エステル記1章 エステル記は、ペルシャ王の王妃選びから物語が始まります。ついつい先を読みたくなるような内容です。聖書は神のことばですが、エステル記のようなドラマのような部分も多く含んでいます。神は、最高のストーリーの語り手です。もっともっと聖書に親しみましょう。 もどる

エステル記2章 エステルは「姿も顔だちも美しかった」(7節)のですが、そればかりでなく、その心も美しかったようです。姿、形がどんなに奇麗でも、人としての美しさを持っていなければ、かえってねたまれたり、嫌われたりするだけです。エステルが「彼女を見るすべての者から好意を受けていた」(15節)のは、彼女の信仰から出たものだったのでしょう。 もどる

エステル記3章 王に重んじられたハマンは、ユダヤ人であるモルデカイが彼にひれ伏したり、ひざまづいたりしないのに腹をたて、全ユダヤ人を滅ぼそうとし、その計画を立てました。ひとりの邪悪な人物によって、ペルシャに生き残っていたユダや人は滅ぼされようとしていました。しかし、摂理の神は、このような時のために、先にエステルを王宮に送っておられたのです。 もどる

エステル記4章 ユダヤ人に対するこの計画を知ったエステルは、モルデカイと使者を通して語り合い、王に嘆願するため命がけで、王のもとに行こうとします。たとえ、王妃であっても、王の召しがなければ、王のもとに近づくことができなかったからです。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」(4:17)との覚悟を持ったエステルに、モルデカイはすべてを任せます。 もどる

エステル記5章 エステルは、いきなり王に嘆願せず、ハマンを宴会に招くよう願います。ハマンの悪巧みにたいして、エステルも計画を用いて事を進めるのです。エステルは、このような知恵と勇気をどこから得たのでしょうか。それは、エステルの断食の祈り(4:16)からであると思われます。神は切実な祈りの中に、道を示してくださるのです。 もどる

エステル記6章 神はこの間、王に働きかけ、モルデカイが王の暗殺を未然に防いだという記録に出会わせます。ハマンは、王の命令により、彼が嫌っていたモルデカイに王からの栄誉を与えるようになります。神に逆らうたくらみはかならず撃ち破られ、自分の栄誉だけを求めて人の滅びを願うものは、その栄誉を奪い取られ、ついには滅びるのです。 もどる

エステル記7章 二日目の宴会で、エステルは王にハマンの悪巧みを明かします。エステルに命請いをしようとしたハマンは、さらに王の怒りを買い、彼がモルデカイのために立てた木にかけられてしまいます。 もどる

エステル記8章 ハマンの作った法令は、モルデカイの作った法令によって取り消され、この喜びの知らせはペルシャ全土に届けられました。律法に従えば、滅びるしかなかった私たちに、今や、罪と滅びからの救いを告げる福音が伝えられています。ペルシャ王の指輪で印が押された文書を誰も取り消すことができないように、キリストの十字架の血潮で署名された福音は、誰もそれを変えることができないのです。 もどる

エステル記9章 こうして、ユダヤ人は捕らわれの民でありながら、ペルシャの国で守られ立場を築きあげていきました。モルデカイとエステルは、ユダヤ人の救いの日を「プリムの祭日」として後々も守らせました。これは救いが神から出たものであり、神に感謝すべきことを教えるためでした。 もどる

エステル記10章 この書には「神」ということばが出てきませんが、エステルの背後に神がおられることを読む人は感じます。私たちも、このように、私たちの信仰と献身を通して神の存在を人々にしめすことができたら素晴しいと思います。 もどる