USA Diary

October, 2017

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10月1日(日)新しい腕時計を使いはじめてから三ヶ月がたちました。セイコーといっても外国製ですが、クォーツの駆動部分は日本製なので、正確に時を刻んでくれています。人工サファイアガラスは傷がなく、ダイアルがよく見えますが、チタニウムのベーゼルとバンドはステンレスよりも傷がつきやすいように思います。アメリカでは、標準時間と夏時間の変更の他、国内で時差があるので、旅行中に時計を進めたり、遅らせたりしなければなりませんが、アナログ時計のほうが変更が楽なので、アナログにしてよかったと思っています。「買ってすぐ 時計ばかりが 気になって」
10月2日(月)冷房の室内機からポタポタという音がするので、調べてみたら、なんと吸気スペースのところに水がいっぱい溜まっていました。冷房を取り付けた会社に電話しましたが、明日の午後まで来てくれないので、きょうの午後から明日の午前まで冷房なしになります。たまった水は、バケツに何倍分もありました。冷房ではこれだけの水を絞るわけですから、空気が乾くわけだと思いました。「エアコンは 僕の水気も 絞り取り」
10月3日(火)午後から冷房の修理に来てくれました。冷房の不具合は、排水のパイプが詰まっていたからでした。ふつう、パイプが詰まると冷房が自動停止するはずなのですが、それもうまくいっていなかったようです。排水管を途中で切り、詰まっていたものを空気圧で取り除き、切った部分をチューブでつないで、修理は完了しました。しばらファンをまわして、乾燥させてから冷房に切り替えました。きょうは蒸し暑い日でしたので、冷房が入って、気分が良くなりました。「半年は 冷房止まらぬ この州で」
10月4日(水)月曜日は、冷房の故障とともに、電話も使えなくなり、そのうちテレビも番組が観られなくなりました。これも月曜日に電話会社に電話したのですが、修理に来てもらったのは、今朝でした。電話のほうは、家の中の配線が問題だったようなので、電話を直接モデムにつないだら直りました。テレビのほうは、モデムが悪かったようで、新しいものと取り替えてもらいました。モデムはずっと電源の入っているものなので、消耗品のようです。「壊れては 換えてばかりの この四年」
10月5日(木)娘の首にちょっとした腫れ物ができたので、クリニックに書類をもらいにいくついでにドクターに診てもらいました。心配はいらないが、皮膚科にかかるようにと、紹介状を書いてもらいました。ドクター、ナース、また事務員も親切に対応してくれます。インターネットの評価でも、常に「五つ星」を獲得しているクリニックです。家からはちょっと遠いのですが、娘のためには、このクリニックに満足しています。「いい医者は 宝と思い 大切に」
10月6日(金)ラスベガスでの乱射事件は、結局、犯人が精神的に錯乱してからだろうということになりました。それにしても、マシンガンをホテルにどうやって持ち込んだろうと思います。ここまでくると、銃の保持も「護身用」の領域をこえています。「銃規制」の前に「武器規制」が必要だと思います。「銃規制 いつになったら できるやら」
10月7日(土)日本の総選挙は、立憲民主党の結成により構図が変わってきたように思います。護憲勢力が、三分の一以上を占めれば恣意的な憲法改正を防ぐことがきます。そもそも憲法は国民の権利を保証し、国家の権力を制限するためのものなのですから、時の政権が自分たちの都合のよいように変えてよいものではありません。国民ひとりひとりが時間をかけて考えたのち、国民の総意によってなされるべきものと思います。今は、そのような手順が踏まれているとは思えません。「護憲」、「立憲」といっても、憲法改正を全く否定しているわけではないのですが、現行憲法を尊重しながら改正を考えるのと、そうでないのとでは、結果が違ってくると思います。「護憲派よ 戦争モード 変えてくれ」
10月8日(日)私たちの住む町で三歳の女の子が行方不明になっています。女の子がミルクを飲まなかったというので、バックヤードに出されたあと、姿を消しました。近隣のメーリングシステムにもこのことが配信されています。早く見つかるようにと願います。「子を捜す 親の心を 感じつつ」
10月9日(月)きのう、教会のウェブページを更新しましたが、礼拝メッセージの音声が出ませんでした。どうしてだろうと調べてみましたら、数日前にAT&Tがモデムを取り替えたことに思い当たりました。モデムの設定を変えて、音声が出るようにしました。数日間、音声がとぎれていたことを見落としてしまい、もうしわけありませんでした。「見落とした ウェブ管理を お詫びする 」
10月10日(火)秋の休暇を利用して車でサンノゼに行くことにしました。まだ車が新しく、体力があるうちにと、車で行くことにしました。きょうは、アマリロでインターステート 40 に乗り、ニューメキシコのサンタローザまで 540 マイルを走りました。西に向かってでしたので、西日を浴びて顔が暑くなったうえ、眼も痛くなりましたが、水で冷やすとすぐ良くなりました。西日で、泊まるホテルの看板がよく見えなくて、過ぎこしてしまい、引き返すことになってしまいました。「昼は日が 汝を打たずと 御言葉に」
10月11日(水)今日はカリフォルニアのニードルズまで 660 マイルを走りました。GPS への入力が間違ったのか、野原の真ん中で、“You have reached your destination”と言われてしまいました。道を迷ってすこしぐるぐる回りましたが、なんとかホテルにたどり着きました。カリフォルニアはテキサスと 2 時間の時差があるので、現地時間ではそんなに遅くならずに着くことができました。車でカリフォルニアに来るのは、昨年10月にサンディエゴに行って以来となりますが、インターステート 10 よりは 40 のほうが標高があるので、すこし涼しいと思いました。「この年も やっと加州に 二日かけ」
10月12日(木)ニードルズからサンノゼまで 510 マイルを走りました。インターステート 40 はかつてサンタバーバラとシカゴを結んでいたルート 66 とほぼ重なり、ニードルズのホテルではルート 66 にちなんだ土産物がたくさん売っていました。ニードルズはアリゾナとの州境の町で、ここからベーカーズフィールドまでの道がとても長く感じられました。ベーカーズフィールドからインターステート 5 に入れば、走り慣れた道で、サンノゼはすぐです。明るいうちに到着できました。きょうは 512 マイル走り、ダラスからサンノゼまではおよそ 1700 マイルでした。「アメリカの 昔を偲ぶ 車旅」
10月13日(金)朝、コイン・ランドリーで洗濯をして、昼、友人と昼食を共にしました。また、郊外を走ったので、汚くなった車を洗いに行きました。カリフォルニアではガソリンがテキサスよりも 1 ドル高く、セールス・タックスも 9.25 パーセントに上がっていました。別の友人から夕食に招かれ、特別なピザを食べました。この店は注文してからピザを作るので、焼きあがるまで 45分かかるのですが、誰も、のんびりと待っていました。一秒でも早く食べ物をサーブすることで競争している日本のファーストフード店では考えられないことです。「どの土地も 変わる町並み 人情も」
10月14日(土)家内はホテルで友人と会い、娘はスペッシャル・ミニストリーに、私はメサイアニック・ジューズの礼拝に行きました。会衆が小太鼓や鈴を手に持ち、自由に鳴らしながら賛美したり、踊ったりして、安息日を祝っていました。さまざまな祈りののち、大きなトーラーの巻物が開かれ、メッセージが語らました。この日は聖書のサイクルの第一週目で、創世記 1 章からの朗読とメッセージでした。ここで昼食をいただいたあと、夕食に招いてくださった家庭に向かいました。「会えばすぐ 昔に戻る 友たちと」
10月15日(日)以前住んでいたところの福音ルーテルの教会で礼拝を守りました。以前、牧師はローブを着けていたのですが、きょうは平服でした。きれいな礼拝堂では、平服がそぐわないように思いました。主任牧師は以前と同じですが、副牧師は別の人でした。数年のうちに教会の様子も変わったようです。昼食は友人と共にしました。夕食は家族だけで済ませ、明日の帰路に備えて、早く休むことにしました。「ルサランも ドレスコードが 変わったか」
10月16日(月)サンノゼからの帰り道は、ニードルズを越えてアリゾナのキングマンまで足を伸ばしました。580 マイルの旅でした。ずいぶん夜遅くなりましたが、明日の道が長いので、きょうのうちにすこしでもダラスに近いほうへと行けたのはよかったと思います。それにしても夜の道は、まわりが見えないので、とても運転しずらいものでした。「夜の道 前の車に ついて行く」
10月17日(火)キングマンからサンタローザまで 590 マイル。明るいうちに着くことができるかと思ったら、途中長い工事区間があり、ずいぶん遅くなりました。それに、GPS が目的のホテルに連れていってくれなくて、ホテルの近くまで来ているのに、迷ってしまいました。きのうのホテルの部屋は 2 階だったので、荷物をもっての階段の登り降りがたいへんでしたが、ここは部屋がすべて平屋で、車を部屋の真ん前に置くことができたので、荷物の扱いも楽でした。「良い悪い 泊まらなければ 分からない」
10月18日(水)サンタローザからダラスまで 540 マイル。インターステート 40 をアマリロで降りてステートロード 287 を走りましたが、これは行くときより長く感じました。この道路にも、いくつもレストエリアがあり、そのひとつで昼食をとることができました。287 から 114 へ、そしてインターステート 635 を使いました。往復 3400 マイルを走り終え、無事帰宅しました。「変わりゆく 景色楽しみ 千マイル」
10月19日(木)私の車に「トランスミッション・エラー」という表示が時々出るので、旅行前にみてもらったら、「シフトを交換しなければならない」とのことでした。しかし、部品が届いて修理が完了するまでは間にあわなかったので、そのままで旅行に出ました。「部品が届いていつでも修理できるから、連絡するように」とのメッセージが電話に残っていたので、きょう車を持っていきました。しかし、今日中にはできなかったので、「明日の朝、迎えに行くのでとりにくるように」とのことでした。「長旅の 後だ車も 一休み」
10月20日(金)車がやっと戻りました。保証期間内だったので、無料で修理してもらいましたが、これが保証期間外だったら、どれだけ料金を請求されたかわかりません。今まで修理交換したのは、室内の循環ファン、バッテリー、燃料ポンプ、それにシフトでした。保証期限が今年一杯できれるので、これからは、故障がないようにと願っています。家のほうは、天井のファンについている電球がチラチラするので、ディマー(調光器)を換えました。これは自分でやったので、部品代だけで済みました。来週は雨樋の工事があります。「人の手の 作った物は 修理要る」
10月21日(土)教会のガレージセールがありました。暑くも寒くもない良い天気でした。今年は品物が少ないかと思っていましたが、まぎわになっていろいろ集まったようで、家具などが売れたのがよかったでした。感謝の祈りで終えました。次は補習校でのバザーがあります。「ひとつづつ 行事を終えて 秋終わる」
10月22日(日)旅行中、咳が出て困りましたが、いったんそれが収まりました。ところが今朝は調子が悪く、よく声がでませんでした。家内も私と同じような症状でしたので、教会からは早く帰りました。日本の選挙に関心があったので、テレビで開票速報をみていたのですが、そのうち眠ってしまいました。こんなことはめったにないことですが、いつもしているメッセージのアップロードだけは終えることができました。「からだにも 安息与える 日曜日」
10月23日(月)政治の世界はバランスで成り立っているのが良いと、私は思っています。今回の日本の衆議院選挙では、もし、野党が連合していれば、与党はかなりの議席を減らしただろうという試算も出ています。与党に対する批判は、議席数に具体的に反映されなければ、一方的な政策がどんどん進んでしまいます。批判票が生きるような選挙の仕組みは、選挙制度だけによるのでなく、政党がよく考えてつくりだしていくものだと思います。「人々の 声を届けて 議員さん」
10月24日(火)引っ越して以来気になっていた雨樋をようやく取り替えることができました。去年見積ってもらったら、すごく高かったので、信頼できる業者でディスカウントをもらえるところを探していたのですが、今回頼んだところからは、かなりのディスカウントをもらい、予定していた値段で収まりました。見積もりに来たセールスの人も礼儀正しく、フォローアップも丁寧でした。工事は2時間ほどで終わりました。長い間、いつか修理しなければと思っていた工事もあっという間に解決しました。「何事も やりだすまでが 長時間」
10月25日(水)このところずっと雨がないので、雨を待っています。新しくした雨樋が雨をちゃんと受け止めてくれるかも見たい気持ちもあります。「雨樋に おもちや喜ぶ 子の心」
10月26日(木)日本にいる人とスカイプで聖書の勉強をしていますが、ここ数回、よくつながりませんでしたが、ソフトウェアのアップデートでつながるようになりました。再開できてよかったと思っています。スカイプ講座が増えればよいと願っています。「ネット越し 開いた聖書 語り出す」
10月27日(金)ケアホームを訪問しました。少ない人数うでしたが、神の言葉と、賛美と祈りがすこしでも人々の励まし、慰めになればと思っています。「信仰の 光沈んだ 目に灯れ」
10月28日(土)明日は多くの教会で「宗教改革500年」を記念しての礼拝が行われることでしょう。私も、宗教改革にちなんでのメッセージを準備しました。宗教改革はたんなる制度の改革ではなく、「はじめの愛」に真実な信仰をもって立ち返る、「宗教」(つまり「信仰」)の改革であり、それは、今日までも継続していくべき「改革」だということを語るつもりです。私たちの帰るべきところは、500年前というのでなく、主イエスご自身と使徒たちの伝えた福音、初代の教会の信仰と情熱であると信じています。「主のみ声 “はじめの愛に 立ち返れ”」
10月29日(日)礼拝後、近くの公園にピクニックに行きました。ある人がゲームをたくさんもってきてくれたのですが、ほとんどの人が座り込んでのおしゃべりをしていました。私はクロッケーを楽しみました。クロッケーはゲートボールのようなものですが、芝生の上でするもので、ルールも違います。バックヤードでも楽しめそうですが、我が家のバックヤードはデコボコで、ちゃんとした芝生ではないので、ここでやるのは無理そうです。午後からは気温も上がり、よいピクニックびよりになりました。「予算無し きれいな芝生 夢の夢」
10月30日(月)きょうは普段手の届かないところも掃除したので、疲れて昼寝をしてしまいました。庭も枯れ葉が落ちて汚くなりましたが、庭仕事は来週に回すことにしました。「後回し ツケはあとから 回り来る」
10月31日(火)今年のハロウィーンも、こどもたちはすこししか来ませんでした。日本の都会では大人たちが仮装をしてさわいでいるようですが、こちらでは、そういうのはあまり見かけません。いろんな店ではもうクリスマスのものが展示されています。「ハロゥイン なんで日本で 大騒ぎ?」
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