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Philip の 続・ちょっといい話

健全なセルフ・イメージ(1)

 白百合会で「セルフイメージ」のお話をはじめました。そこでお話したことをまとめるようにとのことでしたので、しばらくの間「何でも聞いちゃおう」コーナをお休みにして、セルフイメージについて書くことにします。

 セルフイメージはふたつのことから成り立ちます。それは、「セルフ・コンセプト」と「セルフ・エスティーム」です。セルフ・コンセプトというのは、自分が何者であるかを知ること、知的な作業です。セルフ・エスティームというのは、自分についてどう感じるかということです。

 高慢にもならず、卑下もせず、自分を特別なもの、可能性のあるもの、目的と使命を持ったものとして感じる状態を「高いセルフ・エスティーム」と言い、自分は誰からも愛されていない、何をやってもうまくいかないと感じる状態を「低いセルフ・エスティーム」と言います。

 誰もがセルフ・エスティームを高めたいと思うのですが、それが間違ったセルフ・コンセプトから出ているため、セルフ・エスティームは、高くなったかと思えばまた低くなる、ジェットコースターのような感情を持っていらっしゃる方が結構多くいるのです。白百合会においでの多くの方は子育て真っ最中の方が多いのですが、それでは子どもも正しいセルフ・コンセプト、高いセルフ・エスティームを持って成長することができません。そういう子どもたちが大人になった時、どんな不幸がくるかは目に見えています。

 怖い話ですが「家庭の不幸が世界の不幸になる」のです。世界中を第二次大戦の混乱に引き込んだヒットラーは、両親から叩かれ、家を追い出されて育っています。彼は、不健全なセルフイメージを植え付けられてしまったのです。そして、自分の低いセルフ・エスティームを「独裁者」になることによって高めようとしたのですが、それは間違った方法でした。

 不健全なセルフイメージしか持たない人は、決して人生を喜ぶことができません。学業でも仕事でも、自分の持っている能力を発揮できなくなるのです。そういう人は概して自己中心的ですから、対人関係や結婚関係に障害がおこります。自分を良く見せようと思って高価なものを買ったりして、人生の大切な選択で失敗します。物質的なもので自分を高めようとしますから、いつも経済的に破綻します。自分の体を嫌う、堕胎したり子供に敵意を持つ、過食症や拒食症になる、恐れに支配される、デプレッションに陥る等々の結果を生み出します。

 健全なセルフイメージを持つためには、私たちを造ってくださったお方から、本当の意味で「自分を愛すること」を学ぶ必要があります。もちろん、「自分を愛する」といっても、それは自己中心になるということではありません。イエス・キリストが「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」と教えてくださったように、私たちは、私たちの創造者である神と、神がお造りくださった人とを愛する者でなければなりません。しかし、私たちが神を愛し、人を愛するためにも、もうひとつの愛、「自分を愛する愛」が必要なのです。イエス・キリストは「自分を愛するように」隣人を愛するようにと言っておられるように、正しい意味で自分を愛することができる人が、神をも人をも愛することができるのです。

 優先順位から言うなら、まず神様を愛すること、次に他の人を愛すること、そして自分を愛することの順に三つの愛を並べることができますが、体験的には、自分を愛することからはじまって、人を愛すること、神様を愛することへと進んでいきます。しかし、どうしたら自分を正しく愛すること、受け入れることができるのでしょうか。それは、神が私たちをすばらしく創造し、こよなく愛しておられ、使命を与えておられるということを知ること、信じることから始まるのです。

 健全なセルフイメージにいたる道、それを保っていく道を一歩一歩ごいっしょに考えていきましょう。

(2001年2月)

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