神の御前に

使徒10:23-33

10:23 それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した。
10:24 その翌日、彼らはカイザリヤに着いた。コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、彼らを待っていた。
10:25 ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝んだ。
10:26 するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言った。
10:27 それから、コルネリオとことばをかわしながら家にはいり、多くの人が集まっているのを見て、
10:28 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
10:29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
10:30 するとコルネリオがこう言った。「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、どうでしょう、輝いた衣を着た人が、私の前に立って、
10:31 こう言いました。『コルネリオ。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられている。
10:32 それで、ヨッパに人をやってシモンを招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれている。この人は海べにある、皮なめしのシモンの家に泊まっている。』
10:33 それで、私はすぐあなたのところへ人を送ったのですが、よくおいでくださいました。いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」

 新約聖書は、ローマ帝国が最も栄えた時代に書かれました。ユダヤの国もローマ帝国の属州のひとつとみなされ、ユダヤの国やその近辺のいたるところにローマ兵がいました。それで新約聖書には「百人隊長」や「千人隊長」がたびたび登場しているのです。ローマの軍隊は、世界最強の軍隊で、巧みに組織され、よく統率がとれていました。『キリストの受難』という映画では、ローマ兵がとても残酷な人々として描かれていますが、ローマ兵のすべてがそうだったわけではなく、神を信じるローマ兵や百人隊長たちも多くいたのです。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書には、ある百人隊長が、しもべの病気をいやしてくださいと、イエスに願い出たことが書かれています。イエスは、この百人隊長に、「あなたのところに行って、そのしもべを治してあげよう。」と言うのですが、百人隊長は「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」と答えています。百人隊長はイエスとそのことばの権威を信じきっていたのです。このことばを聞いて、イエスは「イスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」(マタイ8:10)と百人隊長の信仰を誉め、即座にそのしもべをいやされました。また、イエスの十字架を最後まで見守っていた百人隊長も、イエスが十字架の上で息をひきとられた時、その姿を見て「この方はまことに神の子であった。」(マタイ27:54)と言っています。ユダヤとその近辺には、ユダヤの人々よりも真剣に神を信じ、また、神に心を開いていたローマ兵が数多くいたようで、ここに登場するコルネリオもそのような人々のひとりでした。

 コルネリオがどんな人だったかは、使徒10章のはじめに書かれています。10:1-2は、「さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、…」と言っていますが、ここで「神を恐れる人」というのは、異邦人でありながら、神を信じる人を指すときに使った言葉でした。パウロは、ユダヤ人の会堂でメッセージをする時には、いつも「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々」と、人々に呼びかけています(使徒13:16)。コルネリオは、そのような「神を恐れる人」のひとりでした。そして、彼は「神を恐れる人」と呼ばれるだけでなく、その名のとおり、実際に神を恐れる生活をしていました。神に近づき、神の前に出ていた人でした。コルネリオが、どのように神の前に出ていたかを学び、その模範にならうことにしましょう。

 一、施し

 10:2を見ると、コルネリオが「ユダヤ人に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた」とあります。コルネリオの神に対する敬虔な思い、神を恐れる心は、まず、施しと祈りの中に表わされていました。

 コルネリオはローマの百人隊長で、彼の部隊は「イタリヤ隊」と呼ばれていましたから、彼はもとからのローマ人だったかもしれません。ローマ人は、ユダヤ人をはじめ、他の民族を従えており、ローマ兵には、ローマ市民以外の者に、金品を要求したり、労働させたり、捕まえて取り調べる権限がありました。イエスが山上の説教で「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。」(マタイ5:41)と言われたのは、おそらくは、ローマ兵が、物資を運ぶため、人々に荷物を背負わせて一マイルほど歩かせたといった、日常よくある出来事を指してのことだったろうと思われます。コルネリオは、そのように、カイザリヤにいるユダヤ人たちに、金銭や労力を要求する権利があったのに、逆に、ユダヤ人に多くの施しをしていたというのです。コルネリオは、神を敬うゆえに、神を信じるユダヤ人を大切にしたのです。コルネリオは、ローマの権威を帯びた人でしたが、ローマ皇帝をも支配する、生きた、まことの神がおられることを信じており、その神の権威に服し、被占領民となって苦しんでいるユダヤの人々に愛を示したのでした。

 すこし話が戦後の日本に飛びますが、日本もアメリカに占領されましたが、幸いなことに多くのアメリカ兵がクリスチャンで、日本人を大切にしてくれました。そのことで、太田俊雄先生から聞いた話が心に残っていますので、紹介しましょう。太田俊雄先生は、新潟に敬和学園というクリスチャンの学校を創立した、戦後の日本を代表する教育者のひとりでした。私は、先生を教会にお呼びして、講演会をしていただいたことがあります。この太田先生が、終戦直後、どこかの学校の教師で、ちょうど宿直にあたっていた時、アメリカの兵隊が大勢やってきて、その学校で一晩宿営することになったそうです。兵隊たちがそれぞれ、教室に分かれ、寝袋に入って休みました。その後、上官が太田先生の宿直室に挨拶にやって来ました。太田先生は、その上官に、「どうぞ、私の部屋をお使いください。ここには畳もありますから。」と勧めたのですが、彼は、「いや、これはあなたの部屋だ。あなたはここに休みなさい。私は廊下で寝るから。」と言って、そのとおり、その上官は廊下で眠りました。朝になって、上官はふたたび太田先生のところにやってきて、丁寧に挨拶をし、次のところに進んでいったというのです。これが、日本の軍隊であったら、占領した人々にしたい放題のことをしていたかもしれない、太田先生は、そう思って、神を知る者と、そうでない者との違いをその時感じたと、話してくれました。

 コルネリオもまた、神を恐れる人として、占領軍の隊長だからといっておごり高ぶることなく、貧しいユダヤの人々に施しをしました。社会保障のなかった時代に、弱い立場の人々を助けるために、施しはなくてならないもので、神を信じる人々にとっては、それは、人に対する義務というよりは、神に対する義務でした。施しは神に対するささげものだったのです。ヘブル人への手紙に「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。」(ヘブル13:15-16)とあります。旧約時代、ユダヤの人々は、神殿に動物の犠牲を捧げていましたが、イエス・キリストがご自分を完全な犠牲として神に捧げた後では、もう、どんな動物の犠牲も必要ではなくなりました。新約時代の犠牲は、賛美と施しであると、聖書は教えています。賛美の中には祈りも含まれますが、コルネリオは、ヘブル人の手紙が教える霊的ないけにえを欠かさずささげていた人だったのです。彼は、ユダヤ人ではありませんでしたから、エルサレムの神殿に行ったとしても、いけにえを捧げることはできませんでした。彼は政治的にはローマ人としてユダヤ人の上に立っていましたが、宗教的には、異邦人として、ユダヤ人の特権にあずかることができなかったのです。しかし、神殿に犠牲をささげることはできなくても、彼は、施しといういけにえは捧げることができたのです。こうして彼は、新約時代の捧げものを先んじて実行するという恵みをいただいたのです。御使いはコルネリオに「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(使徒10:4)と言いっていますね。「神の前に立ち上る」といいうのは、神殿でいけにえが捧げられる時、いけにえを焼いた煙が天に昇っていくさまを連想させます。そのように、祈りも施しも、神殿でささげられるいけにえと変らない、神へのささげものなのです。

 そして、施しが神に対するささげものであるなら、神がそれを覚えておられないわけがありません。神は、かならず、それに報いてくださいます。聖書は「寄るベのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。」(箴言19:17)と教え、キリストも「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)と言われました。どんな施しも決して無駄にはなりません。コルネリオの施しが神に覚えられていたように、進んで神のため、教会のためにに与える私たちのささげものも神に覚えられています。私たちも、コルネリオのように、与えることによって神への愛を表わし、また、「喜んで与える人を愛してくださる」(コリント第二9:7)と言われているように、与えることによって、神の愛を体験したいと思います。

 二、祈り

 次に、コルネリオの神を恐れる心は、彼の祈りの姿の中に見ることができます。2節の後半に「彼は…いつも神に祈りをしていた」とあり、御使いも「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(10:4)と言っています。

 コルネリオがどんな祈りを神に捧げていたかは、ここには書いてはありませんが、彼が規則正しい祈りの生活をしていたことは、間違いありません。コルネリオが祈りの中で御使いを見たのは、午後三時だと、10:3 にありますが、実は、当時のユダヤ人は、午前九時、正午、そして午後三時と一日三回祈りを捧げるのを慣わしとしていました。コルネリオも、異邦人ではありましたが、ユダヤ人と同じように、日に三度の祈りを欠かしませんでした。忙しい現代では、祈りの時間が忘れられがちです。人々は身体の健康には気を配っても、たましいの健康には無頓着です。どんなに忙しくても、私たちの多くは、日に三度の食事を取り、エクササイズをし、睡眠をとります。それは、健康を保つためになくてならないものだからです。食事をスキップしたり、じっと座ったまま仕事をして身体を動かさなかったりすると、すぐにではないにしても、何日かすれば、必ず身体の調子が悪くなります。また、睡眠時間を削ったりすると、集中力を失ってとんでもない失敗をしたり、事故を起こしかねません。同じように、規則正しく祈っていないと、私たちの霊的、信仰的な健康を保つことはできないのです。祈りが乏しくなると、イライラしたり、人につらく当たったり、正しい判断ができなくなって、思わぬ誘惑に陥ってしまいます。「祈りは心を込めて祈るものだから、何も時間を決めて祈らなくても良い。そんな祈りは習慣的な祈りになる。」という人もありますが、決してそんなことはありません。祈りが習慣になるなら、それは良いことです。日ごとに祈りの時を持ち、教会の祈り会に参加し、日曜日の礼拝を守る、こうした良い習慣が、私たちの信仰を守り、たましいを守ってくれるのです。コルネリオは、規則正しい日々の祈りの中で御使いを見、神の導きを得ました。特別大きな試練に遇った時には、そのための特別な祈りが必要でしょう。重要な導きを求める時には、集中した祈りが求められることでしょう。しかし、普段から忠実に祈りに励んでいればこそ、いざという時に力をもって祈ることができるのです。日常の祈りの生活が背後にあって、特別な祈りは、はじめて力となるのです。聖書が「絶えず祈りなさい。」(テサロニケ第一5:17)「たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)というのは、このような日々の規則正しい祈りのことを指しています。

 どんなに神を求めても、異邦人として、神に近づくことのできないもどかしさを、コルネリオは感じていたかもしれません。彼はもっと神に近くありたい、救いの確信をにぎりたいと願っていたことでしょう。そのような神を求める祈りは、無駄にはなりませんでした。神は、彼の日ごとの祈りを覚えていてくださり、神への道、救いの道を示されたのです。私たちも、コルネリオと同じように、コンスタントに祈り続けるなら、神からの答えを受け取ることができます。祈りは、決して一方通行ではありません。私たちから神に向かうだけのものではなく、神から私たちに向かうものでもあるのです。神は、神の御前に祈り続ける者に答えてくださるのです。

 三、みことば

 コルネリオは、施しと祈りによって、神の御前に出ましたが、第三に、彼は、みことばを聞くことによっても、神の御前に出ています。

 コルネリオは「ペテロを招け」という神からのメッセージを聞くとすぐに、自分のしもべふたりと側近の兵士ひとりの三人を、ペテロがいたヨッパに送り出しました。コルネリオを導いた神は、ペテロにも現われて幻を見させ、「コルネリオのところに行け」と命じました。神は、コルネリオとペテロの両方に不思議な導きをお与えになったのですが、神がどうして、このような手の込んだことをなさったかというと、それは、異邦人もまた、イエス・キリストを信じるなら、ユダヤ人と同じように完全に救いにあずかるということを教会に教えるためでした。当時は、ユダヤ人と異邦人の間には大きな隔ての壁があり、教会はまだ、その壁を乗り越えられないでいました。教会には、「地の果てまでわたしの証人となれ。」(使徒1:10)と命じられてはいましたが、教会は、神の前にはユダヤ人も異邦人も、なんの隔てもないことを、まだ体験していなかったのです。神は、初代教会のリーダであったペテロにそのことを体験させ、教会が異邦人伝道に向かって進んでいくように導かれたのです。

 コルネリオは、しもべたちをペテロのところに遣わした後、親族や親しい友人たちを呼び集め、ペテロの到着を待っていました(10:24)。コルネリオは、ペテロに一度も会ったことがないのに、彼が必ずやってきて、神のことばを語ってくれると信じました。自分ひとりでなく、家族、親戚一同を自分の家に集めて、神のことばを待ち望んでいました。ここに、コルネリオの神のことばに向かう真剣な姿勢を見ることができます。「全身を耳にして聞く」という表現がありますが、このことばは、まさにコルネリオにぴったりです。ペテロを迎えたコルネリオは、御使いが彼に現われた次第を説明してからこう言いました。「いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」(10:33)私たちにも、このような姿勢が必要です。ただ漫然と神のことばに向かうのでなく、求める心をもって、答えを得ようとする姿勢をもって、神のことばに耳を傾けたいものです。

 夏期修養会の早天祈祷会で、細見先生は、「バックストンは、集会の終わりにはいつも、『みなさんは、今日のこの集会で神の御声を聞きましたか。』と言いました。今日の集会は良かった、大変恵まれたと言って喜ぶだけでなく、この集会で神の声を聞いたかどうかを考えてみましょう。」と言われました。聖書は学んだかもしれません。スピーカーの語ることに耳を傾けたかもしれません。しかし、メッセージを単に知識としてではなく、また、単なる納得としてでもなく、神から私への語りかけとして聞いただろうかというのです。コルネリオがペテロから聞いたメッセージは34節以降にありますが、キリストの十字架と復活のメッセージでした。みなさんは、そのことを何度も何度も聞いてこられ、目新しいものではないかもしれません。しかし、私たちが、コルネリオのようにして、キリストのことばを聞くなら、それは、今も、日ごとに新しいメッセージとして私たちに迫ってくるのです。聖書の同じ箇所を何度読んでも、そのたびに新しい発見があるように、神の声に心から聞く態度をもって神の前に出る時、私たちも、生きた神のことばと、そこから来る力や希望、確信を得ることができるのです。コルネリオと彼の家に集まった人々は、神のことばを聞くうちに聖霊とその力を受けました。私たちも、心からみことばに聞く時、聖霊がくださる恵みを体験することができるのです。神に聞く姿勢をもって「神の御前に」出て、豊かな祝福を受ける者となろうではありませんか。

 (祈り)

 父なる神さま、今朝、あなたは、コルネリオの模範を通して、私たちに、あなたの前に出ることを教えてくださいました。コルネリオの祈りや施しが覚えられていたように、今も、あなたを求め、信仰を持ちたいと願っている人々を、あなたが覚えていてくださることをありがとうございます。あなたを求める人々が、たとえ、さまざまな躓きや妨げがあったとしても、あなたが覚え、導き、語りかけてくださることを信じて、あなたを求め続け、ついには信仰の確信にいたるように導いてください。また、すでに信仰を与えられている者たちも、もう一度、良いわざと、祈りに励み、神のことばに聞く姿勢を持つことができるよう、導いてください。私たちの主イエス・キリストによって祈ります。

7/25/2004