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よき牧者の特質

「わたしは良い羊飼いである。」(ヨハネ10:14-15)これは主イエスの自己紹介である。そのあとで良い牧者の特性をいくつか挙げておられる。その中の一つは、「わたしは自分の羊を知っている」ということである。この「知る」と訳されたギリシア語は、「ギノスコー」で、知識的に知ることでなく体験的に知ることで、詳訳聖書では「見分ける、recognize」と訳している。

主イエスが私たちを知って下さるのは、個別的に、つまり、一人一人の何もかもを知ってくださるのである。なんとありがたいことであろうか。更にその知り方には次のような特徴をあげる事が出来る。

1.予め知っていてくださった 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ福音書15:16)「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、聖霊によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。」(ペトロ第一1:2)どうしてこのような私が、と失望したり、自己嫌悪に陥るとき、慰めとなるのは神様が予め私そのものをよく知った上で選んでくださったということである。予知という知り方は神様だけに可能な知り方である。過去、現在は勿論、永遠にいたるまで‥‥。

2.所有者としての知り方 「わたしは自分の羊を知っている」というのは、持ち主としての知り方である。ブラジルのある酪農家を訪ねたときこんな話を耳にした。「時々牛泥棒がきて連れ出されるんですよ。100頭の中の1頭がいなくなっても、群れを見渡しただけで、『あの牛がいない』と気がつくものです。」さすが飼い主ですね!

詩編139篇は、神の全知の奇しさを賛美したものとして広く愛唱されている一篇である。これを読むと神様は私の何もかも、とことんまで知り尽くしておられる。神の前にどんな秘密も隠しようがない。間違ったことや罪に気づいたら素直に悔い改めて告白し、主の愛のふところに飛び込もう!

3.愛の対象としての知り方 「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」十字架上に命を捨ててまで愛された主イエス。復活して今も尚、愛し導かれる主イエス。母親がベビーの泣き声を識別するように、主は愛のゆえに私たちの必要を知り、それを充たしてくださる。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ, 憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。…わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。」(詩編23:1,6)主よ、あなただけで十分です!

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