テモテ第二 1章 神が私たちに与えてくださった聖霊は、「力」の聖霊です。時に気弱になりがちなテモテは、そのことを思い起こされる必要がありました。聖霊の偉大な力を忘れてはなりません。しかし、聖霊は同時に「愛」と「慎み」との霊でもあります(7節)。愛のない力は人を破壊する力でしかありませんが、愛のある力は人を建てあげることができるのです。そして、「愛は礼儀に反することをせず」(コリント第一13:5)とあるように、聖霊の愛と力は、決して粗暴なものでなく、慎みのうちに働くのです。 もどる

テモテ第二 2章 主の働き人は「兵士」であり、「競技者」であり、また「農夫」のようです。兵士の忠誠、競技者の節制、そして農夫の忍耐が求められます。しかし、主の働き人には、「勝利」や「栄冠」、そして「収獲」が約束されています(4ー6節)。主のための奉仕をしていてもくじけそうになることがあるでしょう。そんな時は、これらのみことばを思い起こして、やがて与えられる勝利、栄冠、収獲を思って、自らを励ましましょう。 もどる

テモテ第二 3章 パウロが「聖書はすべて」という時、旧約も、新約も、すべてを含めていたことは、テモテ第一5:18で、旧約と福音書を同等に扱っていることからわかります。私たちは、聖書のすべてを神のことばと信じて、はじめて、この神のことばによって「教えと戒めと矯正と義の訓練」を受けることが出来るのです。自分にとって都合のよい部分だけをとりだしているうちは、決して、神のことばによって私たちの生活が正され、導かれることはないのです。 もどる

テモテ第二 4章 この手紙はパウロの殉教の直前に書かれたものです。6〜8節で、パウロは、彼の現在と、過去、そして将来を語っています。そして、テモテに早く来るように要請しています。ところが、パウロはこんな差し迫った中でも「書物を持って来てください」と言っています。世を去る覚悟ができているからこそ、書物を読む余裕も生まれてくるのでしょうか。ジョン・ウェスレーは「たとえ、明日主が来られるとしても、私はいつものように起きて、いつものように説教に出かけます。」と言ったそうですが、そのような平安を持っている人はさいわいです。 もどる