四十年

使徒7:20-38

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7:20 このようなときに、モーセが生まれたのです。彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、
7:21 ついに捨てられたのをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
7:22 モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。
7:23 四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。
7:24 そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。
7:25 彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。
7:26 翌日彼は、兄弟たちが争っているところに現われ、和解させようとして、『あなたがたは、兄弟なのだ。それなのにどうしてお互いに傷つけ合っているのか。』と言いました。
7:27 すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけてこう言いました。『だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。
7:28 きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か。』
7:29 このことばを聞いたモーセは、逃げてミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけました。
7:30 四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。
7:31 その光景を見たモーセは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。
7:32 『わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。』そこで、モーセは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。
7:33 すると、主は彼にこう言われたのです。『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。
7:34 わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民の苦難を見、そのうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下って来た。さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう。』
7:35 『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになったのです。
7:36 この人が、彼らを導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。
7:37 このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。
7:38 また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。

 来週、私たちは教会の四十周年記念の礼拝と愛餐会を行います。聖書では「四十年」という期間には特別な意味がありますので、教会でも「四十年」を記念し祝うことになりました。

 聖書で「四十年」というと、誰しも、イスラエルがエジプトの奴隷から解放され、荒野で過ごした四十年のことを思い浮かべることでしょう。今朝の聖書箇所は、教会の最初の殉教者となったステパノが、モーセについて語ったことばですが、ここでも、イスラエルの人々が荒野にいた四十年のことが語られています。36節に「この人(モーセ)が、彼らを導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。」とあるとおりです。

 しかし、旧約聖書のイスラエルのことが、新約時代の私たちとどんな関係があるのでしょうか。深い関係があります。ですから、教会は新約聖書ばかりでなく、旧約聖書をも「聖書」として持っているのです。旧約時代にイスラエルを救われた神も、新約時代に教会を救ってくださる神も同じ神です。旧約時代にモーセを遣わされた神は、新約時代にはキリストを遣わされました。37節に「このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。」とありますが、モーセ自身がキリストの到来を預言していたのです。

 旧約時代に子羊の血によってイスラエルの人々を死の使いから守った神は、新約時代には神の子羊、イエス・キリストが十字架の上で流された血によって、信じる者を救ってくださるのです。また、旧約時代にエジプトから救い出した人々をご自分の民として養い育て、約束の地に導き入れた神は、新約時代には、キリストを信じる人々を神の民に加え、教会を通して養い育て、天の御国に導き入れてくださるのです。38節に「また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。」とありますが、ここで「集会」と訳されていることばには「教会」をあらわす「エクレシア」というギリシャ語が使われています。このことから、イスラエルは旧約の教会であり、教会は新約のイスラエル、神の民であると言うことができます。ですから、イスラエルの荒野の四十年は、現代の教会にとっても、クリスチャンひとりびとりの生活にとっても意味深いものなのです。教会の四十周年を祝うにあたって、イスラエルの人々が荒野で過ごした四十年の意義をごいっしょに考えてみましょう。

 一、神を知る四十年

 イスラエルの人々が荒野で過ごした四十年は第一に「神を知る四十年」でした。

 モーセは「私たちに荒野へ三日の道のりの旅をさせ、私たちの神、主にいけにえをささげさせてください。」(出エジプト5:3)とファラオに願い出ましたが、ファラオは、神のことばに聞こうとせず、それを許しませんでした。それで、神はナイル川が血に変わるという災いをはじめとして、かえる、ぶよ、あぶ、疫病、腫れ物、雹、いなご、暗闇などのさまざまな災害をエジプトに与えました。そして、最後の災害が、エジプト中の長子という長子が、ファラオの子から家畜の子に至るまで、一晩のうちに皆死ぬという災害でした。今まで頑固だったファラオも、この災いによって、やっとイスラエルを解放し、イスラエルは自由の身となってエジプトを出て行きました。ところが、ファラオはその後、心変わりし、奴隷を取り戻そうと、軍隊を送ってイスラエルを追いました。イスラエルは、前は海、後はファラオの軍隊という絶体絶命のところに立たされたのですが、神は海の中に道を開きイスラエルを救い、ファラオの軍隊を水の中に沈めました。イスラエルの人々は、エジプトで、紅海で、そして荒野で神の偉大なみわざを目の当たりにしたのです。それは、それまで誰も見たこともないようなもので、まるで3Dの映像を観るようなものだったでしょう。

 イスラエルの人々は、現代の私たちが見ることがないような不思議な出来事を目の当たりにしましたが、それで神のみこころを知り、深く神に信頼するようになったかというとそうではなかったようです。少し気に入らないことがあるとすぐに不満を鳴らし、わがままになっています。イエスの時代の人々も、イエスのなさった奇蹟を見ていながら、なおイエスを信じようとはしませんでした。奇蹟やしるしは、人々の目を開かせることはできても、人々の心を開かせることはできないようです。ほんとうの意味で神を「知る」には、奇蹟としるしだけでなく、神のことばが必要です。神への信仰は神のことばに耳を傾けることによって養われるのです。ですから、神は、イスラエルをエジプトから救い出した後、モーセを通して、イスラエルに神のことばを与えられました。聖書のはじめにある創世記から申命記までの五つの書物は、このとき、人々に与えられたのです。イスラエルの人々は、それまで自分たちの先祖の神を礼拝していましたが、その神がどのようなお方かを十分に知りませんでした。神は、神を信じる者が神をさらに深く知るよう願われ、イスラエルもまた、自分たちを救い、神の民としてくださったお方をさらに知りたいと願いました。

 多くの人が修養会やリトリートで信仰の決心や献身の思いへと導かれます。修養会やリトリートで信仰がステップアップするのは、そこで神のことばに集中するからです。そこにはショッピングモールはありませんし、スポーツの中継もありません。食事の支度も後片付けも必要なく、チャイルド・ケアがあってこどものことも心配することなく、神のことばに集中することができます。修養会やリトリートに出ると、「人はパンだけでなく、神の口から出るひとつひとつのことばによって生きる」ということを身をもって体験することができます。イスラエルにとって荒野の四十年は修養会やリトリートのようなものでした。そこでは人々はエジプトにいたころの重労働から解放されて、好きなだけ神のことばに聞き入り、祈り、思う存分神を礼拝することができました。イスラエルが約束の地に入ってからは、戦争が続き、生活の苦労がありましたが、荒野の四十年にはほとんど戦争がありませんでした。人の住まない荒野にいたのですから、戦う相手がなかったのです。そこは外面のことから解放されて、自分自身の罪や不信仰との内面の闘いに取り組むのにとても良い場所でした。それは神を知り、信仰を養い育てられる期間でした。イスラエルは、救いの体験の後、救い主である神と、その救いをさらに深く知るように導かれていったのです。

 キリストの救いを受け入れた人も同じように、救いの体験の後、救い主である神とその救いをさらに深く知るよう導かれていきます。神のことばに聞き、神のことばによって養われ、育てられていくのです。教会としてもこの四十年は主を知ることに成長していった期間だったと思います。主を知ることは、生涯の課題ですから、これからも、そのことを求め続けていきたいと思います。

 二、訓練の四十年

 イスラエルの人々が荒野で過ごした四十年は第二に「訓練の四十年」でした。

 荒野では、重労働もなく、戦争もありませんでした。人々はテントづくりの神殿を真ん中にして自分たちのテントを張って生活し、神と神への礼拝を中心に日々を過ごしていました。その四十年は信仰的、霊的にはとても恵まれた期間だったと思います。しかし、まったくチャレンジがなかったわけではありません。荒野でも、さまざまな誘惑がありました。とくに神に不満を鳴らすという誘惑がありました。荒野にはエジプトにあったような豊かな食べ物はありませんでしたから、人々は食べ物の欲望に駆られて神に逆らいました。民数記11:4-6に、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」と言って、人々は泣いたとあります。「こんなことなら、エジプトから救われなかったほうが良かった。」と、神の救いを否定する思いが生じ、神が一日もかかすことなく供給しておられた天からのパンをさげすむ思いが人々の間に起こってきたのです。考えてみれば、荒野で何の苦労もなく毎日新鮮なパンが食べられるというのは、じつに大きな恵みなのですが、人々は神の恵みに慣れっこになり、神の与える奇蹟のパンにも、みことばのパンにも感謝しなくなっていたのです。不平不満というのは何かに不足していてるから生まれるのではなく、むしろ、与えられている恵みを見失うところに生まれるものなのです。神は、人々がそうした思いと闘い、神への信頼によってそれを克服することを望んでおられたのに、人々はそのみこころに添えなかったのです。試練も闘いもなければ、人は神に助けを呼び求めることも、信頼することもしなくなります。神がイスラエルに荒野を歩ませられたのは、その中で神に信頼することを教え、訓練するためでした。

 イスラエルはまた、共同体としての訓練も荒野で受けました。モーセのリーダシップやアロンの祭司職は常にチャレンジを受けましたが、神は人々にリーダーシップに従うことを命じました。人々は部族の長や氏族の長に導かれ、兵役の義務や神殿での奉仕も割り当てられ、神の民として組織化されていきました。誰もが共同体の一員として責任を果たすことを求められました。

 同じように教会の四十年も、教会開拓の期間を終え、専任の牧師を迎え、執事や理事を任命し、様々な委員会を組織してきた期間だったと思います。人数が増えると、教会の運営の方法も少人数のときと同じようにできなくなります。教会の運営はそのときそのときに神の導きを祈り求めて対応していかなければなりません。建物のことでは、四十年前、この礼拝堂を建てた後、事務所の増設がありました。それから屋根の修理がありました。その後、礼拝堂フォイエー部分のリモデルがありました。しかし、建物が手狭になり、駐車場も足らないという状況は完全には解決されていません。そんな中で私たちはいつも神からのチャレンジを受けてきました。ビジョンを持つこと、神に信頼すること、皆がひとつになって進んでいくというチャレンジです。神の民として生きるという訓練です。この訓練に信仰をもって答えていきたいと思います。

 三、守りの四十年

 イスラエルの人々が荒野で過ごした四十年は第三に「守りの四十年」でした。

 今日、多くの人々は、およそ25歳までは家庭と学校で過ごします。それから65歳までは職場で時間を過ごします。そしてその後は、退職後のそれぞれの生活が待っています。どのステージもそれぞれに闘いがあるものですが、中でも一番エネルギーを要求されるのが、25歳から65歳までの四十年でしょう。この時期に多くの人はイスラエルが直面したように「紅海」に直面するでしょう。前にも進めない、後ろにも退くことができない状況に出くわすことがあるでしょう。同じ時期に、霊的な「荒野」を通らなければならないこともあるでしょう。イスラエルが荒野でさまよったように、同じところを堂々巡りしているように感じてしまうことがあるかもしれません。しかし、人生でいちばん多くの実を実らせることができるのも、やはり、25歳から65歳までの四十年です。私たちの人生の四十年を実りあるものにするには神の守りを見失わないことが大切です。荒野には人の目を喜ばせるようなものはほとんどありません。イスラエルの人々も、一面に広がる砂漠や赤茶けた山にあきあきしたかもしれません。それだけを見ていたら、先には進めなかったでしょう。しかし、彼らには昼は雲の柱、夜は火の柱がありました。人々はそれを見て前進しました。これは、神が共におられることのしるしでした。私たちは、なにもかも恵まれ、祝福されたときには、「神は私と共におられる」と感じ、なにもかもうまくいかなくなったとき、荒野のような場所を通るときは、「神はいったい、どこにおられるのか」と感じてしまいます。しかし、神は荒野でこそ共におられるのです。

 マーガレット・F・パワーズの Footprints という詩はこう言っています。

ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている夢だった。
その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。
その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。
ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものだった。

そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。
すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たったひとつの足跡しかないことに気づいた。
そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれているときのものであることに気づかされた。

彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。
「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。
でも私の人生で最も苦しかった時、ひとつの足跡しかありません。
私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?
私には理解できません。」

主は答えられた。
「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。
決して見捨てたりはしない。
あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを携え歩いていたからだ。」

 神は、私たちを荒野で訓練されます。しかし、神は決して耐えられない訓練に遭わせることはありません。かならず、助けと守りをくださいます。そして、私たちがもっと神を知り、神に愛されていることを理解し、神を愛することができるようにしてくださるのです。モーセはイスラエルの荒野の四十年の最後に、「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。」(申命記8:4)「私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。」(申命記29:5)と言っています。人々は四十年の間、荒野を歩き回わったのです。そのため着物がすり切れ、足がはれ、くつの底に穴があいても不思議ではありません。ところが、かえって、着物もくつも長持ちし、長い旅行でくたびれ果ててからだを壊す人もなかったのです。もちろん、四十年間、同じ着物を着て、同じくつを履いていたわけではないでしょうが、新しい着物やくつを作るのに必要なものが十分に与えられていたのです。こどもも老人もいる大集団が、何の不足もなく守れらたのはまさに神の特別な守り以外のなにものでもありませんでした。

 教会の四十年を静かに振り返るとき、そのつど神が必要なものを与え、大きな危険から守ってくださったことが分かるでしょう。来週の礼拝は、お互いがそんな感謝を携えてともに集いたいと思います。そして、神の真実は変わらないのですから、この四十年を守ってくださった神が、これからの四十年をも守り導いてくださると信じ、この神に従い続けたいと思います。

 (祈り)

 父なる神さま、イスラエルの荒野の四十年を守ってくださったあなたは、キリストの教会と、キリストにつながる者たちをも守り通してくださいます。私たちがそのことを信じて、この世という荒野にあっても、天に向かって旅する者としてください。主イエスのお名前で祈ります。

4/18/2010