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霊の戦い-機先を制する

「機先を制する」というのは、「他に先んじて事を行い、その気勢、計画を抑えて自らを有利に導くこと」だと広辞苑は説明する。悪魔に先手を打つには、まず悪魔の策略を知る事が大切で、これを信仰生活にそのまま当てはめて見たい。

あるサンデースクールで、先生が「悪魔に学ぶべきことがあるとしたら、どんなことでしょうか」と質問したら、ひとりの生徒は「先生、それは悪魔のしつこさです」と答えた。その通り、悪魔はいつでも、どこでも、あの手この手を用いて、信仰を撹乱し、私たちを神の恵みから引き落とそうと働き続けて止むことを知らない。悪魔には休日も休暇もないのである。ペトロの手紙第一5章には悪魔の三つの策略とそれに対する対応策が記されている。

まず第一は、“高ぶり”である。
「若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」(5-6節)案外、高ぶりには気がつかないものである。知らず知らずのうちに高慢になっていることがある。とかく信仰年数が長く、リーダー格になって「先輩」「役員」「長老」「先生」になるとこの誘惑に陥りやすい。

第二は、“思い煩い”である。
それに対するみことばは、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(7節)悪魔は不必要な心配をさせて、私たちを神から引き裂こうとしている。「思い煩い」を何もかも100%、神にゆだねることだ。神があなたのことをケアしてくださる。

第三は、“不信仰”である。
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」(8節) 不信仰に対抗できるのは信仰以外に何もない。

「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」(ヨハネ第一5:5)

「兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。」(黙示録12:11)

「高ぶり」「思い煩い」「不信仰」これらは悪の三位一体というべきか。悪魔の出方を知っておくことは、勝利ある信仰生活の秘訣である。

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