ペテロ第二1章 ぺテロは16ー18節で「変貌の山」での体験(マルコ9:2ー8)について触れています。あの時のペテロは、キリストの変貌が何を意味するのか分かっていませんでしたが、ここでは、あの時のキリストの栄光の姿は、再臨のキリストの姿であったと言っています。そして何より大切なのは、その時聞こえた神の声だったとも言います。現在の私たちには聖書を通して神のことばが与えられています。ペテロは自分の体験から、私たちに神のことばに聞くことを勧めて(19ー21節)この章を終えています。 もどる

ペテロ第二2章 本物の預言があれば、偽物の預言もあります。この章はにせ教師たちの異端の教えに警戒するよう教えています。「自分たちを買い取ってくださった主を否定する」(1節)というのは、ヘブル10:29を思い起こさせます。異端の特徴は「好色」と「貪欲」「傲慢」などです。良い木は良い実をならせますが、悪い木は悪い実しかならせることができないのです。 もどる

ペテロ第二3章 「神の日の来るのを待ち望み」というのは分かりますが、「その日の来るのを早めなければなりません」(12節)というのはどういうことでしょうか。再臨の日は父なる神だけがご存知のことで、それはすでに定められていることです。しかし、神は私たちの理解を越えた方法で、私たちの祈りを終末のご計画の中に組み込んでおられると言うのです。神は「機械」ではなく「ご人格」であって、私たちの祈りや伝道、そして、敬虔な生き方を見ていてくださるというのは、なんという励ましでしょうか。 もどる