ペテロ第一1章 ぺテロの手紙は迫害の中にある人々への励ましのため書かれました。初代の教会には迫害のため命を失い、財産を奪われた人が多くいました。しかし、神は、神を信じ、迫害に耐えたものたちに、新しい命を(3節)、天の資産を(4節)用意していてくだいます。迫害によって滅ぼされるのでなく、神の守りと最後の勝利を手にするのです(5節)。これらのことは、たとえ迫害がなくても、クリスチャンが心に留めておくべき希望の碇です。 もどる

ペテロ第一2章 ぺテロの手紙は異邦人クリスチャンに宛てて書かれました。「以前は神の民ではなかったのに」(10節)ということばがそれを示しています。しかし、キリストを信じる者は神の民となりました。そして、霊的にいまだ「異邦人」である人々に対して、神の民として、神のみわざを宣べ伝える者となりました(9,12節)。神の民は、ことばと行いの両方で、神をあかしするのです。 もどる

ペテロ第一3章 キリストのあかし人には、信仰の希望について「だれにでもいつでも弁明できる用意」が求められています。「正しい生き方」(16節)に言葉によるあかしが伴う時、私たちは私たちに敵対する人たちをも、キリストのもとに導くことができるようになります。初代教会のクリスチャンは霊的ばかりでなく、知的にも訓練されていました。 もどる

ペテロ第一4章 「さばきが神の家から始まる」(17節)というのは決して不思議なことではありません。教会は神が臨在されるところであり、神が最もきよさを求められる場所だからです。神は、神の民がこの世と同様に堕落してしまわないため、たえず神の家をきよめようとされます。神の民は、このことのゆえに「心を整え身を慎み」生きるのです。 もどる

ペテロ第一5章 私たちの神は、気くばり、心配りの神です。神以上のケアー・テーカーはありません。思い煩う時、「神があなたがたのことを心配してくださる。」(7節)との言葉を思い起こしましょう。私たちの世話をしてくださるのは神の仕事です。それを神からとりあげて自分で背おいこむことのないようにしましょう。 もどる