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コヘレトの言葉 逆説の福音

ロシヤがまだソ連の時代の話。反宗教宣伝の一つとして「神はいない」という公然としたキャッチ・フレーズが人目につく場所に掲示された。ところが若者たちの間では、そんなに力を入れて,無いものを無いというのは何故か? 本当は、神はあるのではないか? と逆に神への関心を呼び覚ましたという。

口語訳聖書では「伝道の書」、新共同訳では「コヘレトの言葉」と書名が変ったが、内容は同じである。この書は聖書の中でも異彩を放つ書で、逆の立場から人生を論じ最後に有神論を説得する。

「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。コヘレトは言う。
なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。」(コヘレト1:1-2)
「わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。」(同1:14)

「太陽の下に」というのは、今日の言葉で言えば、「世の中」といったところ。世の中のすべてを観察してみて、人生には果たして生きる価値があるのか、意味があるの かを問い正すことによって、神への道しるべとしたのである。平凡な人の発言ではない。栄華を極めぬいたソロモン王、人間としてこれほど豊かな人生経験をした人は無かったであろうソロモン自身の赤裸々な告白である。

彼は晩年になって私どもに次の様に勧める。

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(同12:1-2)

「私はもう若くはない。こんなに年をとってしまった。いまさら何を」とあなたはおっしゃいますか。

遅すぎる人など一人もいない。あなたにとって今日ほど若い日はなく、今ほど確かなときは無いのである。造り主なる神を信じる時、初めて人生が意味あるものとなり、回り道したことも徒労ではなく、かえって逆転への拍車として役立つのである。

コヘレトのことばは、正にあなたにとって「夜明け前の福音」ではないだろうか。

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