ミカ書1章 北王国イスラエルはアッシリヤ王シャルマヌエセルによって、首都サマリヤが包囲され、滅びました。南王国ユダは、これを他人事として見ていてはならないと、ミカは警告を与えています。北王国の惨めな状態は、やがて「ユダにまで及び…エルサレムにまで達する」(9節)からです。他を見て、自らを顧みる心が必要です。 もどる

ミカ書2章 律法に「先祖からの地境を移してはならない。」とありますが、ユダの力ある者たちは、つぎつぎと人々の土地を奪い取って、自分の土地を広げていきました(1-5節)。これらの人々は神のことばに耳を傾けず、信仰のことがらに全く無関心で、その話題は「ぶどう酒と強い酒」についてだけでした(6-11節)。ミカは神との関係を正さなければ、罪がユダにはびこり、ついに滅びると、警告を与えていますが、現代の私たちも同じ警告を聞かされる必要があるように思います。 もどる

ミカ書3章 ミカは「人々の皮をはぎ、その骨から肉をそぎとる」(2節)ようなことをしていた指導者たちの罪を責めています。預言者には権力者を恐れず、民衆に媚びず、まっすぐに神の言葉を語ることが求められていますが、それは「力と、主の霊と、公義と、勇気とに満ち」(8節)てこそはじめてできることです。今日も、神のことばを預言者のように語る人が必要です。 もどる

ミカ書4章 さばきのメッセージの中にも「終わりの日」の救いが語られます。ミカが見た幻は、廃虚となったエルサレムが再建され、そこが全世界の霊的な中心になるというものでした。「シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出る」(2節)とは、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)とあるように、教会がエルサレムではじまり、そこから全世界にひろがっていったことによって成就しています。 もどる

ミカ書5章 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたがたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたがたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」(2節)とは、主イエスがベツレヘムでお生まれになることを預言しています。預言が新約に近づくにつれて、神の救いのみわざから、その救いを私たちにもたらしてくれる救い主へと焦点が移ってきています。救い主は、牧者のように神の民を守り導き、王の王として諸国をさばかれるお方であることが4節からも知ることができます。 もどる

ミカ書6章 私たちは物事がうまく行かなくなると、それを他人のせいにし、ついには神のせいにさしかねません。神は、それに答えて、「わたしの民よ。わたしはあなたに何をしたか。どのようにしてあなたを煩わせたか。わたしに答えよ。」(3節)と言われます。神はイスラエルに対して、エジプトから約束の地にいたるまで神の民を守り通してこられたお方です(4-5節)。神の恵みをふりかえり、数える時、つぶやきは消えてなくなります。 もどる

ミカ書7章 「ああ悲しいことだ。」(1節)という嘆きで始まったこの章も、神のいつくしみとあわれみを賛美して締めくくられています(18-20節)。「あなたのような神が他にあるでしょうか。」(18節)というのはまさにその通りで、主のように罪や咎を赦してくださる神は他にはありません。神はその存在、知恵、力において私たちの考えをはるかに越えたお方であるばかりでなく、そのあわれみといつくしみにおいても、並み外れて偉大なお方です。 もどる