マラキ書1章 旧約のキーワードのひとつは「誠実」ですが、それがマラキ書の主題となっています。神はご自分の民に誠実をつくし続けてこられたので、神も、神の民に誠実を求められます。神は「わたしはあなたを愛している。」と呼びかけられておられるのに、人々は「神は私たちを愛しておられない。」と呟き、人に与えてさえ怒りを買うような物を神にささげて平気でいるのです。人々は神への誠実を忘れてしまったのです。 もどる

マラキ書2章 神への誠実を失った人々は人間関係における誠実を無くしていきます。人間関係の中で一番親密なものは結婚関係ですが、それが崩れてしまうのです。捕囚後の時代、ユダヤの男たちはまわりの民族とうまくやって行くため、ユダヤ人である妻を離別し、他民族の有力者の娘と結婚しました。結婚は神の前における神聖な誓いです。不誠実な人々は、それを無視して、自分の立場を有利にするための手段にしていたのです。 もどる

マラキ書3章 次は、捧げ物における誠実が問われています。収穫や収入の十分の一は神のものですが、彼らはそれを惜しみました。ささげるべきものをささげないのは、神のものを盗むことになるのです(8、9節)。神にささげるべきものをささげていないと、たとえ豊かな富を持っていても、いつも不満ばかりの生活をするようになるでしょう。ささげる者が祝福されるかどうかは、ささげものをもって試してみるとよいのです(10節)。 もどる

マラキ書4章 「見よ。その日が来る。」(1節)とありますが、それは神の審判の日です。この神の裁きの日の前に、神はあわれみをもって悔い改めの日を与えてくださいました。かってエリヤがイスラエルに悔い改めを迫ったように、神は、もう一度「エリヤ」を遣わしてくださいます。それが、バプテスマのヨハネです。その後に来られたキリストは、世をさばくためではなく、世を救うために来られました。恵みの日、救いの時の続いている間に悔い改め、神に立ち返りましょう。 もどる