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神の賭け〜旧約聖書ヨブ記通観(1) ヨブ記の主人公ヨブは、神に自慢されるだけあって、人格においても、信仰においても、公私共に、非の打ち所のない立派な人であった。このヨブに不慮の悲しい出来事が次々に 起きる。罪の結果として災いが臨むのは分かりきったことであるが、ヨブのような義人がなぜそのように苦しまなければなららいのか。ヨブ記はこのような人生苦とその原因に鋭く迫る書である。 天上の会議 2章\ 次々起こる不可解な出来事の秘密は、実は天上の神の会議にあった。神に敵対するサタンは「地上を巡回し、ほうぼうを歩きまわって」人間の罪を見つけて神に訴える検察官として登場する。神はサタンに「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしをそそのかして彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」と言ってヨブに賭けをされる。神はヨブを「わたしの僕」と呼び、全幅の信頼を寄せておられる。ヨブがもしもこの天上の会議のすべてを知ることが出来たら、後日あれほど悩むことはなかったであろう。 サタンの信仰観\ 1 ご利益主義: サタンによれば、人が神を信仰するのは、ひとえにご利益のためであるという。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」(1:9) だから、神がヨブからすべての祝福を剥奪すれば、ヨブはきっと信仰を捨てるでしょうと主張する。確かにサタンの言うようにある人々の信仰はそのようなものである。(1).恐怖 (2).欲望の達成 (3).来世の確保が動機‥‥‥しかしヨブの信仰はそのようなものではなかった。 2 利己主義(2:4): 更にサタンによれば人間はとことんまでエゴイスト(自己中心)。たとえすべての所有物を失い、家族がいなくなったとしても、自分だけ安泰であればやって行ける。健康で幸せでありさえしたら、すべてOK.自己を目的とした生き方の基礎が取り去られたら、神への信仰を捨ててしまうだろうとサタンは神に主張する。 ヨブの徹底した信仰\ すべての所有物、家族が奪われ無一物になり、その上さらに悪性の皮膚病に悩まされても。\ ヨブは信仰を告白して神を賛美し、主権者であるお方に信頼することをやめなかった。\ ヤコブ書5:11はその理由を説明して、私どもに励ましと慰めを語っている。 ―続く―
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