テサロニケ第二 1章 パウロは、テサロニケの信徒の「相互の愛が増し加わっている」ことを、神に感謝しています(3節)。テサロニケの信徒は「兄弟愛については、何も書き送る必要がありません」(テサロニケ第一4:9)と言われるほどでした。兄弟愛は、信仰の実です。テサロニケの信徒は、迫害や患難に耐え、その信仰を保っていました(4節)。そのような純粋な信仰から出る愛を、私たちも求めましょう。 もどる

テサロニケ第二 2章 テサロニケの信徒たちは、とても素直な信仰を持っていました。それだけに、間違った教えにも振り回されやすくありました。それで、パウロは再臨にいたるタイムテーブルをここであきらかにしています。「不法の人」とは「反キリスト」のことです。パウロはここで「今、間違った教えに振り回されていては、どうして世の終わりの反キリストのまどわしに対抗できるでしょうか。正しい教えをしっかりと保っていなさい。」とのチャレンジを与えているのです。 もどる

テサロニケ第二 3章 テサロニケには「再臨が近いのだから、地上のことはどうでも良い」と言う人がいたようです。パウロは、そうした人々を厳しく戒めるよう教えています。けれども、パウロは「しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。」(15節)との指示を忘れませんでした。神の敵は神ご自身が裁かれます。私たちは、みずからをきよめていけばいいのです。 もどる