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神は真実である

人生にはしばしば自分ではどうしたらよいか分からない、危機的な時がある。危機とは英語のCRISIS(クライシス)の訳語であるが、これがうまく出来ている。それは非常に〈危〉険な状況でありつつも、また、めぐみのすばらしい〈機〉会でもある。こうした時に直面した時のために、私どもをしっかりと支え助けるのは、神の真実とその約束のみことばである。

1.試練の中にある時 コリント第一の手紙 10:1-13

使徒パウロは実例として、出エジプト記にある出来事を、私どもを戒めるために記している。モーセの指導の下に意気揚々としてエジプトを脱出したイスラエルの人々であったが、荒野を旅する間に、心が緩み、偶像崇拝、姦淫、放縦、不信仰に陥り、大多数の人々は約束の地に入ることが出来なかった。「これらのできごとは、わたしどもを戒める前例」であり(9節)「時の終わりに直面している私たちに警告するため」(11節)に記されたと言う。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」ある注解書には、「逃れる道」とは、耐え抜く力、または突破する力と説明している。

2.罪に悩む危機の時 ヨハネの第一の手紙1:5−10

「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(9節)常識からすれば、「神は愛で、憐れみ深い方ですから」ではないか、と思いやすい。実はここが大切な点で、神はご自分の言われた言葉に忠実なお方、約束を守られるお方「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(7節)      

3.死が迫っている危機の時 ペトロ第一4:19

「だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。」私どもも主イエスのように最後の祈りは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」の祈りでありたい。

伝道者ムーデーは自分の娘が小さい時、父親を信頼することを教えるためにこんなことをした。娘を机の上に立たせ、自分は椅子に座り「そこから思いきって飛んでごらん。抱いてあげるから。」こわがって飛ぼうとしない娘に言った。「お父さんのこの目をしっかり見て飛んでごらん。」やっと飛べた。「神は真実である。」ここに信仰による跳躍の鍵がある。

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