ゼパニヤ書1章 人々は、一応は神の存在を認めても「主は良いことも、悪いこともしない。」(12節)と言って、神を飾り物にしてしまうのです。しかし、主は、いつまでも黙って見てはおられません。神は神を恐れる者に「良いこと」を、そうでないものに「悪いこと」をもって報いられるのです。 もどる

ゼパニヤ書2章 「恥知らずの国民」(1節)となったユダの中にも「主の定めを行う…へりくだる者」がいました。それは、「主を尋ね求め、義を求め、柔和を求める」人々でした(3節)。神は、彼らのへりくだりのゆえに、裁きの日だけでなく、回復の時も備えてくださったのです。裁きの日を前にして人間にできることはただへりくだることだけです。 もどる

ゼパニヤ書3章 神は「そのとき、わたしは…」(9節)と言われます。「そのとき」とは、回復の時です。キリストは「そのとき」が来たので、この世においでになり、十字架で死なれ、復活によって死に勝利し、天に昇り、そこから聖霊を私たちに注いでくださいました。主は、「主を尋ね求め、義を求め、柔和を求める」人々に、「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」(17節)と語りかけてくださるのです。 もどる