エペソ 1章 エペソ人への手紙は、父、御子、御霊の救いのみわざのゆえに、神をほめたたえる賛美で始められています。「三位一体」を理論で理解しょうとしてもできませんが、救われて、救いをなしとげてくださった神を賛美することによって、三位の神を知ることができます。三位一体の神を否定する人々がありますが、三位の神を信じないで、どうして、救いを確信できるのでしょうか。救いは、三位の神によって成り立っているのですから、三位の神を否定する教えには、救いがないのです。 もどる

エペソ 2章 救われる以前、自分では気づかなくても、私たちは罪と、この世と悪霊にしばられていました(1-2節)。丸太が川の流れのままに流されていっても、魚は流れにさからって泳ぐことができるように、キリストにある新しい生命を得たものは、罪をゆるされ、この世に勝ち、聖霊に導かれるようになるのです。キリストの救いにはすべてが備わり、欠けたものは何ひとつありません。 もどる

エペソ 3章 私たちの神は「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父」(15節)です。イスラエルと異邦人クリスチャンは別々のものでなく、おひとりの神のもとにあるひとつの神の民、神の家族です。キリストによってふたつのものがひとつにされたのです。今日の教会にはさまざまな教団、教派がありますが、おひとりの父に共に祈ることによって互いの垣根が取り除かれ、共にキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを世に知らせたく思います。 もどる

エペソ 4章 「信仰の一致」と「神の御子に関する知識の一致」(13節)はそれぞれ別物ではなく、信仰の一致とは、皆がキリストを正しく知ることから生み出されます。キリストは預言者にすぎなかった、天使のひとりである、私たちの模範であるとする人々とは信仰の一致を持つことは不可能です。キリストを生ける神の子と信じる信仰の一致が私たちには必要です。 もどる

エペソ 5章 「御霊に満たされなさい。」(18節)これは、クリスチャン生活における最高の命令です。これは命令であって、誰もが真剣に取り組むべきものです。また、これは「進行形」で、「絶えず満たされ続けなさい」とでも訳すことができます。いちど満たされて終わり、といったものではないのです。また、これは「受け身形」です。自分で自分を満たすのではありません。聖霊のなさることに身をまかせていくということが教えられています。 もどる

エペソ 6章 御霊の満たしによって、夫婦(5:22-33)、親子(6:1-4)、主従(6:5-9)の関係の中に「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」(5:21)ということが実現します。誰もが人の上に立つことを求めている社会ですが、主にあって人に従うということの恵み、祝福をもう一度取りもどすべき時がきているように思います。 もどる