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Philip の 続・ちょっといい話

健全なセルフイメージ(4)

 私たちの多くは、他の人と自分を比べながら生活しています。他の人をうらやんだり、見下げたりするだけで、自分自身を見失っています。「うらやましい」という言葉は「裏の心が病んでいる」という意味なのだそうです。表面では「まぁ、素敵ね」と相手を誉めていても、心の奥底では「なによ、あんなもの」と口惜しがっている、残念ながら、それが「裏の心が病んでいる」状態なのです。

 どうしたら、私たちは病んだ心をいやされるのでしょうか。それは、自分が自分であることを受け入れること、健全なセルフイメージを持つことです。今まで何回か「健全なセルフイメージ」について書いてきましたが、今回は、健全なセルフイメージを保つ秘訣をご紹介しましょう。

 健全なセルフイメージを保ち続けるために、次の三つのことを確信している必要があります。この三つが、自分らしく生きる秘訣です。

  一、わたしには価値がある
  二、わたしは愛され受け入れられている
  三、わたしは思いわずらわない  

一、わたしには価値がある 

 「わたしには価値がある」-私たちがこう確信できるのは、神のことばによってです。神は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)と言われ、イエス・キリストは「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。」(マルコ8:36)と言われ、ひとりの人の命は全世界のすべてのものより尊いと教えられました。人間は他の動物とは違って「神のかたち」に造られました(創世記1:26-27)。すべての人は神によって与えられた価値を持っているのです。これが、私たちの確信の基盤です。

 人間は「神のかたち」に造られましたから、真理において、正義において、愛において、またきよさにおいて神の姿に近づいていかなければならないのですが、それとは逆に、真理から離れ、正義を損ない、愛をなくし、きよさを軽んじています。与えられた「神のかたち」を損ない、ある面では動物以下になって、神に似ても似つかぬものになってしまいました。しかし、神はそんな人間をなお愛し続けて、イエス・キリストを私たちの救い主として遣わし、私たちが「神のかたち」を取り戻すことができるようにしてくださったのです。「イエス・キリストが、その命をわたしのために投げ出してくださった」ということを知る人は、「わたしにはキリストがその命を投げ出すほどの価値があるのだ」ということを確信することができるのです。

二、わたしは愛され受け入れられている

 マズロゥという心理学者は、人間には「安全感」と「意義」を持ちたいという欲求と共に「所属」の欲求がある、これら、三つのものが満たされなければ人は生きていけないと言っています。確かに、私たちは「誰かのもの」でありたい、「誰かのために」何かをしたいと願っています。言い換えれば「わたしは愛され受け入れられている」ということを確信しなければ生きていけないのです。

 この確信もまた聖書から来ます。わたしのすべてをご存知のお方、神がわたしの罪を赦し、わたしを神の子にし、神の家族に迎え入れてくださったということを、イエス・キリストによって確信している人はさいわいです。私たちは「神のかたち」に、価値あるものに造られただけでなく、イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちの造り主を「父」と呼ぶことができるのです。神を「父」と呼ぶことができるのは、神とわたしとが親と子という愛の関係に入れられたということを意味します。「私たちが神の子どもと呼ばれるために、…御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。」(Iヨハネ3:1)すべての人にとって神は創造者ですが、創造者と被造物という関係だけでなく、神を父とする神の家族の関係にも入るなら、私たちは神について、自分についてもっと揺るがない確信を持つ事ができるのです。

 たとえ、不幸にして、あなたの過去に親から受け入れられなかった、配偶者に捨てられた、家族から退けられた、あるグループになじめなかったということがあったとしても、神との愛の関係に入るなら、過去の苦い経験にかえて、神との心満ち足りた交わりの中に入ることができるのです。誰にも過去は変えることができませんが、これからの人生をやり直すことはできます。過去へのこだわりを捨てて、神の大きな愛に飛び込んでいく時、神があなたの親となり、あなたは神の家族の中に、人間に必要な「安全」と「意義」と「所属」のすべてを見つけることができるでしょう。

三、わたしは思いわずらわない 

 私たちは「わたしには価値がある」「わたしは愛され受け入れられている」ということを確信していても、自分の身のまわりにさまざまなことが一度に起こると、それを受け止める余裕を失ってしまうことがあります。そんな時は、神が私を支えておられる(イザヤ46:3-4)、神がわたしと共におられる(ヨシュア1:9)、神がわたしのことを心配してくださる(Iペテロ5:7)ということを覚えましょう。

  私たちは、それぞれが持っているセルフイメージにしたがって自分を形造っていきます。健全なセルフイメージを持っていないと、他の人の評価によって、もっと正確にいえば、「他の人がこう評価しているのではないかと思う自分の判断」によって自分が形成されてしまいます。たった一度しかない人生、他の誰のものでもない、あなたの人生、かけがえのない「あなた自身」をそのように扱っていいでしょうか。神が与えてくださる確かなイメージにしたがって自分を育てていこうではありませんか。

(2001年10月)

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