コロサイ 1章 キリストの救いの側面のひとつは、神の敵であったものを、神との和解に導くということです。「御子によって万物を、ご自分と和解させてくださった」(20節)ということばがそれをあらわしています。本来「和解」は人間の方から申し出るべきものであるのに、この「和解」は神の方から、しかも、神ご自身が御子の命という和解の「代価」を用意してくださったのです。この和解の提供にすすんで応じる私たちでありたいものです。 もどる

コロサイ 2章 コロサイ人への手紙は、キリストを低く見る哲学、思想に心ひかれている人々に対して書かれました。キリストは創造者であり、キリストには、知恵と知識ばかりでなく、神のご性質が満ちておられ、あらゆる権威の上におられるお方です。ユダヤ主義や神秘主義などがどんなに魅力的に見えても、キリストとくらべるなら、それらは「この世の幼稚な教え」(20節)にすぎないのです。 もどる

コロサイ 3章 人を赦すことは難しいことです。それは、自分の罪が主によって赦されたことを知っている人だけができることです。私たちが「互いに赦し合う」ことができる鍵は「主があなたがたを赦してくださったように」という一句にあります。あなたが人を赦せなくて苦しんでおられるなら、まず、自分がキリストによって赦されていることを心に深く刻みつけてみましょう。そこから解決が始まります。 もどる

コロサイ 4章 エパフラスの祈りは「完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるように」というものでした。あなたは今まで、このように祈ってみたことがありますか。まず、自分のためにこの祈りを祈り、あなたの生活のゴールにしてみませんか。そして、エパフラスがしたように、他のクリスチャンのためにとりなし祈りましょう。 もどる