神殿を建てる

列王記第一8:27-30

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8:27 それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
8:28 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
8:29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く。』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
8:30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

 一、神殿の歴史

 ソロモンの業績で最も知られているのは神殿を建てたことでしょう。ソロモンが神殿を建てたといっても、それまで神殿がなかったわけではありません。神殿はイスラエルの国が始まったときからありました。つまり、エジプトで奴隷だったユダヤの人々が神によって救い出され、イスラエルという国が始まった時、神が最初にするように命じられたのは、神殿を建てることでした。

 今、「イスラエルという国が始まった」と言いましたが、この国は、最初、領土を持たない国、王もいない国でした。人の目からみれば難民の一団にすぎませんでした。しかし、彼らの王は、神ご自身で、その国は神が与えた法律、「律法」によって治められる国でした。そして、人々はやがて受け継ぐ領土に向かって旅をしていました。それで神殿も人々と共に移動できるように折りたたんだり、組み立てたりできるのものになっていました。それはテント式のもので、「幕屋」と呼ばれました。

 イスラエルが荒野を旅する時はいつも幕屋が先頭に立ちました(出エジプト40:36)。イスラエルが宿営するときには、幕屋も建てられ、幕屋で奉仕するレビ族が幕屋の近くに控えました。ゲルションの氏族は西側に、ケハテの氏族は南側に、メラリの氏族は北側に、そして、モーセとアロン、祭司のグループは東側、つまり、幕屋の正面に宿営しました(民数記3:23-38)。イスラエルの各部族は幕屋を中心にしてテントを張りました。こうしたことは、神が常にイスラエルと共にいてくださって彼らの神となり、イスラエルが神の民とされていることを目に見える形で表すものでした。幕屋は神の臨在のしるしでした。

 荒野の旅を終えたイスラエルは約束の地を手に入れましたが、たえずまわりの民族から脅かされ、平和な時はあまりありませんでした。しかし、神はダビデを選び、ダビデによってイスラエルを外敵から守り、国家の基礎を整えてくださいました。ダビデは自分のために王の家、宮殿を建てましたが、神の家がいまだにテントづくりのままであるこに心を痛め、立派な神殿を建てたいと願いました。けれども、それはダビデには許されませんでしたが、神は、ダビデの子が王位を継ぎ、その子が神殿を建てると約束されました(歴代誌第一17章)。その約束のとおりに、ダビデの子ソロモンがダビデに代わって、壮麗な神殿を建てたのです。

 そして、いよいよ契約の箱が神殿に運び込まれる日となりました。契約の箱が至聖所に運び込まれると、雲が神殿を覆いました。雲は神の栄光を示すもので、これは神がこの神殿を喜び、受け入れてくださったことを示しています。聖書は「主の栄光が主の宮に満ちた」(列王記第一8:11)と言っています。

 二、神殿の意義

 その時、ソロモンはイスラエルを代表して祈りを捧げました。きょうの箇所は、その祈りの一部です。ソロモンの祈りから、私たちは、神殿が神の民にとってどんな意義を持っていたかを知ることができます。

 ソロモンはまず第一に、神が神殿をこえて偉大なお方であると言いました。27節にこうあります。「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」ソロモンが建てた神殿は「神の家」、「神の住まい」と呼ばれますが、実際には、そこに神をお入れできたわけではありません。たとえそれがどんなに大きく、立派な建物であっても、神をお入れできるような建物は地上のどこもありません。神は全地に満ちておられるお方であって、偶像の神々のようにどこかの神殿やほこらにこじんまりと座っておいでなるという方ではないのです。

 ソロモンの時代からずっと後に預言者イザヤは幻を見、こう記しました。「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、互いにこう呼び交わしていた。『聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。』」(イザヤ6:1-3)この幻では、神殿は、神の衣の裾の一部をお入れすることしかできないでいます。神は神殿をこえてはるかに偉大なお方であることが、幻の中で描かれています。

 そして、セラフィムは、こう叫びました。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」「聖なる、聖なる、聖なる」と三度繰り返されるのには意味があります。神殿の本体は「聖所」(ホーリー)と呼ばれました。その聖所の奥まったところは「至聖所」(ホーリー・ホーリー)と呼ばれ、契約の箱はここに安置され、そこは地上で最も聖なる場所でした。ところがセラフィムは「ホーリー・ホーリー」にさらに「ホーリー」を加えて、神を「ホーリー・ホーリー・ホーリー」と呼んでいます。神は聖所や至聖所でさえもお入れすることができないほどの、最高に聖なるお方であると言っているのです。

 聖書は、このように偉大な神を教えていますが、イスラエルの回りの国々は、自分たちの地域だけを治める小さな神々しか知りませんでした。ですから、イスラエルと戦争して負けた時、「彼らの神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかしながら、私たちが平地で彼らと戦うなら、私たちのほうがきっと彼らより強いでしょう」(列王記第一20:23)などと言って、自分たちの概念でまことの神を推し量り、神の偉大さやその栄光を認めなかったのです。

 J. B. Phillips といえば、聖書を現代英語で訳した人として有名ですが、彼は『あなたの神は小さすぎる』という本も書いています。1953年に英国で出版されたもので、私は若い頃、それを読んで、とても刺激を受けました。まことの神を知る英国の人たちでさえ、自分たちの常識や伝統だけで神を小さく見積もっているとしたら、「八百万の神々」しか知らなかった日本人は、聖書に触れても、クリスチャンになってからでも、神を自分の小さな考えの中に閉じ込めてしまうことがあるのではないかと、反省させられました。

 しかし、ソロモンは、神の偉大な栄光を知っていました。ですから、「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです」と言って、自分が神殿を建てたことを誇ることなく、いっさいの栄光を神にお返ししています。神の栄光を知る神の民は、常にそのようでありたいと思います。

 では、神殿が神をお入れすることができないのなら、神殿には意味がないのでしょうか。いいえ、もしそうなら、神は神殿を造らせなかったでしょう。神は人間から遠く離れて、人間と何の関わりも持たないお方ではありません。哲学者たちは一応は神の存在を認めます。しかし、神は、世界を精巧な機械のようなものとして造り、その動力スイッチを入れたあとは、世界がおのずと動くのにまかせ、ご自分は世界から手を引いておられると、彼らは言うのです。そして、彼らは神を定義して、「神とは何ものにも動かされないが、すべてのものを動かすお方である」だと言います。もし世界のすべてがすでにプログラムされ、神が世界から手を引いておられるなら、私たちが神に祈ったところで神は何もなさらないということになります。けれどもそれは「哲学者の神」でしかなく、私たちが聖書の中に見る、生ける、まことの、あわれみ深い父なる神ではありません。生ける、まことの、あわれみ深い父なる神は、私たちの世界に深くかかわり、私たちの祈りを聞いて、世界を動かし、導いてくださるお方なのです。神殿は、天におられる神が、私たちの祈りを確かに聞いてくださっているということの「しるし」として建てられたのです。

 ソロモンは言っています。「あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天においてこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。」(30節)神殿は、人々の祈りを仲介する場所です。人々の祈りが直接天に向かうのでなく、神殿を介して、神に届くのです。

 神殿は「祈りの家」です。そこでは日夜祈りが捧げられています。たとえ、神殿に来ることができなくても、外国に囚われの身となっていても、自分のいる場所で祈り、神殿での祈りに加わるなら、神はそれに答えてくださいます。神殿に置かれた主の御名を覚えて祈るなら、神はその祈りに聞いてくださるのです。さらに、祈りが聞かれるという恵みは、イスラエルの人々だけでなく、主を信じる外国人にも与えられます。イザヤ56:7はこのことをもっとはっきりと語っています。「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」

 神は、私たちの祈りを聞くために、人の住む、この地上にその身を乗り出してくださっています。その場所が神殿なのです。神殿は、神の耳が置かれた場所と言ってよいかもしれません。神は神殿を与えることによって、神の民に、神が祈りを聞いてくださるお方であることを示し、人々は神殿を持つことによって、祈りが聞かれるという確信を与えられたのです。

 三、今日の神殿

 ソロモンの建てた神殿は紀元前586年、バビロニアによって破壊されました。バビロニアが滅び、ペルシャの時代になり、紀元前515年に人々は神殿を再建しましたが、それはソロモンの建てた神殿からみればかなり見劣りのするものでした。それでユダヤの王となったヘロデはユダヤ人の人気をとるために改修工事をし、それはヘロデの死後も続けられました。しかし、改修工事が完成しないうちに、神殿は紀元70年、ローマ軍によってことごとく滅ぼされてしまいました。それ以来、神殿は再建されることがなく、今は神殿の外壁の一部が「嘆きの壁」としてエルサレムに残っているだけです。

 それから二千年たとうしている今日も神殿が再建されないでいるのには理由があります。それは、神殿はその役割を終えたからです。神殿は、幕屋の時代から、神が人と共におられることのしるしでした。しかし「インマヌエル」(神共にいます)と呼ばれる主イエスが、人となって人と共に住まわれた時、神殿は要らなくなったのです。主イエスご自身が「幕屋」となり「神殿」となられたからです。ヨハネ1:14に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とありますが、「住まわれた」と訳されている言葉には「幕屋を張る」という意味があるのです。そしてイエスご自身が「幕屋」であり、「神殿」なのです(ヨハネ2:19-21)。

 またイエスは、弟子たちに「わたしの名によって求めなさい」と言われました(ヨハネ16:23-26)。神殿は主の御名が置かれた場所でしたが、今は、私たちには「イエス御名」があります。いつでも、どこででも「イエスの御名」によって祈るなら、その祈りを聞いていただけるのです。これは、新約の時代の大きな恵みです。

 そして、キリストご自身が神殿であるなら、キリストのからだである教会もまた神殿です。教会は「神の宮」であると、聖書は言っています。今は、詳しくお話しするいとまがないので、聖句だけをあげておきます。「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。『わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』」(コリント第二6:16)「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(コリント第一6:19)「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(ペテロ第一2:5)

 教会は、信仰者たちが共に心を合わせて祈ることによって、「祈りの家」として建て上げられていきます。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」とあるように、ここで、どの国の人も共に心を合わせて祈る「祈りの家」が建てられ、成長するよう願い求めましょう。ソロモンの神殿に「栄光が満ちた」ように、私たちも主の栄光に満たされ、主の栄光を表す、神の家とされていきましょう。

 (祈り)

 主なる神さま、あなたはイエス・キリストを予告するものとして、また教会の雛形となるように、旧約時代に神殿を地上に置いてくださいました。どうぞ、私たちも、教会を「祈りの家」として聖別していくことによって、神殿が果たした役割を引き継ぐことができるよう助けてください。私たちも、生ける石となって主の宮を建てることができるよう導いてください。主イエス・キリストのお名前で祈ります。

8/18/2019