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も ど る
聖書の知恵袋を開いて学ぼう クリスチャンの日々の生活は、霊的であると共に、また実際的でなければならない。 昔、ギリシャにターレスという哲学者がいた。いつも天を仰いで星を観察するあまり、足もとの大きな穴に気がつかず、それに落ち込んで田舎娘に笑われたという。 信仰一点張りになると常識に欠けやすく、その反対に常識的になり過ぎると信仰のことが分からなくなる。どうすればバランスのとれた健全な歩みができるのか。 それは、神にことばであるみことばに教えられながら導かれなから、歩みだすときに実現する。箴言は、へブルで「類似によって説明する」という意味で人生の実際的な知恵を簡潔な言葉で表現したもので、いわば信仰の格言集である。山椒は小粒でもピリッと辛いように、箴言の言葉も短いが単刀直入、一句の中に心と生活をさぐる偉力を蔵している。しかも3000年の昔に書かれたとは思えない新鮮味がある。 「財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは、乏しくても主を畏れる方がよい。\ 肥えた牛を食べて憎み合うよりは、青菜の食事で愛し合う方がよい。」(箴言15:16、17)\ 「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」(同27:17)\ 「悪を行う者は罪の罠にかかる。神に従う人は喜びの叫びをあげる。」(同29:6)\ 「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」(同29:18)\ 「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。\ むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。\ 貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンで、わたしを養ってください。\ 飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。\ 貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。」(同30:7-9) 箴言の大部分を記したソロモンは「主を畏れることは知識のはじめである」(1:7)と記し、更に、「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(3:6)と勧めている。 灯火親しむの秋、読書と黙想に最も適したこのシーズンに、ソロモンの知恵袋、箴言を開いて、霊の目を呼び覚まされ、一歩一歩、着実に歩みを整えていただこうではないか。
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