人を富ませるお方

創世記14:14-24

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14:14 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。
14:15 夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。
14:16 そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。
14:17 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。
14:18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
14:20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
14:21 ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」
14:22 しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。
14:23 糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。
14:24 ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」

 一、アブラハムの財産

 神はアブラハムに「わたしはあなたを祝福する」と約束されました。神の祝福は本来は目に見えない、霊的なものです。しかし、まったく目に見えないかというと、そうでもありません。神の祝福の中で最高のものは「永遠の命」だと言われ、「永遠の命」そのものは目に見えませんが、その命から生み出されてくるものは目に見えます。「永遠の命」の祝福を受けている人の人生には、なんらかの目に見える結果が生じてきます。神は、そうした見える結果によって、見えない霊的な祝福を証ししてくださるのです。

 アブラハムの場合は、その財産、つまり、家畜の群れが増えていったことが祝福の証しのひとつでした。アブラハムの父テラは多くの家畜を連れてウルからハランまでやってきました。テラが亡くなったとき、アブラハムはウルからのものにハランで加えられた家畜やしもべたちをテラから引き継ぎ、カナンの地に向かったのです。創世記12:5に「アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった」とある通りです。

 アブラハムは一時エジプトに滞在しましたとき、牛、羊、ろば、らくだや男女の奴隷を手に入れています(創世記12:16)。創世記13:2には「アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた」とあります。

 アブラハムは甥のロトと一緒でしたが、ロトの家畜の群れも大きくなり、ロトのしもべとアブラハムのしもべたちとの間に遊牧地を巡ってのトラブルが起こりました。それで二人は別れて住むことになり、ロトは低地に向かい、アブラハムは山地に行って、そこで家畜を養いました。

 その後、神はアブラハムに言われました。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」(創世記13:14-17)神は、アブラハムに今ある財産だけでなく、見渡す限りの土地を彼の子孫に与えると約束してくださいました。アブラハムは多くの財産を得、それを感謝しましたが、決して、その財産に満足したり、頼ったりしませんでした。アブラハムの目はもっと将来にありました。彼の子孫がカナンの土地に増え広がり、地に住むすべての人の祝福となるという、まだ見ていないことを信じ、その約束に頼ったのです。

 神を信じる私たちも、地上の財産を神の祝福として感謝して受けます。財産というと、不動産や自動車、家具、宝石、衣類、株や現金などを思い浮かべますが、じつは、それ以上に大切な財産があります。それは、家族や友人です。家族や友人は何物にも替えられない素晴らしい財産です。いつも身近にいる家族を、時にはうっとうしく感じられることもあるでしょうが、家族や友人を失ってみると、それがどんなに大きな祝福であったかが分かります。けれども、私たちは地上のものだけで満足したり、それにすべての信頼を置くようなことはしません。地上の祝福は、やがて天でさらに大きな祝福にあずかる「しるし」に過ぎません。私たちは、祝福の「本体」である神に頼り、将来の天の祝福を待ち望むのです。

 時には目に見える祝福が取り去られることもあります。イエスが話された「ラザロと金持ち」のたとえ話では、金持ちの家の前に置かれていた物乞いは、財産どころか、その日の食べ物さえありませんでした。その上、彼は、明日の命も分からない病気にかかっていました。そんな彼の貧しさや病気を、人々は「のろい」だと考えたでしょう。しかし、そこには、この人を究極の祝福に導くための神の深いお心がありました。この人には「ラザロ」という名が与えられていますが、この名はヘブライ語で「エレアザル」、「神はわが助け」という意味です。ラザロは目に見える祝福の「しるし」が見えない中でも、神を信じ、神に頼りました。彼は「しるし」なしに、まっすぐに天の祝福を信じたのです。そしてその生涯を終えたとき、彼のたましいは御使いに携えられてパラダイスに行きました。このことは、神が神を信じる者の名を知っておられ、その名が天にしるされ、その名の持ち主はさらに豊かな祝福の場所へと迎えられることを教えています。

 たとえ地上の「しるし」が見えなくても、私たちは天の祝福を信じてそれを目指すべきなのですが、神は、信仰の弱い私たちのために、さまざまな形で目に見えるものを与え、私たちがやがて究極の祝福を受け継ぐことを確信させ、それを待ち望ませてくださるのです。

 二、アブラハムの勝利

 アブラハムとロトとはそれぞれ別々のところに住むことになりましたが、アブラハムは常にロトのことを気づかっていました。ソドムやゴモラと近くの町々の王たちは、長く東方のケダラオメルとその連合国に仕えていたのですが、それに背いたため、ソドムとゴモラの町は連合国の遠征軍に打ち負かされ、町の人々と財産、食糧が奪われました。ソドムにいたロトもそれに巻き込まれ、遠征軍に連れ去られました。

 それを聞いたアブラハムは自分のしもべ318人を連れて、ロトの救出に向かいました。この「しもべ」というのは、普段はアブラハムの家畜を守っている「牧者」たちでした。そんな「素人」が「軍人」を相手に戦って勝てるのだろうかと、誰もが思います。しかし、これらの牧者たちは、略奪隊や野獣から家畜を守る訓練を受けており、軍隊を相手に戦う力を持っていました。緻密な作戦と迅速な行動があれば、「小よく大を制す」ことができるのです。遠征軍の弱点は相互の連携と補給路です。アブラハムとその牧者たちは、相互の連携と補給路を絶ち、彼らを追い払ったのでしょう。アブラハムはロトとその財産、また、ソドムの町の人々とその財産を無事に取り戻しました。

 アブラハムの財産は、多数の家畜と金銀だけではありませんでした。彼は、勇敢で従順なしもべたちを持っていました。現代の言葉で言えば、資本や技術だけでなく、優秀な人材を持っていたのです。どんな事業でも、大きな資本があるから、何百という特許を持っているから成功するとは限りません。多くの場合、成功の鍵は「人材」です。アブラハムはそういう意味では、人材を育て、束ねることのできる理想的な CEO の一人でした。いいえ、「アブラハム・ファーム」のほんとうの CEO は神ご自身でした。多くのキリスト者の実業家たちが「社長は神さまです。私は副社長です」と言っているように、アブラハムもまた、神を主とすることによって大勢の牧者たちを治めることができたのです。

 アブラハムの勝利の秘密はしもべたちを大切に扱ったことにあります。アブラハムは、神を知らない主人たちのように、わがまま勝手に、また、理不尽にしもべたちを苦しめたり、酷使したりしませんでした。だから、しもべたちはアブラハムとともに命がけで戦ったのです。アブラハム自身が神を主とし、自らをしもべとして仕えた、その信仰が、この勝利をもたらしたのです。神への信仰、神との交わり、そしてそれに基づいた良い主人としもべの関係、それがアブラハムの勝利と祝福の秘訣でした。私たちもまた、勝利と祝福の人生を歩むため、この秘訣を自分のものにしていきたいと思います。

 三、アブラハムの礼拝

 ソドムの王は自分の町の人々と財産を取り戻してくれたアブラハムを迎えるためシャベの谷までやってきました。そこは、今日のエルサレムに近い場所ではなかったかと思われます。それは、エルサレムのもとの名が「シャレム」で、そのシャレムの王、メルキゼデクもアブラハムを迎えに来たからです。「シャレムの王」は「平和の王」、「メルキゼデク」は「義の王」という意味です。メルキゼデクは王であり、同時に神の祭司でした。カナンの地にも、まことの神を知り、まことの神に仕える人がいたのです。メルキゼデクは「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ」と言ってアブラハムを祝福し、共に神を礼拝しました。メルキゼデクはアブラハムに「パンとぶどう酒」を与え、アブラハムはメルキゼデクに十分の一のささげものをしました。

 しかし、ソドムの王が「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください」と言ったときには、その申し出をきっぱりと断っています。アブラハムはソドムやゴモラの町の不道徳を耳にしていましたので、ソドムの王と関わりを持つことを避けたのです。アブラハムは言いました。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」

 では、アブラハムを富ませたのは誰でしょうか。それは「天と地を造られた方、いと高き神、主」です。「天と地を造られた方、いと高き神」とは、メルキゼデクがアブラハムへの祝福の中で使った言葉です。アブラハムは祝福の言葉を繰り返すことによって、「私を富ませ、祝福してくださるのは、天と地を造られた、いと高き神である」という信仰を告白したのです。アブラハムは「天と地を造られた方、いと高き神」に、さらに「主」という神の御名を加えています。この「主」は、「主人」、「主権者」という言葉ではなく、「ヤーウェ」や「アドナイ」と呼ばれる神の固有のお名前です。アブラハムは、彼の財産も、その組織された集団も、この作戦の勝利も、すべて主なる神からのものであると言って神に栄光をお返しし、ソドムの王にまことの神を証ししました。

 人は、才能にしろ、財産にしろ、それらに恵まれ、また、自分のしたことが成功すると、「これは私がやったのだ」と自分を誇りたくなるものです。神を信じない人々は自分を誇り、また人間をほめそやしますが、神を信じる者は、この祝福は神が与えてくださったものであることを覚えて、なによりも神に感謝し、神をほめたたえます。

 今年もサンクスギヴィングデーを迎え、私たちは互いに感謝を交わしますが、本来のサンクスギヴィングデーは、互いに感謝しあう以前に、神に感謝をささげる日でした。私たちが今得ている祝福の一つひとつは主なる神から来ています。そのことを知って、目に見えるものにおいても、信仰においても、「私たちを富ませてくださったのは主です」と、神に感謝し、神をほめたたえてこの週を過ごしたいと思います。

 (祈り)

 主なる神さま、あなたこそ、私たちを豊かにし、強くしてくださるお方です。アブラハムが祭司メルキゼデクを通してあなたを礼拝したように、私たちもあなたをあがめる者としてください。また、アブラハムがソドムの王に祝福のみなもとであるあなたを証ししたように、私たちもあなたを証しする者としてください。主イエスのお名前で祈ります。

11/21/2021