ピリピ 1章 「生きることはキリスト」(21節)とは、パウロがひたすらに「キリストのために」生きているということばかりでなく、「キリストによって」生きているという意味でもあるでしょう。もっとつきつめると、「キリストが私のうちに生きておられる」(ガラテヤ2:20)ということになります。あなたにとって「生きることは」何でしょうか。 もどる

ピリピ 2章 ここにはキリストの模範(5-11節)、テモテの模範(20-22節)、エパフロデトの模範(25-30節)が記されています。キリストにならい、信仰の指導者に、それに従う人に(3:17)、またすべての良きもの(4:8-9)にならいましょう。「学ぶ」ことは「真似る」ことから始まり、「習う」ことは「倣う」ことから始まるからです。 もどる

ピリピ 3章 キャチセールスにひっかかって、つまらない景品を得るために、必要でもないものを買ってしまったことはありせんか。人生において、小さな「得」を得るために、大きな「損」をしてしまうこと、小さな「損」を避けるために大きな「得」を見逃してしまうことがあります。キリストを信じて生きることは「損」のように見えても、それは、大きな「得」につながります。聖書によって人生の本当の「損得」を見極めることができますように。 もどる

ピリピ 4章 私たちは豊かになると高慢になり神を忘れ、貧しくなるとそのことで不満を持ち、思い煩いやすくなります。ですから箴言では「貧しさも富も私に与えず」との祈りがあります(箴言29:7-9)。しかし、ここには、貧しさも富も超えた人生の秘訣が示されています。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(13節)これは「キリストが私のうちに生きておられる」ことの結果です。キリストを心に、人生に迎え入れた人は幸いです。 もどる