みことばの力

テモテ第二3:14-17

3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、
3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

 聖書は、神のことばで、他のどんな書物も持っていない力、人を救いに導く力を持っています。神のことばは、この世の誰も与えることのできない知恵、救いに至る知恵を与ええ、人を絶望の淵から救い出す力があります。そのことは、みなさん、おひとりびとりが体験していることですが、今朝は、星野富弘さん、田原米子さん、水野源三さんの三人の人生を通し、神のことばがどんなに力あるものかをごいっしょに確認したいと思います。

 ―、聖書と富弘さん

 最初は、星野富弘さんです。富弘さんの詩画展がいよいよはじまりますね。富弘さんが描いたいた花の絵とそれにそえられた詩の原画百点が、サンフランシスコにやってきます。富弘さんの作品はカレンダーや絵葉書でご覧になっているでしょうが、原画には印刷されたものに無い味わいがありますので、ぜひとも会場に行ってご覧いただきたいと思います。また、九月十二日には富弘さんのお話をじかに聞くことができます。サンフランシスコの後、ロスアンゼルスでも詩画展があるのですが、そこには作品が送られるだけで、富弘さんは行きません。星野さんに直接会えるのは、ベイエリアにいる私たちの特権です。

 富弘さんが口に筆をくわえて絵を描くのはよくご存知ですね。口に筆をくわえて絵を書く人は大勢いらっしゃいますが、富弘さんのように首から下が麻痺して、身動きひとつできないのに、ベッドに横たわりながら絵を描く人は、めったにいないと思います。筆をくわえていられるのは一日のうち数時間にすぎないということで、一枚の絵を描くのに何日もかかります。無理をすると熱が出てしまいます。そんな中から作り出された絵であり、詩であるだけに、多くの人の感動を呼ぶのだと思います。

 私が富弘さんの絵を始めて見たのは、神学校にいる時でした。私と同級の米谷信雄さんが花の絵が描かれた一枚の色紙を持ってきて、これはこうこう、こういう人が書いたものだと説明してくれました。その当時の絵は、今の絵にくらべれば、お世辞にもうまいとは言えないものでしたが、米谷さんは「こんなに描けるようになってすごいだろう」と自分のことのように喜んでいました。

 実は、米谷さんは、群馬県前橋の教会のメンバーで、富弘さんと大学時代同じ寮に住んでいたことがあったのです。それで、米谷さんは、富弘さんを見舞い、彼に福音を伝えようと努力し、そのために時々群馬に帰っていました。富弘さんが神のことばに触れたのは、米谷さんが彼に贈った聖書によってでした。

 しかし、富弘さんは、米谷さんからの聖書をすぐ読んだわけではありませんでした。富弘さんはその時「聖書なんか持ってたら、弱い人間だと思われてしまう」と考えていたそうです。彼はその時、本当に強かったのかというとそうでなく、ただひとつ動かせる口でその歯で舌を噛み切って死んでしまいたいと願っていたのです。自分の弱さを正直にさらけ出すことが恐かったと言っています。富弘さんは、同じ病院に入院してくる他の患者から「富弘さんは明るい人だ、頑張屋だ」と言われると、なおのこと自分の弱さを隠そうとしたとその手記に書いています。

 そのうち、米谷さんの教会の舟喜拓生牧師が富弘さんを訪ねるようになり、聖書のメッセージをしてくれるようになりました。でも、富弘さんは牧師に訪問してもらっている自分を回りの人がどう見るだろうかと、その視線ばかりを気にして、自分から聖書を読もうとはしなかったのです。「いやね、聖書のお話も歴史の勉強になるからね」と他の人にいいわけして自分の気持ちをごまかしていたのです。しかし、富弘さんが自分で聖書を開いて読み出す時がきました。「自分で」といっても、もちろん、誰かの助けを借りて、書見台に聖書をつけてもらい、ページをめくってもらったのでしょうが、それはローマ人への手紙でした。最初は読んでも全然理解できず、活字を追っていくだけでしたが、「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(5:1-5)というところに来た時、このことばが富弘さんの心の中に入ってきました。それは、以前米谷さんが富弘さんに送ったはがきの中に書かれていたものでした。富弘さんはその時、「神を信じたい」という気持ちに導かれたのです。人は希望なしには生きられません。しかし、からだの自由が全くきかない富弘さんにとって希望を持つことは不可能でした。人々が語る希望は、本物の希望ではなく「気休め」であって、最後には失望に終わるものでしかありませんでした。しかし、聖書が語る希望は本物の希望です。表面では明るくふるまっていても、心の中に絶望しかなかった富弘さんの心に、聖書は本物の希望、失望に終わらない希望を教えたのです。神のことばは富弘さんを本物の希望の与え主、イエス・キリストのもとへ導きました。

 二、聖書と米子さん

 同じように聖書は、田原米子さんにも生きる希望を与えました。みなさんは田原米子さんのことをご存知でしょうか?米子さんは、母親の死をきっかけに人生にむなしさを覚え、あまり学校にも行かずさんざん遊び歩いたそうですが、それで心の空しさが満たされるわけもなく、彼女は、とっさのことでしたが、小田急新宿駅でホームに入ってくる電車に飛び込んで、自殺を図かりました。一週間、生死の境をさまよいましたが、なんとか一命をとりとめました。しかし、意識をとりもどしてみると、あるはずの両足がありません。両足と左腕が切断され、残されたのは右手の三本の指だけでした。米子さんは「どうして自分を助けたの!こんなからだになってまで生きていたくない」と、自分の命をのろいました。そして、こんどは間違いなく死のうと、「眠れない」と言ってはもらった睡眠薬を貯めはじめるのです。

 そんなある日、米子さんのところに、白人の宣教師と共に、将来のご主人になる日本人の伝道者田原さんが聖書をたずさえてやってきました。しかし、死ぬことしか考えていなかった米子さんには、彼らが訪ねてくることは迷惑で、彼らに心を開こうとはしませんでした。しかし、聖書のことばは不思議な方法で米子さんの心に届きました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント第二、5:17)米子さんは、人生には意味と目的があることを知りました。一度は自殺を図った彼女ですが、もう一度人生をやり直すことができることを知りました。そして、イエス・キリストを自分の救い主として信じ、受け入れたのです。聖書は、真っ暗闇の中でもがいていた米子さんに希望の光を与えたのです。

 私が日本で伝道しておりましたころ、米子さんを教会にお迎えしました。米子さんは義足をはめて講壇に立ちました。彼女は最初に持っていたストップウォッチで足を叩きました。「カーン」という音が響きました。それからこう話しました。「皆さん、これは義足なんですよ。私には、両足と片腕がありません。残された手の二本の指も失いました。最初、私は、『わたしには三本の指しかない』と思っていました。たった三本の指では何にもできないと思っていました。しかし、キリストに出会ってからは『わたしには三本も指がある』と思うようになりました。私はこの三本の指で、料理もし、縫い物もし、ふたりの子どもを育ててきました。神様は私に、失ったものを悔やむ人生でなく、残されたものを感謝する人生を与えてくださったのです。」神のことばは、米子さんを絶望の淵から救い出しただけでなく、彼女に恐れのない、くじけない、前向きな人生を与えたのです。

 三、聖書と源三さん

 もうひとり、聖書によって生きる希望を与えられた人のことをお話ししましょう。それは「まばたきの詩人」と呼ばれた水野源三さんです。源三さんは、戦後まもなくして、長野県の小さな町で発生した集団赤痢にかかり、それがもとで、脳性麻痺となり全身の自由がきかなくなってしまいました。源三さん九歳の時でした。目は見え、耳は聞こえるのですが、話すことも、文字を書くこともできません。源三さんの住んでいたのは長野県の片田舎で、源三さんは自宅で寝たきりの生活をしていました。

 源三さんの母親のうめじさんは自宅でパンを売っていました。近くの教会の牧師がパンを買いに来て、奥の部屋に人の気配を感じ、うめじさんに尋ねてみると、うめじさんは源三さんの事情を牧師に話します。それを聞いた牧師は、一冊の聖書を置いて帰り、その後も忠実に源三さんを訪ねます。けれども、源三さんが病気になってから、ありとあらゆる宗教の人がおしかけてきていましたから、源三さんの家族にとって、牧師の訪問にはうんざりしていたのですが、聖書の話を聞くうちに、これは他の宗教とは違うということが分かっていくのです。源三さんはその時十二歳でしたが、熱心に聖書を読み、人が救われるのは神の恵みにより、信仰によるということが分かり、イエス・キリストを自分の救い主として明確に信じ、その年の十二月、バプテスマを受けました。それまで自分の不幸を嘆くだけだった源三さんはその時よりまったく変わって、家族のみんなが顔つきが明るくなったと証言するほどでした。母親のうめじさんは、その手記に「神さまに救われてからの源三は、声こそ出しませんが口を大きくあけて顔いっぱいに笑い、喜びの日をおくるようになりました。時たまけいれんを起こして苦しみますが、またすぐに明るい顔をしているのを見て、健康な私たちが反対に力づけられるくらいです。」書いています。源三さんが変わっただけではありません。源三さんは両親をも信仰に導くのです。母親はこうも書いています。「私の信仰は、源三に助けられながら一歩一歩進んできました。もし、源三がこのような病気になっていなかったら、私たち親子は神さまを知ることができなかったかもしれません。」源三さんは両親にとって厳しい信仰の先輩だったそうです。

 源三さんが「まばたきの詩人」と言われるのは、書けない、しゃべれない源三さんが、五十音の表からまばたきで一字一字文字をひろい出だして、詩を作っていったからです。これは、言葉を話せない源三さんに、ある時医者が「はい」だったら目をつぶりなさいと言ったのをヒントにして、うめじさんが考え出したもので、うめじさんの亡くなった後は弟の哲男さんの奥さん秋子さんが源三さんの詩作の手伝いをしました。源三さんは、四冊の詩集を出していますが、これだけのものが「まばたき」だけで作られたというのは、おそらく世界の他の国にもないでしょう。源三さんの詩は、それを読む人の心に大きな励ましを与えていますが、彼から数多くの詩と歌を生み出させたのは、神のことば、聖書でした。源三さんの母、うめじさんは、その手記の中で、このように書いています。「何回となく聖書を読み、イエスさまだけに生きる望みを置いている源三のいちばん好きなみことばは、コリント人への手紙第二の、四章十六節から十八節です。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」源三さんの人生を支えたのはは、このみことばだったのです。

 聖書、神のことばは、星野富弘さんに生きる希望を示し、田原米子さんに生きる力を与え、水野源三さんに生きる目当てを与えました。聖書がどれほど多くの人の人生を変えてきたか、その例をあげればきりがありません。今朝の個所、テモテ第二、三・十五に「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる。」とあるのはまさにそのとおりです。聖書のことば以外に私たちを救いに導くことのできるものはありません。神のことばに、心を開き、耳を傾けましょう。星野富弘さん、田原米子さん、水野源三さんが、その生涯をかけてみことばの力をあかししてきたように、私たちもみことばのあかし人とさせていただきましょう。

 (祈り)

 「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる。」神さま、私たちに聖書を与えてくださったことを感謝します。あらゆる本が古び、姿を消していく中で、聖書はいつの時代にも、世界中の人々に愛され、親しまれてきました。それは、聖書があなたのことばであり、私たちは聖書以外のどんな書物からも救いにいたる知恵を得ることができないからです。知恵と力をあなたのみことばの中に求めさせてください。もっとあなたのみことばに親しみ、それによって強められる私たちととしてください。みことばを受けるだけでなく、多くの人々にいのちのことばを分け与えることのできる、私たちひとりびとりとしてください。救い主イエス・キリストの御名で祈ります。

9/2/2001