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Philip の ちょっといい話

孤児たちの父 ジャンセウス・コザーク

 私は、数年前エルサレムにあるホロコスト記念館を訪れたことがあります。この記念館で印象的だったのは、記念館の裏手にある、ジャンセウス・コザークの彫像でした。コザークが多くのこどもたちをかばっているような彫像です。

 ホロコーストの時代、ナチはユダヤ人の男性をまず捕まえました。職場の帰りに突然、ユダヤ人であるという理由だけで連れ去られるのです。次に家庭に残った婦人たちが連行されました。子供は当然置き去りにされ、孤児となります。そのような孤児をワルシャワで引き取り、養い、守ったのが、コザークでした。彼は孤児たちの父として、彼らに愛を注ぎました。

 やがてナチは子供たちにも魔の手をのばします。ユダヤ人の血が半分でも、四分の一でも入っていれば、子供たちは学校から追放されてゲットーにいれられるのです。ユダヤ人だけではありません。ジプシーの子供、ハンディ・キャップを持った子供たちも同じように学校から追放されたのです。もちろんユダヤ人も、ドイツの心ある人たちも、子供を外国に逃がす工夫をしました。しかし、多くの子供たちが人体実験に使われたり、ガス室で殺されたりしたのです。

 コザークが世話してきた200人の子どもたちにも処刑の宣告がくだされました。コザーク自身はその処刑から免れていたのですが、子供たちだけをガス室に送って自分が生きているわけにはいかないと言って、子供たちと共に死ぬことを願ったのです。彼は、子供を守りとおすことができなかったかもしれませんが、彼の死は無駄にはなりませんでした。最後まで子供たちと共に生きたコザークは、子供たちに対する同じような残酷な行為が行われないようにと、語り続けているのです。

 孤児たちの父として生きたコザークから、私たちは犠牲の尊さを学びます。そして、犠牲をいとわないものが本当の愛であることを知ります。イエス・キリストは言われました。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛するものはそれを失い、この世で自分の命を憎むものは、それを保って永遠の命に至るであろう。」(ヨハネ12:24-25)これはどんな犠牲も決して無駄には終わらないことを教えています。イエス・キリストは犠牲の尊さを教たただけでなく、ご自分で、私たちのために犠牲となられました。神の御子が罪人のかわりに死んでくださったのです。

(2001年6月)

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