばきから匿い、御国に導き、福音によって明日への希望を与えてくださるお方であることを感謝します。主イエスの福音を信じる信仰によって、この世の風雨を乗り越えて前進できるよう、私たちを導いてください。イエスのお名前で祈ります。

11/7/2021