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この希望に支えられて

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は豊かな憐れみによりわたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え‥‥」(ペトロ一1:3) 

物に不足していた時代のことである。病室の窓ガラスの破損を少しでも美しく、そして患者の心をなごませたいと、心優しい看護婦さんが、木の葉の形に紙を切って修理した。秋の頃、結核の一青年が入院し、その病室で静養を続けていた。秋は落葉のシーズン、一雨一風ごとに木の葉が少なくなって行く。その光景は多感な青年にとって人生の終局を思わせた。落ち葉と共に、自分もやがて死ぬのだと、毎日窓の外の木を見つめていたが、どんなに木枯らしが吹いても最後のいくつかの木の葉は落ちない。

不思議だ、不思議だと思っているうちに病気も快方に向かい、元気になった。

ある日、その落ちない木の葉の理由が解けた。紙で作った木の葉でさえ人の心を支え慰めるとしたら、まして神の業である驚くべき復活の業はどれほど、私どもを励まし強くし、希望に輝かせることであろう。

ルカ福音書24:13以下を見るとエルサレムからエマオに向って旅をする二人の弟子のことが記されている。主の復活の知らせを耳にしながらも、信じられず失望して帰郷するところであった。途中から道ずれになった旅人が復活の主イエスとはつゆ知らずに「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」といっている。(21節) 希望は前向きであるはずなのに、彼らの希望は‘We hoped” 過去形、つまり死んだ希望であった。

私たちの希望はどうだろうか?生活のよりどころとなっているだろうか。わたしたちもエマオ途上のあの弟子たちの様ではないだろうか。主は墓に行って悲しみに暮れていたマグダラのマリアにいわれた「なぜ泣いているのか。」疑い惑うトマスに向っていわれた、「信じる者になりなさい。」復活の主は、「生き生きとした希望」を与えて、私たちを勝利者としてくださる。ハレルヤ!

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