ライオンの穴で

ダニエル6:6-10

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6:6 それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。
6:7 国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。
6:8 王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」
6:9 そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。
6:10 ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。──彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。──彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。

 一、バビロンの終焉

 ダニエル6章を学ぶ前に、5章にあるバビロンの滅亡のことを学んでおきましょう。この時代になると、歴史の資料が豊富にあって、歴史学者たちが様々な研究を進めていけばいくほど、聖書に書かれていることが正確であることが分かるようになりました。歴史家たちが再現したバビロンの歴史から少しだけお話をします。

 ネブガデネザルの死後(562 BC)、息子アメル・マルドゥクが王位を継ぎました。彼は、聖書では「エビル・メロダク」という名になっています。彼は、若くしてバビロンに連れて来られたユダの王エホヤキンを牢獄から解放し、優遇した人として描かれています(列王記25:27-30)。アメル・マルドゥクは、在位わずか二年で、義理の兄弟に殺されてしまいました。

 アメル・マルドゥクを殺してバビロン王となったのはネリグリサルでした。彼はネブカデネザルの娘と結婚し、ネブカデネザルの時代から活躍し、高い地位を与えられていたようです。ネリグリサルは聖書では「ネルガル・サル・エッツエル」と呼ばれ、ネブカデネザルが預言者エレミヤをエルサレムの「監視の庭」から救い出すために遣わした使者のひとりとして描かれています(エレミヤ39:11-14)。彼は王になって四年で亡くなり、彼の息子が王位を継ぎましたが、九ヶ月で殺され、ナボニドスが王となりました。

 ナボニドスはバビロンの祭司たちによって担ぎ出された王で、彼自身は政治に興味がなく、実際のことは息子ベルシャツァルにまかせていました。ナボニドスは、バビロンを出て、別の町で暮らしており、バビロンの王宮にいたのはベルシャツァルでした。それで、聖書はベルシャツァルをバビロンの王と呼んでいます。

 ナボニドスは、ペルシャのクロス王がまわりの国々を滅ぼし、バビロンを攻めようとしていた時、諸国の神々の偶像をバビロンに集めました。数多くの神々を祀れば、それだけバビロンは安全になると考えたのです。しかし、これは、他の国々にしてみれば、自分たちの神をバビロンに奪われたということになり、バビロンに対する反感を高めるだけでしかありませんでした。また、バビロンの祭司たちからは、自分たちの神々をおろそかにしたという非難も受けました。

 バビロンが滅びようとしているまさにその日、王宮では宴会が開かれていました。ベルシャツァルはエルサレムの主の宮から持ってきた器具を持ってこさせ、それで酒を飲みながら、偶像を拝んだのです。ダニエル5:4に「彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した」とある通りです。これほどの冒瀆はありません。すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の壁に文字を書きました。しかし、誰もそれを読み、解き明かすことができませんでした。それでダニエルが呼ばれました。

 壁に書かれた文字は「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」、その意味は「数えられよ。数えられよ。重さを量られ、分けられよ」で、バビロンの日数は数えられ、それが尽きたこと、ベルシャツァルは秤にかけて量られ、重さが足りないことが分かり、彼の王国は分割されてメディヤ人とペルシャ人に与えられるという、神の審きの宣言でした。ダニエルがその文字を解き明かしたその夜、メディヤとペルシャの連合軍がバビロンに入り、ベルシャツァルは殺され、バビロンはネブカデネザルの死後25年をしないで滅びました。ペルシャのクロス王は、ナボニドスとベルシャツァルの悪政からの解放者として歓迎され、戦わずして、バビロンを手に入れたのです。クロス王は、ナボニドスが集めた神々をそれぞれの国に返してやり、バビロンの高官たちをそのまま用い、グティウムの総督ゴフリュアスをバビロンの王としました。聖書は「メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ」と言っていますが、この「ダリヨス」とは、ゴフリュアスのことです。

 二、不敬虔な者の滅び

 バビロン終焉の歴史は「いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てる」(ダニエル4:17)という言葉を思い起こさせます。ネブカデネザルは高慢で残酷な王でしたが、三年半にわたる懲らしめの時を経てまことの神の前にへりくだりました。それでネブカデネザルはバビロンの王であり続けることができたのです。ところが、その後継者たちは、ネブカデネザルのことから何も学びませんでした。ベルシャツァルはその教訓を良く知っていながら、驕り高ぶり、まことの神の宮の聖なる器を、この世の宴会のために使ったのです。そもそも、ペルシャ軍がそこまで迫っているのに、宴会騒ぎをしていたこと自体が、バビロンを治める者として失格であることを示しています。それで神は高慢で不敬虔なベルシャツァルから国を取り上げ、謙虚で穏健なダリヨスにバビロンを渡されたのです。「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18:12)とは、全くその通りです。

 自らの力に頼り、神をあなどった国が栄えたためしはありません。ベルシャツァルはバビロンが難攻不落の要塞であることに頼っていました。バビロンの都は正方形で、その一辺が十数マイルにも及びました。その城壁は高さが三百フィート以上、幅が八十フィート以上もありました。フットボールのフィールドが長さ360フィート、幅160フィートですから、その城壁がどんなに巨大なものであったかが分かります。城壁の上を2台の馬車が並んで走ることができたほどです。城壁の外側には水の流れる大きな堀があり、内側には、もう一つの城壁がありました。外壁が破られても、内側の城壁で敵を防ぐことができ、しかも、外壁と内壁の間に水を流し込むこともできました。バビロンの城壁はどんな外敵にも耐えられるもので、ペルシャの軍隊もそれを突き崩すことはできませんでした。しかし、バビロンは内側の腐敗によって自滅しました。無能な王たちによる混乱に嫌気をさしていた人たちが城門を開き、ペルシャ軍を迎え入れたのです。

 内部から腐って駄目になるというのは、いろんなところで見ることができます。企業でも同じようなことがあります。取締役が親族ばかりで、放漫な経営をしたり、不正を見てみぬふりをしたり、親族同士で争ったりしているようなところは、長くは続きません。また、それは、私たちの人生でも同じです。どんなに能力があり、機会に恵まれた人であっても、人格に問題があって、人々の信頼を失うようなことがあったら、その人は、能力や機会を生かすことができないままで終わるでしょう。また、仕事の面で成功しても、結婚や家庭生活に問題があれば、それは幸いな人生とは言えないでしょう。解決されていない内面の問題があって、そこからドラッグに手を出し、今までの経歴を棒にふり、約束された将来を失ってしまうということも、よくあることです。たとえ、能力、地位、財産などが、バビロンの城壁のように私たちを守っていたとしても、私たちの内面に問題があれば、それらは役に立たないのです。聖書は「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」(箴言4:23)と教えています。

 しかし、どうしたら自分の心を守ることができるのでしょうか。小さなことでクヨクヨしたり、イライラしたり、まわりの意見に流されてしまう私たちが、いつも正しい方向に心を向けていられるのでしょうか。自分の力でできる人は誰もいません。イエス・キリストによって心の奥深くにある罪を赦していただき、きよめていただき、聖霊によって強め、支えていただかなければならないのです。イエス・キリストを心に迎え入れましょう。ひとつひとつの事柄を祈りによって主に委ねましょう。聖書は教えています。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)

 三、敬虔な者の救い

 ダニエル5章は不敬虔な者の滅びを告げていましたが、ダニエル6章は敬虔な者は救われると教えています。ダニエルは、ネブカデネザルの死後、政治から遠ざかっていました。その後の王たちは彼のことを忘れていました。けれどもダリヨスはダニエルを重く用い、高い地位に就けました。すると、「ユダからの捕虜のひとり」(ダニエル6:13)にすぎないダニエルが王の信任を篤く受けているのを快く思わない人々が、ダニエルを失脚させようとしました。ダニエルには何の落ち度もなかったので、彼らは一計を案じ、「今から三十日間、ダリヨス王以外に、どんな神にも人にも、祈願をする者はだれでも、ライオンの穴に投げ込まれる」という法律を王の名によって作りました。それは、彼らがダニエルが日に三度、彼の家の屋上にある部屋からエルサレムのほうを向いて祈るのを知っていたからです。

 ダニエルは彼らの悪巧みを知り、王がその法律に署名したことを知っていましたが、いつものように祈りました。ダニエルにとって日々の祈りは、どんなことよりも大切なことだったからです。悪巧みを図った人々はダニエルが祈る姿を見届け、ダニエルを王に訴え、ダニエルはライオンの穴に投げ込まれました。

 王は、ダニエルの失脚を狙っていた人々の言葉に乗せられてダニエルに不利になる法律に署名したことを悔い、ダニエルを案じて、食事も摂らず、一睡もしませんでした。夜が明けるとすぐ王はライオンの穴に行って、こう言いました。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」すると、穴の中からダニエルの返事が返ってきました。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。」(ダニエル6:20-22)神はダニエルを飢えたライオンから救ってくださったのです。ダニエル6:23はこう言っています。「ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。」聖書は教えています。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」(箴言29:25)ですから、苦しみに遭うときは、こう祈りましょう。「私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。」(詩篇86:2)

 ダニエルの信仰は、ペルシャの人々にとって大きな証しとなりました。ダリヨスは次のような勅令を出しました。「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。」(ダニエル6:25-27)28節には「このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた」とあり、クロス王の名前が出てきますが、このクロス王が、ユダヤの人々を故郷の地に返し、神殿を再建することを許し、また、援助した王です。ダニエルの信仰の証しは、ダニエルひとりを守り、栄えさせただけではなく、神の民全体に大きな祝福となりました。そのことによって救い主イエス・キリストは、ダビデの子孫の中から、ベツレヘムで生まれることになったのです。クロス王が、ユダヤの人々の帰還を許さなかったら、ダビデの子孫はペルシャに留まったままで、預言は成就しなかったのです。神は、敬虔な者を救い、守ってくださったばかりか、その証しを用いて、世に救い主を送る準備をされたのです。

 ダニエルとダニエルの三人の友だちは同じように言いました。「私たちの仕える神は…私たちを救い出すことができます。」(ダニエル3:17)私たちも、「私の仕える神は私を救い出すことができます」と信じ、この神に信頼し、歩み続けたいと思います。

 (祈り)

 あなたを恐れ、あなたに信頼する者を救い出してくださる神さま。人類の歴史は、堕落と腐敗の歴史ですのに、あなたは、忍耐をもって人類の歴史を導き、救い主の降誕へと導いてくださいました。私たちを救い主への信仰へと導いてください。また私たちを、この世の腐敗から救い、あなたの御国の民として生き、永遠の救いにあずかる者としてください。主イエスのお名前で祈ります。

12/15/2019